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第二章⑩

嘉平を先頭にニシキたちはホテル一階の大浴場に向かった。大浴場の前には箒やブラシを武器のように構えているホテルの従業員たちが集合していた。美作の登場に従業員たちは口を閉じて道を開ける。

「本当にここにいるのね」男湯の暖簾の前に立って美作は嘉平に聞く。

「はい、略奪者の一人を草野が見つけております」

 近くでブラシを持った裸足の男が頷いた。上半身裸で、頭には手拭いを撒いている。筋肉質だが体つきは細い。色白だ。

「私も確認しました、」嘉平も頷く。「とても悪い目をした男、間違いなく略奪者の一人でした」

「一人、二人じゃなくて?」

「はい、一人です、もう一人はまだ」

美作は数秒間黙って何かを考えていた。「……露天の方に人をやっている? 逃げられないように」

「ぬかりはありません、先月雇ったばかりの薙刀隊が行っております、」嘉平は年季の入った木刀を握りながら答えた。「美作さん、突入の合図をお願いしますよ、この嘉平、先陣を切りましょう」

 従業員一同、美作に視線を集めて頷いた。略奪者を捉えるために誰しもが真剣な目をしている。熱が立ち込めている。美作はその熱を感じながら、冷静な表情だった。「先陣は大木、理由はピストルを持っているから」

「え、やっぱり?」大木は嫌そうな声を出す。大木も存外冷静なようだ。「やっぱりかよぉ、このっ、人でなしめっ」

「ねぇ、嘉平」美作は大木を無視して嘉平の方に体の向きを変える。

「はい、なんでしょう」

「略奪者は中に隠れていたの?」

「草野、どうだったんだ?」嘉平が早口で聞く。

「いえ、」草野は首を横に振った。「僕が掃除をしようと中に入ったときは、そいつは風呂に浸かっていました、肩まで」

「肩まで?」美作の声は半分裏返っていた。

「はい、目を閉じて、相当リラックスしている感じでした、だから最初は僕、普通にお客さんかなと思って、申し訳ありませんって断ってから掃除を始めたんですよ、掃除をしていたらそいつは温泉の効能とか聞いてきました、それから結構話が弾んで、脱衣所の掃除をしていたときです、知らせが来たのは、まさか風呂に入っている人が牢屋から逃げ出した男なんて思いませんから、それに顔も湯気でよく確認していませんでしたから、しばらく皆といろいろ探した後です、あっと思って浴場に戻ったんです、まだそいつは風呂に浸かっていました、それで気付かれないように近づいて確かめてみたんです、そしたら顔が傷だらけで回覧板に貼り出してあった写真の男の一人だって分かって、必死に声を出さないようにして、」

「ありがとう、よく分かったわ、」美作は手の平を草野に向けて制した。「そいつが何を考えているのかはさっぱり分からないけれど」

「美作さん、」嘉平が急かす。「早く捕まえてしまいましょう」

「待って、嘉平、仮にもそいつは牢屋を脱走しているのよ、どうやって鍵を開けて外に出たのか分からない、風呂に浸かっている余裕もある、私たちの知らない危険なことをするかもしれない、魔法使いなのかもしれない」

「そんな悠長な」嘉平は主張する。

「だから、魔女の私と、」美作はニシキを一瞥。「ニシキが先に行く、」美作は真倥管に軽く触れて言った。「先陣は何度も言うように、大木」

「うおっしゃあ!」大木は自分で自分の頬を叩いて鼓舞していた。何かを覚悟したような精悍な顔つきだ。「お、お前ら、見とけよっ、俺の先陣っ!」

「それと、嘉平」

「はい」

「そいつはまだ、」美作はきっと一番気になっていたことを聞いた。「浴場の中?」

「分かりません、」嘉平は歯切れよく答えた。「まだ肩まで浸かっているかもしれません」

「その、」美作の声のトーンは極端に小さくなった。「……裸で?」

「服を着たまま風呂に入るわけがないでしょう」嘉平の声はとても大きかった。

「そう、」美作は努めて澄ましているようだ。きっと美作は魔女の半分がそうであるように男の裸が嫌いなのだ。ニシキは抱き締められていたから分かる。「そうよね、服を着たままお風呂に入るわけがないものね」

