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新田クラクション、真倥管レクティファイア  作者: 枕木悠
第一章 新田クラクション
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第一章⑤

 その夜、午後九時丁度、片手に箒を持ち、衣類を詰め込んだ鞄を背負った藍染ニシキは新田ホテルの中央玄関を潜った。

由良郷はうるさい街だ。新田製作所の真空管工場に勤務する労働者で、夜は騒がしくなる。昼も真空管工場から鉄の音が響いている。静かなのは、夕方、黄昏時。彼らが仕事を終えた後、そして酒が入る前までの僅かな時間。

 酒場の集まる新荏田町から新田ホテルまで距離がある。由良郷は新田製作所を中心に街が整備されている。北側に新荏田町があり、新田ホテルは駅に近い南側に位置している。新田ホテルの周辺は宿とほとんどが民家だった。人通りは少なく、新田ホテル周辺は静寂に包まれていた。

 新田ホテルの中央玄関を潜ったニシキは目を動かした。人の気配がなかった。ロビィは薄暗かった。それもそのはずだ。シャンデリアが大理石の床の上で粉々に砕け散っている。壁に等間隔に並んだ明度の低いオレンジ色の照明だけが空間の詳細を照らして出している。ニシキは床の上を歩いてガラス片になったシャンデリアに近づく。床に赤いものが点々と奥の方へ続いていた。

 血?

 誰かシャンデリアに当たってケガでもしたのだろうか?

 そんなことを考えながら、ニシキはフロントのカウンタの上にある、銀色のベルを鳴らした。

 リンっと高い音。しばらくして足音とともにカウンタの奥から聞こえてきた。「カスミ、ライカ、戻ったの?」

 シルバの髪の女性が奥から顔を出した。とてもスタイルがいい。背は高くないが足がスラリと長い。彼女は僅かに乱れた髪を整えながら、顔の表情を変化させ、壁の時計を見て言った。「ああ、えっと、藍染、ニシキさん?」

「はい、藍染ニシキです、」ニシキは歯切れよく言って頭を下げた。「これからお世話になります、よろしくお願いします」

「はい、こちらこそ、ああ、時間って経つのが早い、もう新田ホテルは夜の九時だったのね、」美作はペンを回しながら微笑む。「ああ、私が支配人の美作です、美作ショウコ、ごめんなさいね、あなたが来る前に、その、いろいろあって、いろいろあって、バタバタしてて」

「あのシャンデリアのことですか?」ニシキは聞く。

 美作は笑いながら頷いた。「そうなの、それでちょっと今、時間が取れそうにないの、部屋の鍵を渡すわ、もう休みなさい、疲れたでしょう、仕事の説明は明日にして」

「私も手伝いましょうか?」

「え?」

「シャンデリアを片づけるくらいなら、説明がなくても出来ます」

「ああ、そうね、片付けてくれる?」美作はまるでそのことなど頭になかったような返答をする。「麻袋が裏にあるから、箒は持っているものね」

「はい」

「素敵な黄金色ね」美作はうっとりとした表情でニシキの髪の色を褒めた。

「美作さんだって、とても綺麗なシルバ」

「ふふ、」美作は笑いながら首を横に振ってニシキの髪を触る。体がビクッと反応した。「私は黄金色がよかった、銀よりも金がよかった」

 ニシキはなんて返したらいいか分からなくなった。「私も黄金色に産まれてよかったって思います」

「うん、安心した」

「安心?」

「予想以上にいい色だったから、」美作は言ってニシキの髪から手を離した。「じゃあ、シャンデリアのことお願いね、ああ、これがあなたの部屋の鍵ね、そこを左に進んでレストランがあるから、そこを通り抜けたら奥に従業員の部屋があるから、ああ、ベッドの上にメイド服を用意しているから、明日、それを着ていてね」

 ニシキは美作から部屋の鍵を受け取った。美作はフロントの奥へ消えた。ニシキは迷路に迷い込んだような気分だった。コレからの未来が想像し辛い夜だった。長期戦を、あるいは持久戦を覚悟した。そしてニシキは何も考えず、声も出さず、大理石の上の粉々のシャンデリアを麻袋の中に詰めて、ホテルの裏のダストボックスに放り込んだ。



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