第31話《遺書が灯すスタートライン》
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【1】《UTAHARA OFFICE》・会議室
(午前9時。柔らかな光が丸テーブルを照らす。
中央には書類の束と、白い封筒──“遺書”。
空気はわずかに張りつめ、誰も無駄に息を吐かない)
(渡辺秀樹、資料を閉じて小さく息を吐く)
渡辺
「……しかし、本当に遺書が見つかるとは。
彩さん──どうして今、このタイミングで?」
(彩は一瞬瞬きをし、静かに首を振る)
彩
「私も知りませんでした。一昨日……マンションのポストに入っていたんです。」
(南条、椅子をきしませて身を乗り出す)
南条
「はぁ?
いや、それイタズラかもしれないでしょ。なんで信用するの?」
(彩は迷わず封筒に触れる。指先は震えていない)
彩
「これは姉の遺書です。
──確信があります。」
(室内の空気がわずかに変わる)
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【2】静寂の中の証言
渡辺
「理由を聞いてもいいか?」
(彩はゆっくりと息を吸う。視線は封筒の“手書きの宛名”に触れたまま)
彩
「封筒には、
“レイラが最も信頼する者より”
と書かれていました。」
南条
「いやいや、それだけじゃ根拠には──」
彩
「それだけじゃありません。」
(彩、封筒を開き、一枚の紙をそっと取り出す)
彩
「──この一文です。」
> 『彩がモデルを目指した小学一年のあの日、
二人で一緒にランウェイを歩こうと誓った──
その“あの日の約束”こそが、これが歌原レイラの意思である証として、ここに記す。』
(窓が揺れ、風の音が強調される。
渡辺も南条も言葉を失う)
南条(小声)
「……そんな約束、聞いたことない……」
彩
「私と姉だけの秘密です。
親戚にも、事務所にも、友達にも話していません。
姉もきっと同じです。」
(彩の声は淡々としているが、奥に“揺るがない温度”が宿る)
彩
「だから──これを書けるのは姉だけ。
または、姉から託された誰かだけです。」
渡辺
「つまり、レイラさんは生前に、
“遺書を渡す相手”まで段取りしていた可能性があると。」
彩
「はい。
姉は……いつも何手も先を見ていましたから。」
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【3】紙の“匂い”
(彩は遺書を静かに閉じる。
ふと、指先を鼻先へ寄せる)
彩(心の声)
──この香り。
姉が最後まで使っていた、あの香水。
微かだけど……消えていない。
(香りの記憶が瞳を静かに揺らす)
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【4】渡辺の決断
(渡辺、椅子を正し、遺書を丁寧に持ち直す)
渡辺
「……法的な効力はないかもしれない。
だが、これはレイラさんの意思だ。俺はそう認める。」
南条
「代表……?」
渡辺
「レイラさんを近くで見てきた人間ならわかる。
この文体と温度は“偽物には書けない”。
想いの深さが筆に滲んでる。」
(渡辺、彩を見る)
渡辺
「彩さん。
これは**レイラさんの“最後のプロデュース”**だ。
君に託された“スタートライン”なんだと思う。」
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【5】彩の決意
(彩は深く頷く。光が静かに彼女を照らす)
彩
「……はい。
この遺書のおかげで、“次”に進めます。
姉がいなくても──姉の想いに恥じない仕事をします。」
南条
(小さく笑って)
「……あなた、ほんと揺れないよね。尊敬する。」
彩
「揺れてますよ。
でも……立ち止まらないだけです。」
(その言葉に渡辺も微笑む)
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【6】与那嶺家・深夜
(薄青いモニター光。六畳間。
雨が窓を叩き、湿気が紙袋をしならせる)
(良太は古いノートPCの前に座り込み、
隣ではレイラが淡い光の身体でそっと画面を覗き込む)
レイラ(滲むように)
「……こうしん。データ……見る。」
良太
「今見てるって。待て。回線弱いんだよ、うち。」
(読み込みの丸いアイコン。数秒後、ページが切り替わる)
画面
〔代表取締役:渡辺秀樹(更新日時:今日19:03)〕
レイラ(光がふっと強まる)
「……かわった。
代表……かわった。
やっと……軽く、なった。」
(透けた指先がモニターをすり抜ける)
良太
「ほんとだ。変わったな。
──お前が
投函した遺書、効いたんだよ。
彩さん、信じてよかったな。」
(レイラ、胸の前で手を握りしめる。光が震える)
レイラ
「……うれしい。
彩、ひとりで……全部、しなくていい。
未来……つぶれない。」
(次のタブが開かれる)
画面
〔専属モデル一覧:歌原 彩〕
レイラ(浮き上がる)
「……あ。これ……!」
良太
「ついに登録されたな。正式な所属モデルだ。」
レイラ(震える声で)
「彩……事務所……入った。
“あの子の場所”……できた。
よかった……ほんとに……」
(涙の代わりに光の粒が零れる)
良太
「彩さん、ついにデビューか……姉としては最高だろ。」
レイラ(小さく)
「良太……ありがとう。
彩、救う……これ、最初の“一歩”。」
良太
「いや俺さ、交通費なさすぎてフィギュア何体質屋に出したと思ってんの。」
レイラ(ゆっくり振り向く)
「損……させない。
あとで……“霊の恩返し”。」
良太
「軽いんだよ言い方が。
で? もう安心だろ。仕事も決まったし。
……成仏すんの?」
レイラ(即答)
「しない。
彩……まだ歩く。
これ、始まり。
最後まで……見届ける。」
良太
「だよな。お前、成仏する気なんて最初からねぇよな。」
(レイラ、宙に座るように足を組む)
レイラ
「良太……やさしい。
ひとつ……お願い。」
良太
「なんだよ。」
レイラ
「良太……におう。
憑依の前……おふろ、入る。
ほんと……臭い。彩の家でも……臭かった。」
良太
「……今すっごい良い流れだったのに!?
わかったよ、入るよ!」
レイラ(満足げ)
「うん。よき。
清潔、大事。モデル界も……幽霊界も、同じ。」
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ナレーション
──その夜、雨音とモニター光の中で未来が静かに動いた。
代表の座は守られ、
専属モデルとして彩の名が刻まれた。
死者が残したのは支配でも束縛でもない。
ただ──“道を塞がないため”の、小さな光。
香りの記憶だけを胸に、
彩の歩みは、止まらず続いていく。
第32話へ続く
【あとがき】
今回のエピソードは、
“遺書”という重い題材を扱いながらも、中心にあるのは暗さではなく、
「道を塞がないための光」でした。
歌原レイラが残した遺書は、
財産分配のためでも、過去を整理するためでもなく、
ただ一人──妹・彩の未来が潰れないようにと用意された。
あの日、誰にも話さなかった幼い約束。
それを唯一の“鍵”として記し、
もしもの時に彩が正しい方向へ進めるように置いていった布石。
法的効力はなくても、
そこに宿るレイラの温度と筆跡は、
彩にとって何より確かな「意思の証明」になったはずです。
そして今夜、
与那嶺良太の六畳間に灯ったモニターの小さな更新情報は、
レイラと彩にとっての“新しいスタートライン”でした。
代表の交代。
専属モデルとしての登録。
ようやく手にした、彩という一人の人間の「居場所」。
レイラが守ろうとしたものは、
生死を超えて、確かに形になり始めています。
このエピソードは、
レイラが残した想いが初めて“現実を動かした瞬間”でした。




