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新田クラクション、真倥管レクティファイア  作者: 枕木悠
第一章 新田クラクション
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第一章①

春。阿倍野アキヒトは大坂帝国大学工学部の西嶋研究室のある搭の裏庭で、散り、落ちる、桜の花びらを睨んでいた。阿倍野の目は細く鋭い。身長は工学部の学生の中で一番高い。シルエットは細い。黒いスーツのせいでそれは強調されている。危険な香りがする、と研究室の女に言われたことがある。阿倍野はその意味をまだ理解していない。

 阿倍野は目を閉じる。そして右手を前方に突き出し長い指を広げた。

舞い落ちる桜の花びらに向かって、阿倍野はイメージしていた。

強く、考えて、目を開ける。そして目の前の桜の変化を確かめた。阿倍野は音を出さずに息を吐く。目を閉じる前と同じ桜がソコにある。変化はない。全く何も変わらない桜がある。当たり前のこと。ああ、当たり前だ。阿倍野は手の平を見つめる。手の平で心臓が奥にある箇所に触る。感じるものがある。息をしている、何者かがいる。阿倍野は息を吐く。そして裏庭の隅のベンチに腰掛け、足を組んで、シガレロに火を点けようとした。

「やっぱり無理か」

 高い場所から声がした。見上げると同じ西嶋研の千場ヨウスケが窓から顔を出して難しい顔をしていた。千場は先週二人で見に行った活動写真の影響で髪をオールバックにしている。まるで若頭だと阿倍野は笑った。千場の顔つきは、阿倍野同様鋭い。鋭いがしかしそこには優しさと子供らしさが含まれているから、角度によっては女性的だ。千場にオールバックは不自然極まりないという典型だ。千場は白衣を着たまま研究室を出て、階段を降りてきて、阿倍野の横に座った。白衣とオールバックと千場という組み合わせほどちぐはぐなものもそうないだろう。「おい、やっぱりこれからだよな、跨ってみろって」

千場の手には魔女が跨る箒。阿倍野は箒を受け取り、淀みのない動作で千場とは逆の方向に投げ捨てる。「莫迦か?」

「え?」千場はニヤニヤと粘性高く微笑んでいる。「なにが?」

「ここは大学だ」

「だから、何?」

阿倍野は一度千場から視線を離してまた戻す。「昨日の夜の話をしてもいい?」

「ああ、聞こう」

「飛べた」

「やるじゃん」

「昨日の夜、河川敷に行って、誰もいないときに箒に跨った、そしたら浮いた、浮いたがでも、それだけだ」

「うーん、気分は?」

「最高だった、」阿倍野の微笑みは冷めている。「コレが魔法かって感動した、浮いてみて見える世界がとても広がった、少し高い位置から見渡す世界は、悪くない」

「……悪くない、か、」千場は頭の後ろで手を組んで桜を見る。「悪くないだろうなぁ」

「でも、アレだ、魔法の編み方っていうのがさっぱり分からないな、千場が図書館で借りてきてくれたテキストを読んでもまるで分からない、なんていうか、脳ミソが分からないようにプログラミングされているみたいだ」

「浮いたんだろ?」千場は不思議な顔をする。「浮いて飛べたなら、まあ、俺も魔法の細かいことはよく知らないから」

「空を飛ぶのは水が高いところから低いところへ流れるのと一緒、魔法使いにとっては呼吸と一緒、テキストにそんな風に書いてあった」

「ふうん、」千場は首を傾けた。「飛ぶことが?」

「飛ぶことが」

「俺は飛べないけど、魔法使いだ」

「それはお前が特別だからだよ」

「特別じゃないな、俺の場合は特別っていうより、なんていうかなぁ、」千場は考えて目を大きくした。「特例?」

「何か違いが?」

「ああ、ある」

「説明に色は?」

「付けられないな」千場は笑う。

「……水上大学の試験って、やっぱり魔法の試験だよな」

「水上大学に行こうっていうの?」千場は笑っていた。水上大学というのは大坂湾に浮かぶ水上市という水気の多い都市にある、関西で随一の魔法大学である。「うちにもあるだろ、優秀な魔法学部が」

「魔法学部なら、去年なくなった」

「そうだっけ?」

「知り合いで誰か魔女はいない?」

「長崎とファーファルタウにいるな」千場は顎の髭を触りながら言った。千場は東京に産まれ、長崎で育った。細かいことは知らないが、長崎には知り合いの魔女がいるらしい。千場の妹は確か、王都ファーファルタウに留学中。

