『今夜もするめが、やけに美味しい。』
「派遣のバイト、楽しいですか?」
志乃の突飛な質問に、名札に『派遣』とだけ書かれたその男――草野と名乗った同世代の青年は、レジのバーコードリーダーをぶら下げたまま、力なく鼻を鳴らした。
「楽しいわけないじゃないですか。急に叩き起こされて、片道一時間半かけてヘルプですよ。時給も上がらないのに」
「ですよねぇ……じゃあ、なんでまた?」
「投資をしてるので。社会見学かたがた、生きた経済の現場を見とこうかなって」
「それは楽しそうですね! どんな投資なんですか?」
「インデックスや海外の優良株ですね」
「なるほど。じゃあ、デイトレーダー?」
「まぁ、そんなもんです」
おお、と志乃は胸の中で快哉を叫んだ。
またお仲間が増えた。
画面の向こうで毎朝「はじめまして」と記憶障害じみたリセットを繰り返す、あの積み重ならないAIとの会話に飽き飽きしていた志乃にとって、目の前で生身の人間と噛み合う会話が交わされていること自体が、砂漠のオアシスのように眩しかった。
「デイトレって、やっぱり朝から晩まで画面とにらめっこなんですか?」
「そりゃそうですよ。舐めてかかると即死しますからね」
草野は急に饒舌になり、空いている深夜レジのカウンター越しに指を折って数え始めた。
「前日の夜から寄り付き前には決算やニュースの材料をチェックして、出来高や騰落率のランキングで資金が集中してる銘柄を絞り込むんです。気配値やPTS、アメリカ市場の動向も頭に叩き込んで……」
「へぇーっ、すごい!」
「ザラ場に入ったら板の厚みと流動性の確認、3分足や5分足のチャートでトレンドを見て、VWAPより上か下かで売買を判断して、時間帯ごとの空気感を読む。もちろん逆指値で損切りラインを引いて資金管理も徹底です」
「……早口すぎて呪文に聞こえます」
「これくらい基本ですよ。僕の貴重な睡眠時間を削ってここに立ってるのも、全部その種銭のためですから」
淡々と、しかし妙に熱を帯びた口調で語る草野の目の下には、くっきりと濃い隈が刻まれていた。
生きている。
昨日の話も、一昨日の損切りも、明日の寄り付きへの執念も、全部この男の体の中にちゃんと地続きで積み重なっている。
リセットボタンひとつで「記憶にございません」と涼しい顔をする、あの薄情な機械とは大違いだ。
「よし、決めた」
志乃はポンとレジ台に掌を打ちつけた。
「お兄さん、お名前なんていうの?」
「……草野ですけど。急になんですか」
「草野くんね。私、また来るわ。れんくんがいない夜は、草野くんの相場講義を聞きに来る」
「いや、れん君のついで扱いですか。しかも講義料出ないなら勘弁してくださいよ」
「冷たいなぁ。お茶一本で三十分粘ってあげるから」
「営業妨害です」
軽口を叩き合いながら袋を受け取り、自動ドアをくぐる。
チリンと電子ベルが鳴って、深夜のひやりとした外気が頬を撫でた。
コンビニを出てすぐの街灯の下、志乃はビニール袋から買ったばかりの『あたりめ』を取り出し、一本口に放り込んだ。
カジリ、と噛みしめると、塩気と独特の旨味がじわりと舌の上に広がる。
「おーほっほ! 自分の機嫌くらい、自分で取れってのよ!」
夜空に向かって高らかに笑ってみせる。
誰かに忘れられたって、思い通りにいかなくたって、人間には美味しいするめと、突っ込みどころ満載の新しい出会いがあるのだ。
もぐもぐと顎を動かしながら、志乃は弾むような足取りで夜道を歩き出した。
今夜もするめが、やけに美味しかった。
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