E* 居場所なき真実
今僕の目の前には、愛しい僕の彼女を機械化したという黄昏と呼ばれる男が座っていた。
華に向ける瞳の優しさに僕は自分の中に描いていた黄昏という存在との違いを感じた。
華がL03に会いに行くといいだしK17と二人で出かけると、研究室内は僕と彼の2人になった。
「黄昏といいます。HU06からどこまで聞いているかわからないけど、何か聞きたいことある?あったらどんどん聞いて。どんどん答えちゃうから」
軽いな、という印象を与えられる。
人懐こいというか人見知りなどいう言葉など微塵もなさそうな男だ。
「本当に何でも聞いて、答えられることは全部答えてあげるからね。っていうか聞いてくれないと罪悪感にさいなまれちゃう」
コーヒーにばっさばっさと白い砂糖を入れていく黄昏さんの言葉に僕の口は瞬間的に開かれた。
「甘くないですか、それ」
僕は甘いのが苦手だからだろうか、見ているだけでも胸やけがする。
「あぁ、永杜君は甘いの苦手だっけ。俺はねぇ、甘いものに目がないんだ。あと女の子も大好き」
「そんな気がします」
僕よりも大人っぽい彼は笑わなければ大人の男に見えるのに、口を開くとだめだなと思わず笑ってしまう。
「永杜君、何で俺が罪悪感を感じるのかとか、君のことを知ってるのかとか、聞かないね。気にならない?」
砂糖の中にコーヒーを溶かしたような黒い飲み物を口の中に流しこしでいる。
気にならないわけではない。聞きたいことはたくさんある。けれど突き詰めていくと最も聞きたいことが零れてしまいそうで怖い。他のことなどどうでもいいと思うほど、ずっと心の奥底にある疑惑が疑問が溢れそうで怖い。そしてその問いに対する答えを聞くのが怖い。その答えは決して華以外の口から聞くべきものではないと分かっていても、華の口から聞くことを最も恐れてしまう。
「本当に聞きたいことは、聞きたくないことで。最後にはそこにたどり着いて、僕は答えを聞いてしまうと思うから、黄昏さんが話したいことを話してくれればそれでいいです。確かに僕は何も知らないのに、黄昏さんは僕のことをよく知っているのは悔しいですけど」
それに罪悪感を感じることだってわかる。人のプライベートな部分を探らせていたのだから当然といえば当然だ。けれど僕は臆病だから、知らなくてもいいことは知りたくない。
「優しいね」
「小心者なだけです」
「優しいよ。ありがとう、HU06を責めないでいてくれて」
黄昏さんはあの優しい目を僕に向けて微笑んだ。僕の父は無口で静かで黄昏さんとは違うけれど、どこか同じ暖かさに包まれているような気になる。彼は僕が一番聞きたくて、聞けない問いを知っている。
知っているのにそれを僕が問わない限り、決して自ら話はしない。そんな優しさを感じた。
「俺が君の調査をしていた理由から説明するね」
半分ほど飲まれたコーヒーのなかに白い粉が揺れていた。溶けきれずに残った砂糖が居場所を探している。口の中に甘さが押し寄せ、また胸やけになりかける。
「真実を見る者と真実を語る者と真実を聞く者がこの世界には存在する。地上世界でそれを知っているものがいるのかどうかはまだ調査中だけど、ベースメントポリスでその3人を知らない者はいない。いつか君も会うことになると思うけど、ベースメントポリスでは未来を担う大切な柱なんだ。で、ここまで話して永杜君の中に何か、思い浮かばない?」
ただじっと聞いているだけだと思っていた僕に突然黄昏さんが問いかける。思い浮かぶとは何のことだと心の中を探ってみる。僕の知らない信じられない地下世界。そこには3人の柱となる人物がいる。その3人が未来を担い、この世界の軸となっている何かを支えている。
ふと小さく息を止めた。目の端に溶けきれなかった砂糖が残るコーヒーが映っている。
「未来を担うその3人が」
溶けきれずに残った砂糖が黒い液体の中に居場所を探しながら揺れているのと同じような気がした。
心の中に溶けきれず、残ったものが現れる。
「この世界の軸となっている何かを支えている」
ただ心の中にあるその溶け残りをそっと言葉にして黄昏さんに伝える。僕がまだ知るはずもなく想像としかいいようのないそれは、僕の中で確固たる事実のように溶け残り。