「どっちも遠いなぁ」

「遠いか?」

「俺とお前の距離感には、随分の開きがある」

「長崎に行かなくたって、心斎橋界隈にいくらでも塾があるだろ?」

「ああ、そうか、そういうところに行ってみるのも手だなぁ」

 阿倍野は腕を組んで考える。その折り、後ろに何かが迫る気配を感じだ。

「なーに、二人でいちゃいちゃしてるの?」

 突然の陽気な声に阿倍野と千場は同時に振り向いた。ベンチの後ろで幸せそうな表情をしていたのは二人と同じ西嶋研の徳富スナオだった。徳富は二人よりも一年後輩の二回生である。趣味は演劇鑑賞。彼女は梅田の劇場によく足を運んでいる。おそらく今日もここに来る前に劇場に行って来たのだろう。普段よりも色の多い服を着ているし、愛嬌のある丸い目が光っているからだ。徳富は二人の前に移動した。二人は間に徳富の座るスペースを作った。徳富は「よいしょ」とベンチに座った。「で、なんの話してたの?」

「別に」阿倍野は前を向いた。

「別にって、」徳富は唇を尖らせる。つまり不機嫌になった。「意味分かんない」

「徳富、」千場が顎に手をやって聞く。「お前、魔女じゃねぇよな?」

 すると数秒間の沈黙が発生。徳富は急に表情を変えて二人を交互に見る。「……あはは、そうなんだ、実はね、別に隠してたわけじゃないよ、隠してたっていうわけじゃないんだけど、大好きな二人には言いづらかったていうか」

「……マジで?」千場が言う。

 阿倍野は頭を搔いてシガレロに火を点け、吸って、煙を吐いた。空を見る。魔女も飛んでいない、澄んだ青空が広がっている。「……眠いな」

「うん、そうなの、実は私ね、」徳富は真っ赤な舌を出して微笑んでいる。「魔女じゃないのぉ」

「てめぇ、」千場はしゃがれた声を出して徳富の頭を小突く。「演技派だな、このっ」

「え、そう?」徳富は照れながら阿倍野を見る。「才能あるかなぁ?」

「ない」阿倍野は断言する。

「しょぼーん、」徳富は頬を膨らませてとても殴りたくなる顔を一瞬作って、また表情を変えた。「それで、一体何の話をしてたわけ?」

 徳富の切り替えの早さにはいつも感心する。

「どうやったら阿倍野が魔法を編むことが出来るかを議論していたんだ」

「議論か?」

「あ、まだ頑張ってるんだ、頑張るねぇ、でも、無理じゃないの?」

「昨日浮いた」

「え、嘘、凄い」徳富は丸い目をさらに丸くした。

「でも編めない、」阿倍野は糸を集めるように中空で手首を回転させている。「いくら考えても駄目なんだ、編めない、テキストに載っていた、解けていくっていう感覚もない、失敗すると解けるらしいんだ、解けるってなんだ? よく分からない」

「でも、浮いたんでしょ? 立派な魔法使いじゃん」

「魔法を編めなきゃ意味がない、」阿倍野は自分の手の平を見つめた。「浮いたって、それよりも魔法を編めなきゃ、なんていうか、面白くないなぁ」

「千場君がレクチャしてあげたら?」

「俺は特例だから」

「特例?」徳富は首を傾ける。

「そう、特例だから、つまり、阿倍野と同じ気持ちだ、一般的な魔法使いがどう思考しているのか、どのように事象を捉えているのか、俺には謎だ、正解に近いアドバイスは送れないのよ、悲しいよね、」千場は大げさに両手を広げた。「魔女の友達とかいない?」

「私の友達は君たちだけ、」徳富は悲しそうに微笑む。「知ってて聞いた? ねぇ、知ってて聞いた?」

徳富は極度の人見知りで、彼女の素直を見るためにはかなりの強引さが必要とされる。だから徳富の友達と呼べる人物は千場と阿倍野だけだった。強引に彼女に迫ったのは、三人が同じグループだからだった。実験を滞りなく進めるためには彼女とコミュニケーションを取らねばならない。二人は決して彼女の口元に魅かれたわけではないのだ。千場は遠くを見て立ち上がる。「ああ、そろそろ戻らないと」

「あっ、ねぇ、二人とも、もしかしたら全く関係ないかもしれないんだけどぉ、」徳富の口は早く動いた。「真倥管って知ってる?」

「……シンクウカン?」千場は少し歩いた先で振り返って口を斜めにした。「真空管って、アレか、あの、真空管か?」

「きっとあの真空管じゃないね、別の真倥管」

「別の真空管? 真空管じゃない真空管が、別にあるのか?」

「うん、そうそう」徳富は頷く。

「……それが何だっていうんだ?」千場が離れた場所から聞く。

人差し指を立てて唇を尖らせている徳富の方へ体を傾けた。「うーんとねぇ、群馬大学工学部研究紀要でチラッと見ただけなんだけどぉ」


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