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Y* 七色の絵本


「夕凪さん、お客様がいらっしゃいます」


ふとクリーム色の扉のほうに目を向けて穏やかに彼女はそう言った。

真実を見るものである少女、こよみ様は現統都の末娘であった。

「今日は体調もよさそうですから、少しならお出かけされても大丈夫ですよ」

本来なら第4区で勉学に励む年頃である彼女が第6区にいるのは、お体が弱く外で過ごすのは難しいからだ。幼いころからずっと機械に囲まれ、病室で過ごしてきた彼女が真実を見る者として覚醒してからは少しずつ体力もつきはじめ、今では総合医療棟とメインタワーの上部にある特区と呼ばれる場所を歩いて回れる日もあった。

お嬢様であり、末娘である彼女にはそういう雰囲気がなく、誰にでも気さくにお話なさる暦様は人に好かれる人だ。そんな彼女のもとを訪れる人はたくさんいる。その日も誰かが来る未来という真実を見た彼女の言葉に私は暦様のお客だと思いそう言うと、彼女はその眼を私に向けていった。

「いいえ、夕凪さんのお客様なんです」

「・・・私の、ですか?」

「はい。私もお会いしたいな。そうだ、夕凪さん。あと少しここで私とお話しして下さいませんか」

可愛らしい彼女の願いに私は首を横に振ることなどできるはずもなく、そばに腰かけた。

「暦様は本当に人がお好きですね」

許される限りの時間を、人と過ごそうとする彼女はきっと体さえ丈夫であれば、他の女の子よりずっと活発な子だっただろう。元気になったらあれもしたい、これもしたいと目を輝かせてお話しされる姿はとても生き生きしている。

「皆さん、とても優しいから。私はここでこんなふうに座ってお話することしかできないのに、たくさんのことを教えて下さるんです」

彼女は羨むことも妬むこともせず、彼女のもとへ通ってくる人にいつもありがとうございますと微笑む。

人はその笑顔を見られるだけで、まるで天使に触れたような気分になれるのだ。綺麗という言葉があまりにも似合いすぎる彼女はふと何かを思いだし、そっと頬を赤く染めた。

「最近はね、戒さんがよく来て下さるんです」

「かいって、真実を語る戒ですか?」

「はい。戒さん、いつもご本を下さるんです。それも幼子が読む、とても可愛らしい絵本なんです」

「絵本、ですか?」

いくら十分な教育を受けてないといえど、彼女だってもう16だ。中等部までの文字なら読める。馬鹿にしすぎではないか、と私は心の中に小さな怒りを感じた。

「暦様はお優しすぎますよ。嫌なことはきちんと相手に告げるべきだと思います。もしかすると戒も、わざとではなく気遣いがなっていないのかもしれませんし」

語り手と呼ばれている戒は普段、ほとんど口を開かない。どんな人間かと思っていたがまさか、この優しい暦様にそんなことをするような人間だったとは。

私がそんな風に怒りを見せると、暦様はきょとんとした目で私を見て、首をかしげた。

「嫌なことですか?」

「・・・嫌ではないんですか?そんな・・・、馬鹿にされて」

私の言葉に彼女は目を丸くして、それはそれは優しく穏やかな笑みを浮かべると、小さく首を横に振って言った。

「最初は本当に私が字を読めないのだとお思いになって、絵本を下さったんです。けれど私が文字を読めることをお話しすると、戒さんは私に今度からはきちんと本にするから許してほしいっておっしゃったんです」

そっとその時を思いだしながらお話しする暦様はいつもとは少し違った恥ずかしそうな表情で言った。


「確かに文字が読めない幼子と思っていらしたのは、馬鹿にしているといえるのかもしれません。でも私はその絵本がとてもとても嬉しくてたまらなかったのです。私のことを考えて選んでくださったそのお気持ちが、嬉しかったのです」


それは心の内から溢れるような、春に似た暖かな声だった。

「だから次も、次もご本を持って来ていただけるなら絵本が読みたいです、と我儘をいってしまいました。戒さんが持ってきて下さる絵本はすべて外の世界に溢れる色がたくさん詰まっていてとても素敵なんですよ」

外の世界を知らない彼女に、彼は色の溢れるそれを選んだ。それはとても優しく暖かな心だと思った。

私ならそれを、捨ててしまったかもしれない。そう思った。

そこに在る想いになど決して気づくことはなかっただろう。

「私は暦様のようにはなれませんね。馬鹿にされたように感じるなんて」

そう言ったとき、私の中で泣き叫ぶ声がした。


『兄さんに失敗作の気持ちなんて分からない』


それは兄である黄昏に言った最後の言葉。あれ以来言葉を交わすどころか、顔も見ていない。

「私は夕凪さんのようになりたいけれど、とても難しいです。たくさんの人のお役にたてるというのはとても素晴らしいことです。夕凪さんはいつだって見返りもなしにこうして人に寄り添うことのできるお優しい人だと思います」

私よりずっと幼い天使が白いシーツの上でいつになく真剣な声でそう言った。

まるで天使のような彼女はきっと人を愛する神の使者に違いない。

神に愛された人の子だと思わずにはいられないほど美しかった。


「あ、ほらっ。お客様です」


天使はぱっといつもの活発な少女になり扉に目をやった。

コンコンと軽いノックが響き、私はそっと立ち上がる。

誰だろう。

そんな風に考えながら開いた扉の向こうに立っていたのは、とても不安そうな、むしろ泣きそうな顔をした、兄、黄昏だった。

もう何年もこんなに近くに寄ることさえなかった兄が、下唇を噛みしめてじっと私を見下ろしてくる。

「ゆうな、ぎ」

ずっと聞いていなかった彼の声はあの日と全く変わっていなかった。

少し震えて響くその声に、もしかする私は兄のくれた絵本を、たくさんの色が、想いがつまったそれをあの日、捨ててしまったのかもしれないと思った。

本当はただ優しいばかりのものを、私は。


「兄さん」


もう2度と、呼ぶことはないと思ったあの日。

憎しみや悔しさばかりが覆っていた私の中に、あの日の兄の顔が浮かぶ。

嘘だと言いたくなった。


ずっと、ずっと私ばかりが苦しんでいたはずなのに。思い出される兄の顔は全て、心配そうなものばかりで、私を苦しめている彼はずっと何かに悩んでいたのだと、そしてそれは私のことなのだと思わずにはいられなかった。

いつも、周囲は私と兄を比べて私を非難したけれど、今思えば1度だって兄さんが私を非難したことなどなかった。兄さんから与えられた傷など、何ひとつなかったのに。

私は兄から与えられたものを、勝手に刃物に変えて傷ついた。

「夕凪」

私の名を、私の表情を伺いながら呼ぶ彼に、私を傷つけることなどできるはずもないというのに。


ふと気づくと兄の向こうには桜井永杜とHU06がそっと寄り添うようにして立っていた。真実に触れる者である桜井永杜はきっと、私が己の弱さに愚かさに気付くことを知っていたのだろうか。知っていて彼をここまで連れてきたのだろうか。

だとすれば暦様があの絵本のお話をなさなったのは、それが見えたからなのだろうか。


真実はただ彼らに告げたのだろう。

私の弱さと彼の優しさが今ならちゃんと向き合えることを。

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