第四章③
知念クミと徳富スナオとヒメゾノはアイロンの部屋から出て、廊下を歩く新田ホテルの従業員たちの目から逃げていた。すると地下に通じる階段を見つけて、三人は降りて行った。地下一階は一階のフロアとあまり色調が変わらなかった。徳富は踊り場から左右を眺めて「ここじゃないよね」と言ってさらに地下に続く階段を降りる。知念とヒメゾノは必死の徳富に続く。エリコのことが気になったが、彼女の速さなら心配いらないだろう。誰かに引き留められたって持ち前の強引さで突破するはずだ。
地下二階は少し色調が変わっていた。扉が木目調ではなく、灰色の鉄製のものに変わる。廊下にも絨毯が敷かれていない。三人はこのフロアを調べてみることにした、絨毯が敷かれていないのでブーツの底が鳴って煩い。全ての扉は施錠されていた。その扉に徳富は耳を当てて、叩いて、そして友人の名前を呼んで反応を確かめている。けれど、反応はない。
「なんだろうね、中に何があるんだろう?」
知念は扉を睨んで考えてみた。「……ハムとかベーコンとかウインナとかかな」
「お腹減ってるの?」ヒメゾノは全くデリカシィがない。
「しょうがないじゃん、」知念のお腹はきゅるきゅると鳴る。「もうお昼だよ」
「そうだね、私もお腹ペコペコ、」徳富はお腹を押さえて笑う。「熊谷は何が美味しいの?」
『メロンパン』ヒメゾノと知念は声を合わせて答える。
三人は地下三階に降りた。照明の数が減り、薄暗く、フロアへの入り口には鋼鉄製の扉があり、その扉は施錠されていて中に入ることが出来ない。限りなく怪しいと思ったが鍵がなくちゃどうしようもない。
三人は諦めて地下四階まで降りる。階段はこれで終わり。地下三階と同じような鋼鉄製の扉がある。どうせここも施錠されているのではと落胆したが、徳富が真っ先に気付いて言う。「あれ? ねぇ、開いてるんじゃない?」
確かによく観察してみると、分厚い扉は僅かに手前に迫り出していた。ヒメゾノが自動車のハンドルのような円形の取っ手を掴んで引っ張る。ビクともしないので、徳富と知念も協力する。静かに声を合わせる。『せーのっ!』
徐々にだが、扉は手前に動き始めた。額に汗が滲んだころにやっと人一人分が入り込める隙間が産まれた。徳富がそこに顔を突っ込んで中の様子を窺う。徳富はすぐに顔を引っ込めて知念の顔を見た。徳富の顔は驚いていた。徳富はもう一度隙間に顔を入れて声を上げる。「凄い、凄いよ、なぁに、ここ、」徳富は隙間に体を入れて中へ進む。「ほら、二人もきなよ、凄いよ」
『凄い?』
「うん、早く、早く」
知念とヒメゾノは顔を見合わせてから中に入った。
「うわっ!」知念は予想していなかった光景に本当に驚いた。
「工場?」ヒメゾノは冷静に言う。「工場なのかな?」
ここは確かに工場だ。工場以外に何と呼べばいいのだろう。天井は半円球のドーム状になっていて、その天頂に向かって様々な種類のパイプが付随した柱がそびえている。樹齢千年の杉の木を知念はイメージする。その周囲には見たことのない形の機械が並んでいて、それらはコンベアで繋がっていた。異様な光景だと思った。生命体のように躍動的なのに、音が足りないからだと思う。とても大きな音を立てて動き始めると思う。
でも、どうして、地下に工場が?
