第三章⑧
新田ホテルの正面玄関の前にカスミとライカとニシキと千場は降り立った。カスミを先頭にホテルに入った。ホテルのロビィは静かだった。隅のソファでビジネスマンが新聞を読んでいる。ニシキが人質に取られて慌てていた従業員たちはどこへいったのだろう。フロントのカウンタには、確か嘉平という名の役職不明の老人がいて、四人の姿を見ると顔を朗らかにしてカウンタから出てこっちに歩いてくる。
「嘉平さん、逆に捕まえてきてきましたよ、悪い男を、」
「ああ、お帰り、よかった、無事で、」嘉平はニシキの声を遮って顔を見て頭を撫でた。「いや、千場君がこの子に怪我を負わせるようなことはないと思っていたけれど、よかった」
「え、」ニシキはどうして嘉平がそんなことを言うのかが分からない。「どういうことですか?」
「いや、どうもこうも、すべては美作の早とちりだったんだよ、勘違いだったんだ、美作が勝手に千場君たちのことを、真倥管を盗みにきた略奪者だと勘違いして牢屋に入れたんだ」
「早とちり? 勘違い?」ニシキは説明を求める顔をする。いや、その事実は既に知っていたけれど、ということはつまり、計画が、ぱぁ、ということだ。千場を悪者にして真倥管に触る計画は早くも頓挫。気持ちが沸騰してしまって声が出る。「早とちりってそんな、じゃあ、この男は全く全然っ、これっぽっちも悪くないってことですか? そんな、いえ、とにかく、……許されることじゃありませんよ!」
「ああ、本当だ、君の言うように許されることじゃあないね、」嘉平は頷き千場の方に目を向けてゆっくりとした口調で言う。「君にはとても悪いことをしたね、千場君、従業員を代表して謝罪するよ」
「……いえ、」千場は前に進み出て戸惑いながらニシキを一瞥、そして頬を緩めて首を横に振って嘉平を見る。「誤解が解けたなら、それで」
「本当にすまなかった」嘉平は千場の手を両手で握って揺らす。
「俺の方こそホテルを混乱させちまったみたいで」
「もう忘れよう、君はもうお客さんだ、今晩は豪華な食事とスイートルームを用意しているからゆっくりしていくといい、時間があるなら何泊でも泊まっていってもらって結構だよ、我々に出来るせめてもの謝罪の気持ちだ」
「それは嬉しい、好きなんだよね、温泉、」千場は歯を見せて笑う。「あの、そういえば阿倍野は?」
「ああ、阿倍野君なら大丈夫だよ、心配いらない、今はお嬢様の部屋でおしゃべりに付き合わされているはずだよ」
「ああ、そう、そうか、よかった」千場は僅かに頷いた。反応は薄かったけれど凄く安心している表情だ。ニシキは千場をこんな風に安心させられる阿倍野のことが凄く気になる。ニシキが下唇を噛んだ。
「……お嬢様?」
「新田社長の娘です、フエコお嬢様がこのホテルのオーナなんです、」嘉平は孫のことを話すように軽快に話す。「どうやらお嬢様は阿倍野君のことを気に入ってしまったようで」
「お嬢様って、いくつ?」千場が真剣に聞く。
「十二歳です」
千場は笑った。「まだ子供じゃないか」
ニシキはむっとした。ニシキは十三歳だから。でも、大学も卒業しているし、こんな風に新田ホテルに就職してもいるんだから大人だと思う。子供じゃない。
嘉平は朗らかに笑っている。
「あの、嘉平さん、」今まで黙っていたカスミが手を顔の横に持ち上げて控えめに声を出した。「つまり、その、私たちが必死になって追っていた彼女も、その、早とちりで?」
「ああ、二人ともご苦労さんだ、疲れたろう、もう部屋で休むといい」
「美作さんは?」ライカが聞く。
「美作なら部屋で寝ているよ、お嬢様が眠らせたらしい」
それを聞くと安心したのか、ライカは息を吐いて、大きく欠伸をして目を擦る。「ふあ、じゃあ、カスミ、もう寝よう、お昼の時間だけど」
「ええ、寝ましょう、お昼の時間ですけれど」
カスミとライカは手を繋いで部屋に戻っていった。
「君も今日はもう、休みなさい」そうニシキに言って嘉平もフロントに戻った。
しかし、そう言われてもニシキは休む気になれなかった。真倥管に触るつもりでいたから、気持ちが高ぶっているし、何かをしないでいられない。
千場はニシキに何も言わずに歩き出す。
「あ、ちょっと、ヨウスケっ、」ニシキは千場に追い付いて並んで歩く。他の従業員に関係を悟られてはいけないから声を押さえて、近づいて話す。「どこに行くの? 真倥管はどうするの?」
「それより風呂だ」
「風呂?」その単語を聞いてニシキは濡れた体を温めたいと思った。「いいね、お風呂、ねぇ、ヨウスケ、背中流してあげよっか?」
「遠慮する」
「じゃあ、私の髪を洗って、」ニシキは千場の行く手を塞いで銀色のピストルを千場の胸に突き付ける。「これは命令よ、ヨウスケ」
「ふざけるな」千場は怖い顔をしてピストルを掴む。
「私はいつだって真剣よ、ふざけたことなんて一度もない、」ニシキはピストルを持つ手に力を込める。「ゴールド・フィッシュ・グループはふざけない」
なんて。
真剣にふざけてみたりして。




