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第30話《壊れた家族、動き出すオフィス》



【1】歌原家リビング


(薄い黄昏。テーブルの上の封筒だけが、異様な圧を帯びて沈んでいる)


和人

「……ふざけんなよ。三十億だぞ?

半分は税金で持ってかれて……

俺もお前も“七億しか”残らねぇ。

日本はどこまで腐ってんだ。

法律使って国民からカツアゲするヤクザ国家かよ……クソが。」


(陽子は数字だけを追いながら、まぶた一つ動かさない)


陽子

「いいじゃない。七億よ。

一生働いても触れない額。

この金に満足できないなら……人として終わってるわ。」


和人

「終わってる?

……それを言うのお前かよ。」


(陽子、乾いた音で書類を閉じる)


和人

「大金入ったら、真っ先にホストに突っ込むと思ってたが……

帰ってきたんだな。真人間のフリか?」


陽子・心の声

「……まぁ、当たってるけど。」


(互いの沈黙。黄昏が空気を濁らせる)


陽子

「それで? 何に苛立ってるの?

七億よ? 一生守れる額。

欲が膨らめば破滅するだけ。」


和人・心の声

「言えるかよ……投資に失敗して

三日で一億溶かしたなんて……

七億が、もう六億になってるなんて……言えるか。」


陽子

「偉そうに言ったけど、私も人のこと言えない。」


和人

「は?」


陽子

「惚れたホストに一億渡したの。

“見返りはいらない”なんて言って。

あれは……完全に正気じゃなかった。」


(陽子の声は笑っているのに、目だけが虚ろだ)


陽子

「その男、子どもが海外の手術で五千万必要って泣きついてきて……

『一億あれば救える』って。

……情に落ちてたのよ、完全に。」


(通帳を閉じる指が震える)


陽子

「金なんて……狂えば一瞬で蒸発する。

男に狂っても、お金に狂っても。

……私も、あんたも。」


(そのとき──スマホが震える)


和人

「……なんだよ。」


(通話を押す)


代理人

『和人さん……緊急のご連絡です。《UTAHARA OFFICE》の代表取締役、

……歌原彩さんから、渡辺秀樹という人物に変更されています。

これで、完全に“手出し不能”です。』


和人

「……は?」


一拍の“間”。


和人

「はぁ!? 未成年の娘だぞ!?

俺が覆せるだろ!!

お前が前に言ったよな!?

“会社の価値がピークに達してから、親の権限で代表を差し戻せる”って!

それを利用して売ったほうが得になるって言ってたんだろ!?

何とかしろ!!」


(受話口の向こうで、重い沈黙)


代理人

『……和人さん。

正直に申し上げますが、今回のケースは“制度の境界”にあります。

レイラさんが勝訴した親権者変更審判は、通常より強く権限を制限する判決でした。

その効力が“会社法上の代表権”にまで及ぶ前提で、判例は存在しません。

……前例がないため、こちらでも予測の限界がありました。』


和人

「予測の限界って……お前、それで飯食ってんだろうが!!」


代理人

『お気持ちは理解します。ですが──

あの判断に最終的に“同意”したのは、あなた自身です。

私はあくまで“可能性”を提示しただけで……』


(声色が逃げ始める。冷たさが滲む)


代理人

『加えて、彩さんには現在、

家庭裁判所が指定した“財産管理人”がついています。

つまり会社の決定権は、彩さん本人と管理人である北条弁護士のみ。

……現時点で、あなたには一切の権限がありません。』


和人

「ふざけんな……ふざけんなよ!!

責任取れよ!!」


代理人

『……申し訳ありませんが、

この件についてはこれ以上、対応しかねます。

では──失礼します。』


(ピッ。無慈悲に通話が切れる)


和人

「──おい!!

逃げんな!!

おい!!

……クソッ……クソがぁ……ッ!!」


(スマホを握る拳が震える。怒りと恐怖が喉に詰まる)


(陽子がゆっくり顔を上げ、和人の崩れ方を淡々と見つめる) 

 

陽子(心の声)

「……は?

ホライゾンの渡辺が、《UTAHARA OFFICE》の代表取締役……?」


(指先の力が抜け、通帳がわずかに揺れる)


陽子(心の声)

「彩……あの子……

売れば数億は固い会社よ?

“七億”どころじゃない額を、簡単に手放したの……?」


(乾いた笑みが浮かび、しかし目の奥だけが揺れる)


陽子(心の声)

「バカなの……?

