第3話 《世界が動いた日》
歌原レイラ(24歳)――死まで、あと四年。
その春、日本の空気は一人の来日で揺れ動いていた。
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1. メディアの熱狂
民放のワイドショー、新聞の号外、ラジオのニュース、そしてSNS。
すべてが、ただひとりの来日を報じていた。
テロップが並ぶ。
『ファッション界の帝王、アレッサンドロ・ノルディ来日』
『天皇陛下ご拝謁、首相官邸で会談へ』
キャスターの声が重なる。
「パリ、ミラノ、ニューヨーク、ロンドン──そして《ノルディ・コレクション》。
五大コレクションの中で、デザイナー自身の名を冠する唯一の存在です」
羽田空港に到着する黒塗りの車列。
沿道に押し寄せる人波、フラッシュの雨。
皇居での表敬、首相官邸へ入る映像。
異例のスケジュールに、日本中の視線が釘付けとなっていた。
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2. 首相官邸・爆弾発言
会見ホール。閃光が乱れ飛ぶ中、両者が登壇する。
首相
「わざわざ日本へお越しくださり、心より感謝申し上げます」
ノルディ(通訳を通して)
「感謝するのはこちらです。ただ──私は儀礼のために来たのではありません」
記者席がざわめく。シャッター音が一斉に走る。
ノルディ(ゆっくりと言葉を置きながら)
「私の目的はただ一つ。……歌原レイラです」
会場がどよめき、首相が目を瞬かせる。
「彼女は正式に、私のコレクションを辞退すると通達してきました。
だが私は理解できない。
彼女が心を痛め、歩みを止めている理由が──虚像にすぎないことを。
世界で最も“本物”に近いモデルを、国のスキャンダルで傷つけている現状を、私は認めない」
通訳の声が震えながら広間に響く。記者たちの手が一斉に上がり、シャッター音が爆発する。
ノルディは一歩前へ出て、断言した。
「歌原レイラがいないコレクションなど……」
(静寂の一拍。会場全体が固まる)
「……開催する価値はない」
その一言は、政治的儀礼を超えた“宣言”として刻まれた。
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3. SNSの激変
会見の映像は切り取られ、SNSへ。
数分も経たずにトレンドが塗り替えられていく。
「ノルディって誰?そんなすごい人なの?」
「世界五大コレクションの帝王だぞ……」
「その人が“レイラがいなきゃ意味ない”って言ったんだって!」
「叩いてたやつら赤っ恥じゃん」
トレンド欄には肯定の言葉が並ぶ。
#ノルディ会見
#レイラを守れ
#世界が動いた
#本物のモデル
つい数日前まで「作り物」「スポンサーに抗議しろ」で埋まっていたはずのネットが、
いまやレイラを称賛し、守ろうとする声で満ちていた。
──数日前まで石を投げていた人々が、今は掌を返して「味方だ」と叫んでいる。
私は何も変わっていないのに。
称賛の奔流は確かに力強い。だが同時に、その軽さも浮き彫りにしていた。
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4. 彩の部屋
彩はベッドに腰をかけ、スマホを握りしめていた。
三日間──学校では休み時間に隠れて、夜は眠い目をこすりながら──必死にアンチへ反論を投げ続けてきた。
指は赤く、肩は重い。
視界は霞み、瞼は鉛のように重たかった。
だが今──目の前のタイムラインは、まるで別世界だった。
彩(心の声)
《……ネットの中が、おねーちゃんの味方で溢れてる……》
肯定の言葉、擁護の声、トレンドの光。
スクロールするたびに押し寄せ、彼女を包み込む。
彩の指が震え、スマホが床に落ちて乾いた音を立てた。
しばし呆然とした後、彩はそれを拾い上げる。
光に照らされた画面を見つめながら、小さく笑った。
彩
「三日間、必死に打ち続けたあたしの努力も……
おねーちゃんを傷つける無数のアンチコメントも……
ぜんぶ、一言でひっくり返した。
……ノルディの口から、おねーちゃんの名前が出ただけで」
(胸の奥で何かが弾ける。疲れで重かった体が、急に軽くなるようだった)
彩
「……おねーちゃんって、あんなすごい人と肩を並べて仕事してたの?」
(その言葉は驚きというより、祈りに近かった。
誇らしさと憧れが胸を満たし、眠気も痛みもすべて吹き飛んでいく)
彩
「……指、もう動かなくてもいいや。
だって、世界が味方してくれたから」
スマホを胸に抱きしめ、深く息を吐く。
世界が動き、姉が守られた瞬間を、彩は確かに感じていた。
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――第4話へ続く。
今回の第3話では、姉を守るために必死に放った彩の「拙い矢」が、世界の援護射撃へと繋がっていく瞬間を描きました。
小さな抵抗も無駄ではなく、やがて大きなうねりに変わる。彩にとっては、それを目の当たりにした初めての体験だったと思います。
この物語は、まだ生前のレイラを描いています。
彼女の妹への愛と献身、そしてスターとしての軌跡を、どうか見届けてください。
その光と影が、後の展開に深く繋がっていきます。




