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第二章①

藍染ニシキは日の出と一緒に目を覚ました。まだ早い時間だった。時間は確か指定されていなかった。ベッドの中で微睡んでいるのも違う気がしたので、ニシキは美作に昨夜言われた通りメイド服を着てロビィに向かった。途中ラウンジの前を通った。ビジネスマンが何人か食事をしていた。一応宿泊客はいるようだ。美作はすでにフロントに立っていた。書き物をしている。昨日の髪型と違い、素敵なシルバの髪をポニーテールにしていた。遠くから見た表情はとても疲れている。壊れたシャンデリアのせいだろうか。もしかしたら一睡もしていないのかもしれない。スーツは着替えているようだ。美作はニシキに気付いて顔を上げて微笑んだ。

「おはようございます」

「おはよう、似合っているね、可愛い、」美作は優しい表情で言った。「もっと寝ていてもよかったのよ、あなたには朝の仕事をしてもらうつもりはないから」

「すいません、いろんなことを教えてもらおうと思いまして、でも、どうやらお邪魔みたいですね、部屋に戻ります」

「ああ、待って、お腹空いてない?」美作はペンの動きを止めて言う。「一緒にどう?」

「ペコペコです、」ニシキはお腹を押さえながら答える。「実はそう言って下さるのを期待していました」

 美作はとても嬉しそうに微笑んだ。「待ってね、」美作はフロントの奥に移動して「嘉平、」と呼んだ。「フロントをお願い、食事をするから」

「どちらへ?」嘉平という白髪の老人が美作と一緒に奥からフロントに現れた。

 ニシキはお辞儀をした。

「ああ、君が新しい魔女かな?」老人の声は細いがハッキリとしていた。背筋もピンと伸びている。背は美作よりも小さい。笑い皺が濃く刻まれていて優しそうな印象。老人は潤って光る目でニシキを観察している。「ふむふむ、とても優秀そうだ、色がいい」

「あんまり藍染さんをジロジロみないでくれる、この、エロじじい、」美作はふざけるように言ってニシキの前に立った。そして胸元の名札とスーツのポケットから鍵を出して嘉平に渡した。「食事は、そうね、私の部屋に運ばせてくれる?」

「はいはい、分かりました」嘉平は手を振りながら頷いた。

「それじゃあ、行こうか」

美作はニシキの手を握って連れて行く。美作の部屋はラウンジの中を通って突き当りの角を曲がった右に曲がった先にあった。他の従業員たちの部屋が集まるエリアとは別のところだ。

「どうぞ、」美作はニシキを誘う。「ごめんね、散らかっているけれど」

「お邪魔します」

 部屋の中は本当に散らかっていた。床には洋服やぬいぐるみや雑誌が散乱していて、部屋の奥のベッドのシーツは乱れていた。中央の円卓の上はアルコールの匂いのする瓶とグラス、それと灰の溜まった灰皿。壁際の小さな机には化粧品の瓶が散乱している。むせるような女の香りのする部屋だった。ニシキは少しずつ呼吸をする。

「ここに座って、」美作は円卓の上のアルコールの瓶を中央に寄せながら椅子を引いた。「食事はすぐに運ばれてくると思うから」

 ニシキは言われるがままに座った。美作は対面に座る。ニシキは落ち着かなかった。しかし美作の方が落ち着いていないように感じだ。「ああ、そういえば、昨日の夜はありがとう、藍染さん」

「え?」いきなりお礼を言われニシキは戸惑う。「なんのことです?」

「シャンデリアよ、とても綺麗に片付けてくれて」

「ええ、ああ、はい、いえ、とんでもないです、」ニシキは首を二度、横に振ってから質問する。「……あの、どうしてシャンデリアが、あんなことに?」

 そのタイミングで部屋がノックされた。

「はい、」美作が高い声で返事をする。「どうぞ」

 食事を持って部屋に入ってきたのは少し大きめのサイズのスーツを着ている男性。髪型は乱れていて、ネクタイは寄れている。無愛想。名札に大木とある。大木は無言で二人分の食事を円卓に置いて部屋から出て行った。食事は彩り豊かな和風だった。ニシキは美作の方を窺いながら、手の平を合わせて食事を始めた。