「当たり前です」嘉平は答える。

美作は目を閉じて、息を吸った。決心したようだ。「……よしっ、ニシキ」

「はい」ニシキは美作の目を見て頷く。

「大木、行け」美作は短く発声し、大木の背中を軽く足で押した。

「ぶん、ぶん、ぶん、ぶん!」歪なエンジン音を発声しながらピストルを構えた大木は暖簾の奥の扉を横にガラっとスライドさせた。「て、手を挙げろってんだ、この××××野郎!」

 その文句にニシキはげんなりした。美作も。きっとその場にいた女性陣は皆同じ気持ちになったに違いない。とにかく、ニシキと美作はピストルを構えた大木の後に続く。

 きっと美作は安心しただろう。

 略奪者は新田ホテルの浴衣を着て両手を顔の横に持ち上げていた。

 そいつは脱衣所の木製のベンチに座っていた。右手には牛乳の瓶。中身は半分。顔は傷だらけだった。傷の似合う顔だ。舞台俳優のように尖った顔。髪はまだ濡れていて、頬に張り付いている。しばらく無表情だった。

 ニシキと目が合う。彼は口元だけで笑った。ニシキは横に揺れた。

「さっさと牢屋に戻れってんだ!」大木がピストルを略奪者に近づけてがなる。「いい気に風呂なんて入りやがってよ、ああん、お前自分の立場ってのを分かってんのか!?」

 無言。

「何とか言いやがれってんだよ、畜生っ!」

「待って、大木、」美作は真倥管を爪で触りながら大木の前に進み出た。「……まだアンタの名前を聞いてなかった」

「千場ヨウスケ、」声はとてもしゃがれていた。しかし、不快な声だとは思わなかった。特徴的だと評価できる声だった。ニシキの好きな種類の声だった。「あれ、そういえば、サインしてなかったけ?」

「ああ、そうだったわね、千場ヨウスケ、ごめんなさい、あなたのサインは破いて捨てたの、」美作は笑って見せる。「それで、もう一人の彼は?」

「阿倍野アキヒト、逃げたのは徳富スナオ、」千場は片言のように答える。「大坂帝大西嶋研究室の主要メンバの三人」

「大坂帝大、ああ、なるほど、」美作は口元に手を当てて頷く。「それで真倥管の技術を盗みに来たのね、遠いところからご苦労様でした、大学の関係者が来たのはコレで九回目よ」