「もしかしたら、ここで、」徳富は中央の通路を進んで柱に触っている。「真倥管が作られているのかもしれないわね」
知念とヒメゾノは早足で通路を進んで徳富に近づく。二人の落ち着かない表情とは違って徳富は新しいおもちゃを与えられた子供みたいに無邪気な表情だ。「ほら、知念ちゃん、ヒメちゃん、見て、これがおそらくこの工場の中枢だよ、このプレートに手を載せて魔法を編むと、」徳富はそれから饒舌に工場の機械について説明を始めた。知念はその説明を全く理解できなかった。早々に離脱。真剣に話を聞いていたヒメゾノは目を回している。説明が終わったようだ。徳富は幸せそうに工場を見回す。「凄いよ、ココには魔法工学の最先端が集まっているんだ」
「うん、凄いね、」知念は一瞬でこの工場の何もかもを理解してしまう徳富の方が凄いと思った。「スナオちゃん、本当に大学生だったんだ」
「あの扉は何かな?」入ってきた扉と、丁度対面にも扉があった。徳富はそっちに向かって歩き出す。
「スナオちゃん、待って、待ってよ、」知念は目を回しているヒメゾノの腕を掴んで引っ張って徳富を追う。「こらぁ、小学生かっ」
「ここも開いているみたい」徳富は純粋で綺麗な瞳で知念を見る。
扉は入っていた扉と同じように、簡単にはビクともしなさそうだ。しかもダイヤルキィも付いている。でも開いている。
「よっしゃ、」知念は袖を捲った。「こうなったら見るもん見て帰ってやるんだからっ、ほら、ヒメゾノも目を回してないで手伝いなさいっ」
「……う、うん」
『せーのっ』再び三人は力を合わせた。嫌な音が出て、隙間が産まれる。
「今度は私が先っ、」知念は徳富と同じテンションで言う。はしゃいでいないとなんとなく、押しつぶされそうな気がしたからだ。知念は勢いよく体を滑り込ませる。また工場みたいに広い空間を想像していたが違った。狭い空間。狭い部屋だ。学校の図書室のように木製の棚が並んでいる。棚と棚の感覚は狭く、人一人歩いたら一杯だ。「……なんだここ?」
「きっと真倥管の保管庫だね」知念の横に並んだ徳富が言う。
「え、真倥管があるの?」遅れて中に入ってきたヒメゾノが言う。「あ、バイオリン、」扉のすぐ横の壁にバイオリンが立て掛けられていた。弓もある。ヒメゾノはそれを手にして音を鳴らした。「凄い、スズキのエターナルだよ、これ、滅茶苦茶高いんだよ」
徳富はヒメゾノを無視して狭い通路に入って行く。知念も続く。ヒメゾノはバイオリンに夢中だ。棚に実験で使う試験官のように並べられたガラスの筒を手にして徳富は言う。「きっと真倥管だよ、コレが真空管じゃない、真倥管だ」
「え? コレが真倥管なの?」知念はもっと大きな、例えば戦車の主砲のような管を想像していたから驚く。「こんなに小さなものなの?」
「うん、そうだよ、」徳富は真倥管を知念に差し出す。「知念ちゃん、確かめてみて」
「……うん、」知念が僅かに躊躇ったのはエリコのことが脳裏に浮かんだからだ。エリコはきっと真倥管には触らないと思う。でも、やっぱり、興味がある。知念だってファーファルタウの魔女みたいに、凄い魔法を編んでみたい。「確かめてみる」
知念は真倥管を触った。冷たい。ガラスの冷たさだ。それを両手で包んだ。どうしたらいいのだろう? とりあえず、何か、魔法を編んでみようと思う。目を瞑った。
真倥管がゆっくりと温まっていく。
真倥管に身を委ねる。膨らんでいく、何かがある。電気磁石を編む。
見える景色がある。見えてくる。目を瞑っているのに、あらゆる輪郭が鮮明に見えてくる。それは電気磁石を編んだからだ。でも。
ヒメゾノのバイオリンの構造も。
工場の構造も見える。
あらゆるものが脳ミソに浮かぶ。
そして魔女が見えた。工場に入ってくる魔女が見えた。もっと良く見ようとする。
真倥管が温まる。
「知念ちゃん、」徳富が声を出す。「真倥管を離して」
「……ふえ?」
徳富は知念の手から真倥管を取り上げて、心配そうな顔をして言う。「知念ちゃん、汗が凄いよ」
「ふえっ?」言われて気付いた。体中に凄い汗を搔いている。きっと真倥管のせいだと思う。私は全てを真倥管に任せようとした。真倥管は私の羅針盤を作り変えて、大きなものに変えた。私を乗っ取ろうとした。知念はそんな危険を感じた。怖かった。もう触わりたくない。知念は涙が出た。徳富に抱き付いた。「……怖かった、怖かったよぉ」
「ごめんね、知念ちゃん、」徳富は頭を撫でてくれる。「もう触らない方がいいね」
「うん」
「ごめんね」