「あなたにはいろんなことを説明しなくちゃいけないわね」

美作はそう切り出した。ニシキは食事をほとんど平らげているのに美作の食事はほとんど残っていた。美作は箸で盛り付けのバランスを崩す作業をしているようだった。ニシキはもったいないと思う。おいしいのに。「……あの、食べないなら」

「え? ああ、いいわよ、食べなさい」

「ありがとうございます」ニシキは笑みをこぼした。まるで犬だなと自分を客観的に評価する。しかし、美作は別のことを考えているようなので気にしないことにする。

「おいしい?」

「はい、とても」

「それはよかった、」美作がまるで人形に語りかけるように笑う。「小さいのによく食べるのね」

「これから大きくなるんです」

「そうね、まだ十三歳だもんね、いいなぁ、」美作は子供っぽい表情をしてニシキを眺めている。しばらく黙ってから、美作は口を開く。「本当はあなたみたいにいい色をした魔女っこは学校とか、私塾とか、そういうところに行くべきだと、私は思うんだ、ホテルでメイド服を着るんじゃなくてね」

「どういう意味でしょうか?」ニシキは首を傾げて微笑んだ。

「勘違いしないでね、ただ、あなたの大切な時間を奪うことがとても罪深いことのような気がして」

「どうしてですか? 私はお金を頂けるじゃないですか、とっても沢山のお金を、私は学校へ行くよりも新田ホテルで働いた方がいいと判断しました、だから私はここに来たんです、美作さんが罪深いと思う理由なんて、何も」

「そう言ってくれると少し楽になるわ、でも、藍染さん、時間の方が大切なのよ、お金よりもずっとね、」美作はニシキの手を触る。優しく指を絡める。「そう言いながら私は、あなたにずっとこのホテルで働いてもらいたいと思っている」

「はい、承知しています、そういう条件だから、私は沢山お金がもらえるんですよね、」ニシキは美作の指に絡まった指を動かす。「それで私は何をすれば?」何も知らないで契約書にサインすること、これも沢山のお金を貰うための条件の一つだった。「メイド服を着る以外に私は何をすればいいのでしょうか?」

「魔女みたいな目だね」美作は微笑む。

「魔女です」少し子供扱いされた気がしたので、ニシキは不機嫌を演じる。

「あはは、ごめん、ごめん、」そして美作は寂しさを表情に滲ませる。「少し、妹のことを思い出して」

「妹?」

「お姉ちゃんって呼んでもいいよ、ニシキ」

「え、まだ会って一日も経ってないのに、呼び捨て?」

「ほら、呼んでみて」なぜか美作は両腕を広げる。

「ええ?」

「ほら、早く言って、言いなさい」美作は目を大きくする。

「お、おね……」ニシキはもじもじしてしまう。あまり経験のないことだから。

「うん、ほら、もう少しっ」美作はルンルンと弾んでいる。

「お、お、」ニシキはもう駄目だと思った。「……お姉ちゃん」

 それからよく分からないけれど、ニシキはベッドの上で美作に抱き締められた。彼女の妹になって寂しさを紛らわすのも仕事のうちなのかもしれない。ニシキは仕事の説明を受けながら情熱的に抱き締められている。真倥管を守るのがニシキの仕事らしい。少し驚いた振りはしたが、本心は驚いていなかった。予想していた通りだったからだ。ニシキは光の魔女。あらゆるものからあらゆるものを守る光の障壁、シエルミラが莫大な報酬の理由だということは簡単に想像することは出来た。

それにしても美作の匂いは、凄く、濃厚で、脳ミソがおかしくなる。大事なことを忘れそうな匂い。

むせる。

ニシキは咳き込んだ。

大事なことを忘れないように、咳き込んだ。



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