H* 愛しき金属
夕凪は好きじゃない。けれど、夕凪の作った人間化機械フィオ[T28]は嫌いになれなかった。
優しくて明るくて、まさかフィオだったなんて思ってもいなかった。
永杜の大切な友人で、私にとっても永杜以外に親しくしてくれた唯一の友人だった。
「いつまでも友達ごっこはしてられないの」
仕方ないでしょう?、と大学の暖かな中庭に彼女の声が響く。
「冗談ですよね」
「どうして私が冗談いうの?」
「だって・・、そんな。照は」
「T28、人間化機械フィオ。創作者は夕凪。全部事実よ」
4年前地上世界に上がったのは私だけではなかった。真実に触れる者である桜井永杜のそばで調査することを目的に毎日を過ごしていた私のすぐそばで、そんな私と永杜を観察していた人間、いや、機械がいたなんて。そしてそれが照だなんて、信じたくもない現実。
「貴女、友達いないでしょ」
高校に入って半年ほどたったころ、グループ活動の長い授業を終えた休み時間。照が私にそう話しかけてきた。人間関係がどうしても浅くなってしまい、クラスになじめないでいた私はどう答えるべきか悩んだ。彼女は待ちきれずといった感じで言葉をつづけた。
「適当に頷けばいいのに。真面目すぎるのよ」
何でも正直に言ってしまう彼女は珍しく人に好かれていた。珍しくというのはいつか何かの授業で地上の日本人は曖昧というものを好み、自分を否定するものを集団となって排除する傾向ありと教わっていたからだ。その点でいえば、彼女は嫌われることはあれど好かれることなどないはずなのに、何故か友人がたくさんいて、クラスの中でも目立つ存在だった。
「私と友達になりましょ」
突然だった。
「え?」
「嫌?」
嫌というわけではないが、私が地上にやってきたのは桜井永杜の調査のためであり、決して地上の学生生活を楽しむためではない。私はまた悩んだ。そして彼女はふっと笑いをこぼして私の手を握った。
「適当に頷けばいいんだってば。まぁ、真面目なのは華のいいところだけどね」
照は簡単に私の名前を呼んで、私を簡単に頷かせた。
周りの誰が何を言おうと彼女は聞く耳を持たず、「私は華が好き」と笑ってくれた。
私にとって、たった1人の友人だったのに。
「私の目的は桜井永杜を夕凪のもとへ連れて行くことだった。この間、それを彼が拒んだでしょ?だから私に新しい命令が追加された。桜井永杜の恋人となり、HU06から彼を奪い取ること」
私はまた何も言えない。
「でもね、華」
そしてまた彼女は簡単に私の名を呼んで、そっと言った。
「記憶を消去されることがない限り私は華の友達なの。友達から、大切な人を奪うことなんてできない。華なら私の気持ち分かってくれるでしょ・・・?」
フィオをメンテナンスによって少しずつ外見を変えて、年を取っているように見せることはできる。創作者または管理者ならば記憶を消すこともできる。けれどフィオとティオには決定的に異なる点がある。
それは人間化機械フィオは与えられた命令に背くことができないことだ。
命令を与える側にもいろいろと規則がある。たとえば命を殺めるような内容や他に外傷を与えるような内容の命令は禁止されている。それを破るような命令には従わないようにできているが、それ以外の命令において、フィオが創作者または管理者の命令を無視することはできない。
「奪い取るようにと命令されたフィオが命令に背くことはできないのです、照」
それが全ての答えだった。
私の友人となったのも、永杜の友人となったのも、全て計画にそった行動でしかなく、そこに照の意思などないという事実がただそこに残される。
私に嘘までついて、彼女は命令に従う。私が友達のために譲るという人間的感情を持ち合わせていることを計算した上での行動に目が熱くなる。
「私は夕凪が嫌いです」
大嫌いです。
「それは夕凪が貴女を裏切るようにと私に命令したから?」
精一杯の思いを口にして私はそれ以上なんと言えばいいのかわからなくなった。
「華は夕凪が嫌いなだけで、私を嫌えるはずない。そうでしょ?」
そうだ、その通りだ。どれほど過去の記憶を思いだし、全てが計画のもと、照によって作り上げられたものでも、そこにあるのが全て嘘でも、私は照を嫌いになれない。
あの日、人に嫌われながら人を嫌えない私の名を呼んでくれたのは照だった。
そこに照の意思などなかったとしても、私はあの声をなかったことにはできない。
「華だって私と同じ裏切り者じゃない。」
照はいつもそうだ。思っていることをはっきり相手に伝えることができる。それはやはりとても羨ましいところでもあり、とても苦手なところでもあった。