「俺はまだ何も言ってないよね。3人の他に軸となる者がいるとも、3人がそれを支えているとも言ってない。それでも君は俺の中にある真実に触れた」
そっと自分の胸に手をやる。ドクンと強く心臓の音が響いた。知りえもしないことを知っている自分が恐ろしくなった。黄昏さんの言葉が何を意図しているのか明確に伝わってくる。
「真実に触れる者、それこそが3人が支えるこの世界の軸であり、君なんだよ、桜井永杜」
本当は黄昏さんが口を開いた時から知っていた気がする。全てが当然のように納得できてしまう自分が怖かった。遡れば華が時が満ちたといった時から、なんとなく漠然と遠い未来にこれを予期していたような気さえする。
「覚醒していない状態でこれだよ。本当にその時が来れば君は、目を閉じて耳をふさいでいても、君の心が触れたものの中にある真実が全て分かってしまう。」
信じられないはずのことが、あたかもずっと昔からそうであったことのように受け入れてしまえる。
黄昏さんが居場所を探す砂糖さえ一緒に飲み込んでしまうように。何の違和感もなく、そっと事実として消えていく。
「だから君を調査していた。君はいたって普通な一般家庭に育った青年だよね。だから地上世界での生活を捨てるわけにもいかないだろうし、君自身あちらの世界で生きたいと思うのかもしれない。だけどこっちの世界も軸がなければ未来が消えてしまう危険もある。本当に困っちゃうよね」
どうすればいいか、黄昏さんはその答えを持っていないようだった。僕は明日から大学がある。バイトだってある。来月の連休には実家に帰るからと電話もいれてしまっている。そして僕には今まで生きてきた世界や交わってきた人を失う覚悟などありはしない。
「今の統都もそれを分かってるから、無理に引き止めたりはしないつもりみたいだしね。けど、もう無関係には生きられないことは分かっててほしいんだ。俺が生きているこの世界には5千万人をこす人間が生きている。人間だけじゃなく動植物も。この世界の未来がどれほど大切なものか今の君に分からなくても、壊させるわけにはいかないこと。だからゆっくり一緒に答えを探してほしいんだ」
まだここへ来てきっと3時間もたっていないだろう。この世界でかかわったのは門番のL03と黄昏さんの助手だというK17、それから目の前にいる黄昏さん。たったそれだけだ。
だから僕にはまだわからないのかもしれない、と黄昏さんは哀しそうな目で必死に訴えてきた。
白いばかりの廊下や永遠と続いていそうな大きな壁。なんの音もないこの世界に5千万人という計り知れない命がうごめいているなんて信じられないほど無機質な部屋の一室で、僕の中にはやはり白い砂糖が溶け残る。
「もうここは僕にとって大切な世界です。華の大切な人がいて、華が時を刻んだ場所で、きっと彼女にとっても黄昏さんにとっても大切な世界だと思うから、大切にしたいです。僕にしなければならないことは絶対します。僕にできることもできる限りします。」
そんな簡単な考えはきっと何も生みやしないと分かっていて、それでも僕の中にある何かがそういわせた。
「きっと大丈夫です。何もかもうまくいく。僕がそう思っているならもしかするとそれが、真実かもしれないでしょう?」
僕がそう言って笑いかけると、きょとんと驚いた黄昏さんの眼が僕をじっとのぞきこんで、そのあとふっと吹き出すように笑った。それから小さく「そうだね」と言って、彼はまた笑った。
僕は多くのことに対してあまり深く関心がないのかよく、それでいい、と思うことがある。
華さえ笑っていればいい。華の隣にいられたらいい。こんなふうに誰かが不安を消し去っていられるならそれでいい。本当はそれでいいなんてことはないはずなのに、そう思ってしまう。
たとえそれが僕の心が触れた黄昏さんの中にある真実に似せた想いだとしても、僕の中にそれが溶け残っているのだからきっと真実だろう。そんなふうに思う楽観主義な僕が世界の軸だなんて、どのみちこの世界の未来は終わっているのではないかと僕も思わず笑ってしまった。