「美作さん、それは誤解だ、誤解なんだって」

「誤解? そんな風に何度も、私たちは騙されてきた、」美作は早口で言う。「私たちが優しかったせいで、何度も騙されてしまった、もう騙されたくない、もう騙されない」

 沈黙は二秒間。

「……ピストルを降ろしてくんねぇかな?」千場は諦めた表情で大木に言う。

 大木は美作を見る。

「アンタは何があってもピストルを降ろしては駄目」美作は早口で言う。

「おう」大木は短い返事をして首を回して筋肉の緊張を解いている。

「阿倍野アキヒトは、」美作は質問する。「あなたと一緒に牢に入っていた彼はどこ?」

「知らない」千場はすぐに答えた。

 美作は千場に近づいた。そして傷だらけの頬を右手で叩いた。何かが炸裂したような音が脱衣所に響く。

「知らない、本当に、」千場は顔を正面に向けて言う。全く動じていない。頬は紅く染まっている。「目を覚ましたらあの部屋に阿倍野はいなかった、俺しかいなかった」

 美作はもう一度千場の頬を叩いた。

「……他に質問は?」千場は無表情を変えない。

「どうやって、あの牢から出たの?」

「鍵が開いていた、手枷も、足枷も外れていて、俺は簡単に温泉に入ることが出来たんだ」

「どういうこと?」美作は首を振る。

「俺、何か難しいこと言った?」

「分からない、でも、何かしたのね、阿倍野アキヒトが、何かしたんだわ、きっと」

「何かって、なんだよ」千場の表情はそこで少し変わる。僅かに切迫した表情。

美作はその変化に気付かなかったようだ。自分の思考に没頭している。「彼は魔法使い? ああ、それよりもあなたは何者?」

「だから俺は、大坂帝国大学西嶋研究室の千場、阿倍野も一緒だ」

「何かあるのね、技術が、私の知らない技術で、あそこから逃げ出したんだ」

「ああ、ある、確かにある、」千場は少し苛立っているようだった。「方法が一つだけ」

「言いなさい、早く」

「心臓のブレーキを外す」

「……心臓のブレーキって、あなた、」美作はきっとニシキと同じように頭の中で千場の声の並びを反芻させている。「……何のことを言っているの?」

「阿倍野は一度死んでいて、」千場は話し始めた。「阿倍野は実験棟の爆発事故に巻き込まれて黒焦げになった、それを助けたのは俺、死んだ阿倍野を助けるために俺は阿倍野の心臓に鬼の魂を縫い付けた、俺は魔法使いだが、普通じゃない、イレギュラで、つまりそういう力を持っている、鬼の魂を縫い付けたのはたまたま俺の妹がファーファルタウで鬼を退治したからだ、心臓に鬼の魂を縫い付けて阿倍野は生きている、鬼の魂から生命力が供給されるようになっているんだ、普段はブレーキを掛けて過剰な力が阿倍野の体に流れないようにしている、しかし、まだ試したことはないが、理論上、心臓のブレーキを外せば、鬼の魂は阿倍野の体を鬼にする、ブレーキを外すに魔法を編みながらピストルの引き金を引いてブレーキを打って外す必要がある、他に方法があるかもしれないが俺が知っている方法はそれだけ、阿倍野は自分の意志で心臓のブレーキを外すことは出来ない、しかし、外せたのかもしれない、さて、その場合の問題について考えると、非常に憂鬱になるんだが、ブレーキが外れて鬼になった場合、さて、どうなるのか、っていうのが俺には分からない、体だけでなく脳ミソまで鬼の魂の意志に呑み込まれてしまっているのかもしれない、それは非常に危うい事態だ」

 ニシキは千場の言っていることが良く理解できなかった。美作も、大木も同じ気持ちだと思う。ただ、二人とは違ってニシキはその話を真剣に聞いていて、もっともっと細かいことを聞きたかった。ニシキは世界のあらゆる魔法のことに興味がある。

「阿倍野の心臓に鬼の魂を縫合することによって阿倍野は魔力を得た、でも、阿倍野は魔法の編み方が分からなかった、だから真倥管を頼りにして、ここまで来た、俺はホテル代を払うためにここまで来た、徳富は帰りに新宿で『ノベルズ』っていう演劇を見るために来た、こんな未来は想像していなかったから、俺たちはとても、アレだ、困っている」

「あ、ははっ、」美作は首を振りながら声を上げた。「心臓、ブレーキ、魂? 一体あなたなんのことを言っているの? その話を信用しろっていうの? あなたの夢の中の話でしょ? まだ夢の中にいるんじゃないの? バカげている、よくもそんな風に出鱈目ばかり」

「……美作さん、」千場は我儘な女の子を諭すように口を開いた。「魔法工学研究は十年代の神尾重工のロケッタ研究を発端に急速に進んでいるんだよ、進み過ぎて、細分化され過ぎて、専門家じゃなければ到底理解不能なエキセントリックな技術ばかりが生まれ続けている、俺の縫合術も魔法工学にカテゴライズされるし、アンタたちの真倥管だって一緒だ、俺たちにしてみれば訳の分からない魅力的な技術だ、そういう訳の分からないものがコレからどんどん増えていくよ、きっと、そう、だから、」