永杜を譲ってしまえば照とは友人でいられるのかもしれない。私にはもう永杜に関する命令はなされていない。命令に従うすべしか持たない照を助けるためだったと言えば、きっと黄昏は私を責めたりしないだろうし、私が夕凪と会うこともなくなるだろう。
彼女は永杜を乱暴に扱うようなことはきっとしない。私がただ頷いて、永杜を手放せば全ては上手くいくに違いない。そう。適当に頷けばいいという、ずっと昔の照の助言通りにしていればそれで。
けれど私の中にはちゃんと答えがあるのだ。
どう答えるべきかに悩んでいるだけで、ちゃんと
答えはもっていた。
そして今も、あの日の照の言葉に包まれて、私は答えを抱いている。
「頷くことは簡単です。けれど照が言いました。真面目なのは華のいいところだ、と。だから照。私は貴女に永杜を譲ることはできません」
照の顔が一瞬泣きそうになった。機械は泣かない。だから照が泣くことはない。
けれど泣いてしまうのではないかと思うほど、照は哀しそうな目をして私を見つめていた。
「私が頼んでも?」
「誰に頼まれても、たとえ命令されたとしても私は永杜の隣だけは譲りません」
それは機械ではなく人だからこそできること。唯一ティオに与えられた欠点。
それを堂々と行使する私に照は黙り込んだ。
その静かな空気の中にできるだけそっと言葉を漏らした。
「照の言うとおり、私も裏切っていたのかもしれません」
初めて永杜に話しかけたのは恋人になるという計画にそったもので、初めのうちはただ恋人になることとしっかりと調査することだけが目的だった。それが永杜を傷つける行為であることは否定できない。
「けれど永杜を恋しく思ったのは私です」
他の誰でもなく、私自身が永杜を恋しく思い、恋しく思う相手に永杜を選んだ。
指令を受けて行動していた私と照は同じだ。喜べと言われれば喜び、悲しめと言われれば悲しむ。
けれど恋しく思えという命なしに、私は永杜を恋しく思った。
だから照もそうであってほしいと私はそっと照の手を握った。あの日、照がそうしたように。
「私の手を握るようにという命令はなかったのではありませんか」
それが何よりの答えだといい。そう思いながら見つめた先にいたのは、あの日のように優しく微笑む照だった。
「ねぇ、覚えてる?昔、華がロボットが主人公の人間を守る映画を見て言った言葉」
本当に照はいつも脈絡というものがない。内容を聞いてすぐに照の好きな映画だということは思い出したが、その先の私の発したどの言葉かを探していると、やはり照は待ちきれずに笑いながら続ける。
「私が『ロボットに感情なんてあるわけないじゃない、ただの金属なんだから』って言ったら『私はあると思います』って」
そういえばそんなことがあったかもしれない、と映画館の外の景色を思い浮かべていた。
高校の近くにある小さな映画館で、照はその映画を私と何度も見に行った。
「私ね、嬉しかった」
やはりロボットには感情がある。
「私のあたりです」
「そうね」
何でもない日常に戻ってきた気がした。そこは人の少ない昼前の大学の中庭で、秋風が優しく吹く、暖かな1日。あと1つ講義を受けたら今日はもう終わりで、いつも通り学内にあるカフェに行き、お昼をとる。
「髪でも切りに行こうかな」
照の長い髪が風に揺れる。
「照はいつもいきなりですね」
私よりもずっと人間らしい彼女は嬉しそうに笑う。
「華、知らないの?人間って失恋すると髪をばっさりきるのよ」
それもどこかで聞いたことのあるような話だった。ただの都市伝説のようなものだと思っていたが、事実だったのかと驚く。そして失恋というキーワードに思わず聞き返す。
「失恋ですか?」
「永杜を奪えなかったから。それに、永杜に華をとられちゃったもの」
あぁ、やっぱり。私は照を嫌いにはなれない。
命令には背くことのできない照に頼まれても永杜を譲らないということは、永杜を選ぶということになってしまうのだろうかと思うと少し寂しい気がした。どちらもというわけにはいかない世界であることは分かっていても、明確にこちらと選ぶのは困難だ。
「ま、永杜を奪えなかったのはいいの。命令には従った。その結果失敗したんだから、私にはもう関係ない。ねぇ、華。私がもしもまた永杜を奪いにきてもちゃんと永杜を選ぶのよ?」
選ぶという言葉は好きじゃない。選ぶという行為は得意じゃない。選択しなんてないほうがいいけれど、選択肢のないものがいるから、私は彼らの代わりにそれをしなくちゃいけない。
「いつだって、どこにいたって、華だけはちゃんと自分の中にある答えを選んでね」
私の中にはちゃんと答えがある。
「はい」
永杜が隣にいてくれるならきっと、私は私の中にある答えをちゃんと失わずにいられる。だから選ぼう、誰も捨てずにすむ道を。




