エピローグ①
私たちはニシキちゃんのシエルミラのおかげで水没した真倥管工場の中でも生きていられた。レクティファイアとトライオードを持ったニシキちゃんは黄金色に輝き続け、そしてシエルミラを球体にして、風を起こして、シャボン玉みたいにして私とアキヒトとその友達の千場君を地上階まで運んでくれた。
地上階へ出る扉のところに水の魔女のカスミと雷の魔女のライカが真っ青な顔をして待っていて、二人とも幸せそうな顔に作り変えて言った。『お嬢様、ご無事でしたか!?』
「私が無事じゃ駄目なわけ!?」私は舌を出して笑った。
そして、それからが大変だった。騒ぎを聞きつけたパパがホテルまでやってきて、こっぴどく怒られたのだ。私は様々な言い訳を提出したが、全て却下されて、最終的に新田ホテルのオーナを辞めさせられた。
それからショウコの目が見えなくなっているのを知って、なんていうか、とにかくショックだった。色のない世界を想像して涙が出た。でも、ショウコは視力を失う前よりもなんだか優しくなっていた。明るくなっていた。
ホテルの屋上でパーティをしましょうと提案したのはショウコだった。大変なことがあったその日の夜にパーティ。皆、疲れているはずなのに、アルコールの匂い、シガレロの匂い、クラッカの匂い、それらに惑わされて、皆、太陽みたいな笑顔になる。
そこに集まったのは新田ホテルの従業員一同。泊まっていた数人のビジネスマンは他の旅館へ逃げて行った。従業員一同は仕事を終わらせて屋上に会した。円卓を並べ、それに白いテーブルクロスを掛け、即席の会場を作った。従業員の他にグラス・ベル・キャブズのエリコ様と知念さんとヒメゾノさん、そしてアキヒトと千場君と徳富さんがいる。
エリコ様はワイングラスを片手に徳富さんの肩を抱いてキスするタイミングを窺っている。エリコ様は真っ赤なドレスを着ていてそれがとても似合っている。徳富さんは白いドレス。徳富さんはとても思わせぶりにエリコ様に顔を近づける。でも、エリコ様はなかなかキス出来ないでいる。見ていて可笑しかった。天体の運動みたいだと思った。とにかく今はとても真剣なエリコ様に記念写真は頼めない。
貯水タンクの影で知念さんは大木に口説かれていた。知念さんはカスタードクリームみたいな声で、酷いことを大木に向かって言っている。けれどカスタードクリームみたいな声のせいで酔っぱらった大木には本意が十分の一も伝わっていないようだ。そろそろ日本酒の瓶を振り回してもおかしくないほど知念さんの表情は険しい。
ウォッシングガールズは即席のステージでバンド演奏をしている。ファーファルタウのロックバンドのカバァを数曲演奏してから、オリジナルの『ウォッシングガールズ、愛のテーマ』を演奏する。私はその心地よいメロディを揺れながら聞いていたが、他の従業員はあまり音楽に興味は無いようで誰一人聞いていない。食事、あるいはおしゃべりに夢中。完全にBGMになっている。特にボーカルの諌山の気持ちとは裏腹に、愛のテーマは一番伝えたいその人に伝わっていない。
カスミはライカと仲良く食事をしていて、ライカの口元に付いたパンくずを取って、自分の口の中へ入れる。微笑み合っている。きっとそれを目撃してしまったのだと思う。諌山の激しいシャウトがホテルの屋上に響く。
さて、アキヒトは千場君とシガレロを吸いながら、屋上の隅で何かを話している。
とても真剣に、とても楽しそうに話している。とても気になる。耳を澄ましても、ウォッシングガールズの演奏に掻き消されてしまう。やめよう。忘れたいから私は屋上のフェンスに近づいて、夜空を眺めた。でも、膨らんだ想いは苦しくて切なくて、アキヒトが明日には帰ると思うと寂しくて。
夜空にスターダスト。私はそれが完全に消えてから、願った。
また、アキヒトと、二人で。
「なんだ?」
「え?」振り向くとアキヒトが見えた。
「いや、呼んだだろ?」
「え? 呼んだ?」私は願い事を大きい声で言ってしまったのだろうかと焦った。「わ、私の声が?」
「違う、目で呼んだだろ、」アキヒトは私の目を指差す。「俺の勘違いか?」
「ううん、」私は大急ぎで首を横に振った。「勘違いじゃない、勘違いじゃないよ」
「そうか、それで、」アキヒトは夜空を眺めていた。「……なんだ?」
「えっと、その、」私の頭の回転は完全に止まっていた。話したいことが、きっとどこかに凄くあるはずなのに口から出て来ない。言葉が見つからない。やっと思いついたのは鬼のこと。「あ、アキヒトの鬼って氷鬼だったんだね、私、ビックリしちゃった、いきなりアイスキャンディを口に入れられて、本当に冷たくて、甘くて、……その」
私は下を向いた。涙が瞳に浮かんでいるのを感じたからだ。寂しい。アキヒトと離れたくない。涙を堪える。でも、泣きたい。寂しいって言いたい。どこにもいかないでって叫びたい。私の魔法で、アキヒトを私のものにしたい。
「新田、一緒に大坂に来ないか?」
「え?」私はアキヒトを見る。アキヒトはフェンスを掴んで新荏田町の小さな夜景を見ている。「大坂に? 私が?」
「ああ、」アキヒトは私を見ずに言う。「さっきも千場と話していたんだが、お前のバイオリンは俺の心臓のブレーキを外した、その外し方っていうのが、千場でも知らないものだったんだ、つまり、新しい可能性だ、分析する価値がある」
私はそれを聞いて少し、ヒステリックになった。「……私は研究資料って、そういうこと?」
「間違いじゃない」
アキヒトは私の機嫌なんて知らないようだ。私は言葉を見失って怒れなかった。悲しい気持ちで満たされる。私は自分のブーツを見る。
「ある意味でそうだが、俺は、新田に大学へ来てもらいたいと思っている」
「え?」私は顔を上げた。阿倍野の顔が見える。「大学に?」
「ああ、お前は優秀な魔女だ、西嶋教授ならお前の優秀さを受け入れてくれる、簡単に入学できるはずだ、新田みたいに優秀な魔女がホテルのオーナっていうのも変な話だ」
「……もう、私はオーナじゃない」
「そうだったな、まあ、うん、新田、来いよ、俺たちと一緒に、」アキヒトから強い熱を感じた。「その方が俺は、絶対にいいと思う」
「……誘ってくれるのは嬉しい、」本当に、凄く嬉しい。「でも、私は真倥管を守らなきゃ、トライオードはまだ水の底に沢山眠っているから」
「……ああ、」アキヒトは落胆の目の色を見せる。「……そうだったな、悪いな、迷わせて」
「そんなことない、そんなことないよ」私はとびっきりの笑顔を作って見せた。
その時聞こえてくるメロディ。
『新田ホテル唱歌』
この歌だけは皆、ステージの前に集まって歌い出す。
それはなぜ?
私がメロディに込めた魔法のせいだ。皆、我を忘れて歌っている。踊っている。