「また私を騙そうとして!」美作はヒステリックに声を荒げた。「質問して回答を得ようとした私が最初から間違っていたのね、大木、さっさとこの男を牢屋にぶち込め!」

「美作さん、」千場は声を出して、ニシキの方を見た。ニシキは目が合った。理由が分からない。分からないが、なんとなく、心臓を押さえてしまった。「俺は魅力的な女性とは話し合うことが出来ないと思っていた、それは本当だった、美作さん、アンタは本当に魅力的だよ」

「はあ!?」

 瞬間。

 千場は右手を動かした。美作の反応は僅かに遅れた。

 右手にあった牛乳瓶の中の白い液体が美作の顔に全てかかる。

「嫌っ!?」美作は声を荒げた。

 ニシキは何か魔法を編もうとした。けれど目の前の景色は、状況は信じられないスピードで変わる。

 大木は千場に向かってピストルを向けた。しかし発射されなかった。大木が躊躇っているわけじゃない。引き金を引けないようだった。

 千場は大木の顎を牛乳瓶で叩いた。瓶は粉々に割れた。大木は卒倒した。千場は容易くピストルを奪う。

 美作は目を擦っている。

 ニシキはシエルミラを編むために集中しようとする。

 しかし、千場にピストルを向けられ、集中することを止めた。心臓が騒がしくなる。ここで魔法を編んで、彼を困らせることは可能だった。簡単なことだった。でも。

千場が近づいてくる。ピストルの冷たい銃口がニシキのこめかみ当たる。ニシキは目を瞑って委ねた。千場はニシキを人質に取った。

「ニシキ!?」美作は目を擦りながら呼ぶ。

「殺しはしない、」千場の小さくて優しい声が耳元に聞こえてニシキは目を開けた。「金髪の魔女にはいろいろと世話になっているから、でも、分からない」

「ニシキ!」美作はニシキと千場の体が密着しているのを見てヒステリックに高い声を出した。「嫌だ、何をするの、ニシキを離して、離してよ、離しなさいよ!」

「おっと、それ以上近づくんじゃねぇぞ、こっちに来るんじゃねぇぞ、」千場は言葉を選びながらしゃべっているのがニシキにも分かった。「美作さん、お願いだ、俺の質問に答えてくれないか、頼む」

 美作は千場のいうことを無視して真倥管に触わろうとする。

「触るんじゃねぇ!」千場はがなった。

 ニシキの体はビクッと震えた。こんなの初めて。素敵な感覚がニシキの脳ミソに溢れる。楽しくて、笑みが顔に溢れていないか、とても不安になる。

 美作はゆっくりと真倥管から指を遠ざけている。

「この状況を説明してやる、いいかよく聞けよ、さっきも言ったが俺は心臓と魂を縫合する力を持っている、つまり針と糸の魔法だ、縫合しか出来ないが、縫合しか出来ないんだ、俺は、でも、俺はあらゆるものを縫合させることが出来る、関係で結ぶことが出来るんだ、俺はたった今結んだ、ああ、結ばせてもらったよ、美作さん、アンタが真倥管に触ると俺の指がピストルの引き金を引くっていう関係を結ばせてもらった、いいか、美作さん、俺はこの素敵な金髪を殺したくはないんだ、でも、アンタが真倥管に触っちまったら、俺の気持ちなんて無視して俺の人差し指は引き金を引く、一度結んじまった関係だ、簡単には解けない、もう一度言うぜ、美作さんが真倥管に触ったら俺の人差し指が引き金を引く、さあ、俺の質問に答えて、」千場はそこで一度大きく呼吸をした。「阿倍野は、どこにいるんだ?」

「知らないわよ!」美作の絶望的にくすんだ目が、ニシキを見ていた。


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