それとも……私には理解できない世界で、

ずっと一人で戦ってきたの……?」


(沈黙。胸の奥がじわりと痛む)


陽子(心の声)

「……レイラが遺した“光”を、あの子は守りたかったの?

金じゃない“何か”を選んだ……?

そんな決断、私は一度もできなかったのに……」


(深く、ゆっくり吐息を漏らす)


陽子(心の声)

「……どうして彩がこんな重さを背負うの。

私も和人も、何もしてあげられなかったのに。」



【2】歌原オフィス・会議室


(白い昼光。ガラスのテーブルの上に契約書が静かに置かれる)


(北条弁護士、南条司、財務・法務統括の榊原蓮、彩と渡辺が向かい合って座る)


(ペン先が紙を切り裂くように走る)


カツ……カツ……


ナレーション

──今この瞬間。

歌原彩から渡辺秀樹へ。

“歌原オフィス”の代表取締役の座が正式に手渡された。

レイラが一人で灯した小さな火は、

別の誰かの掌へ移される。


南条

「……まさか、レイラさんの遺書が出てくるとは。

こんな形、誰も予想できませんよ。」 


榊原・心の声

「……ホライゾンの“渡辺常務”が、このオフィスの社長に。

ようやく、体制が整う……。

さすがに彩さん一人では荷が重すぎた。

北条先生も南条もいるとはいえ、トップの不在は企業の死だ。

正直、助かった……。」 


北条弁護士

「筆跡は鑑定済みです。

レイラさん本人のもの。

ただ、法的効力はありません。」


「……有効かどうかは問題じゃありません。

お姉ちゃんの意思がそこにあるなら……私は従います。」


(渡辺が、少しだけ笑う)


渡辺

「人生……わからんもんだな。

昨日まで左遷先で段ボール運んでたのに、

今日はレイラの事務所の代表だ。」


「渡辺さん……ホライゾンを辞めてまで……本当にいいんですか?」


(渡辺は会議室を見渡す)


渡辺

「……俺は、この事務所のことを詳しく知ってるわけじゃない。

でも、ここに入った瞬間にわかったんだ。


机の配置も、光の通し方も、置かれた資料の癖も──

どれも“レイラの呼吸”で組まれてる。

ホライゾンで何年も一緒に仕事してきたから、

その“癖”が残ってる場所は、一発でわかる。」


(壁の姿勢ライン、鏡の指の跡。

資料棚の書類は“触れられた順番”ではなく、

“レイラが呼吸しやすい順番”で並べられている──

その癖を辿るように視線を滑らせながら)



渡辺

「ここは、レイラが最後に選んだ“居場所”で、

全部を注ぎ込んだ場所なんだって……

その空気だけで理解できた。


そんな場所で、働けるなんて──

こんな光栄なことはないよ。

それにこれは……レイラの意思でもある。

だったら俺は迷わず引き受ける。」


「……ありがとうございます。」


(渡辺が背筋を正し、声が“代表”のそれになる)


渡辺

「さて──初仕事といこうか。」


渡辺

「歌原彩さん。 

《UTAHARA OFFICE》の専属モデルとして──

あなたと正式に契約を結びたい。」 


「……わ、私が……?」 


(戸惑いの奥で、胸のどこかが静かに脈打つ)



南条が微笑み、北条が静かに頷く。


ナレーション

──影を背負って立っていた少女は、

この日、初めて“光の中心”へ歩み出す。 



第31話へ続く


【あとがき】


《UTAHARA OFFICE》は、長いあいだ“欠落した組織”だった。


本来はレイラを中心に、

トップモデルを支えるための七名のプロチームが存在した。

だがレイラの死と同時に、その輪は音もなく崩れ、

残ったのは──南条ただ一人。


トップだけが抜けたのではない。

支えるはずの六つの専門領域が一気に消え、

そこに立たされたのが、当時まだ女子高生だった彩だった。


組織という形を保っていたのは、

南条の根気と、彩の“存在”だけ。

それはもはや会社ではなく、

“遺された火を消さずに持ち続けていた場所”に近かった。


そして今日、ようやくその空白が埋まった。

レイラの呼吸を理解し、

ホライゾンでその背中を見続けてきた渡辺秀樹が、

正式に代表として席を得た。


トップが少女で、チームが一人だけという歪な体制は、

ここでようやく“組織”としての再出発点を迎える。


七億、残骸、沈黙──

崩れ落ちた家族と、途切れた過去の向こう側で、 

《UTAHARA OFFICE》はようやく本来あるべき配置を取り戻し、

静かに、しかし確かに動き始めた。


第31話へ続きます。

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