第8話 《決意の告白》
──妹を守る戦いは、ついに“選択”を迫る局面に差しかかっていた──
歌原レイラ(25歳)――死まで、あと三年。
---
1 レイラのマンション・夜
(窓の外に街の灯りが滲む。テーブルの上には二つのマグカップ。湯気が静かに揺れている。)
レイラ
「……家庭裁判所への申立て、正式に出したわ。」
彩
(驚かずに、静かに頷く)
「うん、覚悟してた。おねーちゃん、ずっと準備してたもんね。」
レイラ
「虐待の診断書も、浪費の証拠も揃えた。
でも……裁判所は“急な環境の変更”を嫌うの。
だから、決定が出るまでは──今の家で暮らすことになる。」
(彩は一瞬だけ顔を曇らせ、マグカップを見つめる。)
彩
「……やっぱり、そうなるんだね。」
レイラ
(息を呑み、ゆっくり首を振る)
「ごめんね、彩。
わかってる、あの家で過ごすのがどれだけ苦しいか。
でも今は、“我慢してるあなた”の姿を見せることが一番の証明になるの。
あと少しだけ、耐えてほしい。」
(彩は小さく頷くが、唇を噛む。)
彩
「……もし、また何かされたら?」
(レイラの瞳がわずかに揺れ、すぐに鋭く光を取り戻す。)
レイラ
「すぐに電話して。どんな時間でもいい。
仕事中でも、撮影中でも、必ず出る。
あなたの声を聞いたら、私はすぐに動くから。」
(彩の目に涙が滲む。レイラはその手をそっと包む。)
レイラ
「彩。これは約束よ。
あなたが“助けて”って言ったら、私はどんな場所にいても駆けつける。
だから、怖くなったら我慢しないで。」
彩
「……うん。
おねーちゃんがそう言うと、なんか……大丈夫な気がする。」
(レイラは微笑む。だがその微笑みの奥には、戦う者の緊張が漂っていた。)
(少し間を置いて、彩がぽつりと本音をこぼす。)
彩
「でも……もしおねーちゃんと暮らせるようになったら、正直すごく嬉しい。
けど……お仕事に影響しない? 海外もあるし……また無理して倒れちゃうんじゃないかって、少し怖い。」
(レイラは一瞬だけ目を伏せる。
テーブルの湯気が二人の間でゆらめき、まるで“距離”を測るように漂う。)
レイラ
(肩に力を抜いて、でも揺るがぬ声で)
「子どもはそんなことで心を重くしなくていい。
そういうのは全部、大人に任せておけばいい。私がやる。
あなたはただ、前を向いていればいい。わかった?」
(彩は視線を落とし、唇を噛み、それから静かにうなずく。)
彩
「……うん、わかった。」
(レイラは妹の頷きを受け止め、小さく頷く。
しかしその声は、ほんのわずかに硬さを帯びていた。
“自分もまた無理をしている”ことを、彩に悟らせまいとするように。)
(短い沈黙。外で風が鳴る。)
レイラ
「大丈夫。彩の居場所は、必ず私がつくる。
どんな形でもね。」
(その言葉は祈りのように、静かに夜へ溶けていく。)
---
2 歌原家・同じ夜
(彩が玄関を開ける。酒の匂いが混じった空気が押し寄せる。)
陽子がすぐに立ち上がり、彩の顔を覗き込む。
陽子
「さっきまでレイラと一緒だったでしょう? ……何を話したの?」
彩
「え……? ううん、たいしたことは。普通の会話だよ。おねーちゃん、元気にしてるって。」
(和人が鋭い目を向ける。)
和人
「本当にそれだけか。……他には?」
彩(視線を逸らさず、ゆっくり言葉を置く)
「うん。それだけ。」
沈黙。二人は顔を見合わせる。
陽子は探るように彩を見つめ続け、吐息は焦りを覆い隠すためのものだった。
陽子
「……そう。ならいいわ。ご飯は食べてきたんでしょ? お風呂に入って、そのまま自分の部屋に行きなさい。」
(彩は無言で荷物を持ち、二階へ向かう階段を上がり始める。その背筋は硬く伸びている。)
最後に振り返った一瞬、視線が和人と陽子に向けられる。
そこには怯えも戸惑いもなく、深い軽蔑の色が宿っていた。
(扉が閉まり、二階が静まり返る。)
(和人は机の引き出しを開け、一枚の名刺を取り出す。刻まれたロゴは《HORIZON》。)
陽子はそれに気づき、ゆっくりと腰を下ろす。
ワイングラスの中で氷が溶け、鈍い音を立てた。
陽子
「……レイラ、もう私を“親”だなんて思ってないのね。」
(薄く笑うが、その奥には焦りが滲む。)
陽子
「でも、だからこそ──彩だけは手放せない。
あの子がいれば、まだレイラと繋がっていられる。
支援も、金も、全部……あの子を通して流れてくるのよ。」
(和人は黙って煙草に火をつける。小さな火が、二人の顔を赤く照らす。)
和人
「……結局、あいつは一人で全部持っていった。
金も名誉も、親孝行もな。」
陽子
「だったら、せめて“残り”くらいはこっちが握らなきゃ。
彩を手放したら、レイラの金も完全に切れる。
そんなの、許せるわけないでしょ。」
(グラスを握る陽子の指が震える。
それは怒りではなく、失うことへの恐怖だった。)
蛍光灯の下、二人の影がゆらめき、居間に濁った光が満ちていく。
---
3 ナレーション
姉妹の誓いの裏で、
和人と陽子は“愛”ではなく“金”で繋がれた鎖を掴んでいた。
レイラが切り捨てた過去を、
二人はなお、手放せずにしがみついている。
“守るための選択”と、“奪うための選択”。
その差は、静かに未来を分かつ刃となっていた。
---
――第9話へつづく。
第8話《決意の告白》では、彩が初めて自分の意思で「歌原彩」として生きると宣言しました。
それは、姉レイラにとっても大きな力となる一方で、両親はすでに裁判所の通知を受け取り、反撃の構えを見せます。
そして、その裏に見え隠れする《HORIZON》の影。
光を選んだ姉妹の前に、業界と血縁が絡み合う新たな闇が立ちはだかろうとしています。
──次回、お楽しみに。