「スナオちゃんのせいじゃないよ、」甘えるように声を出して、そしてはっと思い出した。緊急なことを。「……あっ、逃げなきゃ、誰かが、魔女がこっちに来る、ヒメゾノ、バイオリンを止めて、扉を閉めて」
「魔女?」ヒメゾノはバイオリンの弦の震えを止めた。
そして重たい扉が外側に動いた。魔女が現れた。シルバの髪の色の魔女。ポニーテールがとても似合っている。魔女は鋭い目で三人を見た。
「フエちゃんのバイオリンじゃないと思ったんだ、でも、可愛い顔をしているからバイオリンを触っていても怒らないよ、」魔女は言ってヒメゾノの頬を撫でる。ヒメゾノは蛇ににらまれたみたいに固まっている。魔女はそして、知念と徳富を睨んで近づいてくる。「でも、真倥管に触るのは許さない、触って、変わっていいって許されているのは私だけ、私だけなんだから、許さないよ、真倥管に触ったら私は許さない」
魔女は棚に並んだ真倥管の一つを手に取る。
真倥管が銀色に発光。魔女のシルバの髪も煌めく。魔女の目が光を放つ。
「オオタチミクラ」
魔女の右手に柄が出現して、そこから白く輝く刀身が伸びていく。さらに伸びていく。その太刀はおよそ魔女の身長の二倍くらいの長さで、それ以上伸びるのを止めた。魔女は両手で構える。狙いを定めている。
殺されると思った。
徳富と知念は保管庫の奥へ足を動かす。
「おうらああああ!」魔女はがなって太刀を振り回す。真倥管の並んだ木製の棚が太刀に薙ぎ払われる。反対方向へもう一度、薙ぎ払う。真倥管が床に落ちて音を立てる。
『いやゃあ!』
真倥管はその素晴らしい強度で無傷だ。しかし保管庫は一瞬で滅茶苦茶になった。
邪魔をする棚が木端微塵になって太刀が振り回しやすい空間に変化する。
知念と徳富は部屋の隅で震える。
知念の左腕は出血していた。痛みはないが、血は止まらない。
「もう一度笑えるなんて思わないでよね」
知念と徳富は絶望的な表情で魔女を見る。魔女は手を伸ばしても届かないところにいるけれど、その長くて鋭い太刀なら簡単に二人の首を斬ることが可能だろう。魔女は躊躇うことなく知念と徳富を斬る準備に入る。太刀の切っ先が半円を描いて後方へ離れる。魔女の鍛錬された動き。止めるのは不可能に思えた。知念は目を瞑る。走馬灯は見えない。
「ハイエン」ヒメゾノの声。
巻き起こる鋭い風。
魔女は壁の高い位置に体を叩きつけられる。太刀が手から離れ、床に突き刺さる。
魔女は床に落下し、咳き込み、血を吐いた。
「熱いっ、」ヒメゾノは言って真倥管を投げ捨て、知念と徳富の方へ走ってきて手を差し出す。「ほらっ、早く」
徳富と知念はヒメゾノの手を掴んで立ち上がる。知念はその手に違和感を覚える。「火傷してるじゃんっ!」
「知念ちゃんも血が出てるっ!」徳富が涙声で言う。「一杯、一杯、出てるよっ、嫌だ、早く何とかしなくちゃ死んじゃうよ!」
「ヒメゾノの手も、」知念はヒメゾノの真っ赤な手を見て気が動転してしまった。「ヒメゾノの手も何とかしなくちゃ、綺麗な手なのに!」
「二人とも落ち着いて!」ヒメゾノは大音量で叫んだ。「逃げなくちゃ、魔女に殺されちゃうよ!」
その声に徳富と知念は冷静になった。
四つん這いで咳き込み、血を吐く魔女を見た。
魔女は深呼吸を繰り返してから悪魔みたいに三人を睨んだ。手を伸ばして太刀を掴む。
立ち上がり、太刀を振り回す姿勢に移行。
『逃げろぉおおおおおおおおおおお!』
三人は急いで部屋の外に出た。
遅れて部屋と工場を分かつ壁が吹き飛んだ。
その衝撃に呑まれないように、工場の中央の通路を走る。反対側までとても遠い。
振り返ると保管庫の出入り口の前で、それはすでにその形状をとどめてはいないけれど、魔女は太刀を構えている。いくら長い太刀でも届かない距離を三人は走っている。
しかし彼女は魔女だ。真倥管を握り締めている魔女だ。とてつもない魔法を編んでいるだろう。魔女は太刀を肩に背負う。とても豊かな煌めきが見える。望遠鏡の中で渦巻く銀河のような煌めきは綺麗。
「きゃあ!」徳富が足をもつれさせてこけた。
『スナオちゃん!』知念とヒメゾノは徳富の両脇に跪く。
「ブレイド」そう聞こえた。
太刀がシルバに輝く。眩しい。眩しくて何も見えないけれど何かが迫ってくるのは感じた。速くて、鋭いもの。
このまま死ぬんだ。そう思った。
それだけ、とてもともて強く思ったんだけど。
「シエルミラ」別の角度から、そう聞こえたのだ。鼓膜が震えた。
大きく展開された黄金色の光の障壁が三人を守っている。速くて鋭いものから三人を守っている。三人の前には少女。まだ小さな、魔女の姿。魔女は浴衣を着ている。浴衣の背中には金魚が泳いでいる。
白勝ちの桜錦が、孤独に泳いでいる。




