第23話 《六人が去った日、そして一人が残った日》
0 光を失った十二日間
十二日──それは、光を失った時間の長さだった。
歌原レイラの死から十二日後。
白い壁に囲まれた《UTAHARA OFFICE》の会議室には、まだ香水の残り香が漂っていた。
短い命ではあった。だが、確かに“伝説”はここで息づいていた。
そこに集まった《チーム・レイラ》の七人は、それぞれ白い封筒を手にしていた。
封筒の角はわずかに折れ、指先の熱で湿っている。──退職届。
窓の外では春の風が木々を揺らし、光が差し込んでいる。
だが、その部屋の空気だけは、冬のように冷たかった。
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1 沈黙の会議室
加納ゆかり(マネージャー)が静かに口を開く。
「……みんな、久しぶり。」
返事はない。紙の擦れる音と時計の針だけが響く。
最初に沈黙を破ったのは、メイクアップアーティストの安藤詩音。
「正直、もうここに来る理由はないと思ってた。“レイラ”がいないなら、私たちの仕事も終わりでしょ。」
ヘアスタイリストの立花遥が頷く。
「あの人の髪に触れられることが、私の誇りだった。
でも、もう“あの質感”には二度と出会えないと思うと……怖いのよ。」
スタイリストの井原柚月が息を吐く。
「でも、一応は社員だから。筋は通して辞めないと。……そうしないと前に進めない。」
SNSプランナー南条司が背にもたれて呟く。
「淋しくなるな。チーム・レイラの現場、俺にとっても特別だった。」
カメラマン・黒崎遼が腕を組む。
「……ああ。この顔ぶれなら、どこでも通用するさ。」
柚月が笑う。
「私は御堂玲奈のチームに誘われた。次はそっちでやるつもり。」
井原「まだ世界には届かないけど、あの貫禄で二十三歳……いい選択よ。」
東雲真理が小さく首を振る。
「まだ実感がないの。扉が開いたら“何してるの、仕事!”って聞こえそうで。」
沈黙。
そのとき──ドアが開いた。
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2 少女の光
歌原彩と北条弁護士、そして財務・法務統括の榊原蓮が入室する。
春の光を背に、スーツ姿の少女が立っていた。
その瞳には、震えよりも強い意志の光が宿っている。
「皆さん……葬儀のときは、本当にありがとうございました。」
安藤が微笑む。
「彩ちゃん、しっかりね。レイラの分まで幸せになりなさい。」
「ありがとうございます、安藤さん。」
北条が資料を掲げる。
「昨日付で、歌原彩さんが《UTAHARA OFFICE》の代表取締役に就任しました。
本日は、皆さまの退職届の確認をさせていただきます。」
彩が一歩前へ出る。震える手を握りしめ、まっすぐ声を放つ。
「お姉ちゃんの会社を……終わらせたくありません。どうか、力を貸してください。」
あまりに幼く、あまりに無謀な言葉。
けれど、その“居場所を守りたい”という願いは確かだった。
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3 榊原の報告
榊原蓮が口を開く。
「現状報告。
死後一年の残存収益は十五億。香水ラインは前年比一五〇%、コスメも契約継続中。
CMは五社が追悼枠で放送、SNS広告も安定。
人件費・税金・維持費を払っても黒字だ。──オフィスの価値は、まだ十分にある。」
一同が顔を上げる。
「運営なら十人で足りる。経理二、法務一、マネジメント二、派遣三。
外部会計士と顧問弁護士を入れても人件費は年一億以内。
十五億の収益に対して支出は一割未満──経営は健全だ。」
北条が呟く。
「……まさか、ここまでとは。」
彩の表情に、かすかな希望の光が差す。
「お願いします……もう一度、力を貸してください。」
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4 一流の場所
安藤詩音が静かに問う。
「彩ちゃん……このオフィスに、レイラに匹敵するモデルを呼べる?」
井原柚月が視線を伏せる。
「私たちがついていったのは、“世界で勝負できる人”だったから。
どんな光も、彼女が意味を与えてくれた。今は、その中心がいないの。」
立花遥が続ける。
「現場って、空気で変わるのよ。
レイラがいると、スタッフ全員の手が自然に同じ方向を向く。
あの集中力は、もう誰にも再現できない。」
加納ゆかりが椅子を押して立ち上がる。
「私たちは“一流”の現場で仕事をするためにここまで来たの。
でも今のこの場所では、それができない。──気持ちはわかるわ、彩ちゃん。
一流には、一流の居場所があるのよ。」
安藤が小さく呟く。
「……ただ、一人を除いてね。」
六人の視線が、ゆっくりと南条司へと向いた。
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5 南条の選択
南条が肩をすくめる。
「……なんか視線が痛いんですけど?」
柚月が笑う。
「あんた暇でしょ。残って彩ちゃん助けてあげなよ。」
ゆかりが冷ややかに言う。
「レイラはあなたを拾ったけど、正直、私は必要性を感じなかったわ。」
南条は苦笑する。
「拾ったって……犬じゃないんだから。俺は“レイラの審美眼”で正式にスカウトされたの!」
黒崎がぼそり。
「そのときは審美眼、曇ってたんだろ。」
東雲真理が静かに微笑む。
「でも、現場を知ってるあなたなら立て直せるかもね。……頑張って。」
立花が言う。
「SNSの数字は確かに強い。でも、それだけじゃ会社は動かない。
私たちは職人。光の中心がいなければ、腕を振るう場所もないの。」
静寂。
ひとつ、またひとつと封筒が机に置かれていく。
乾いた紙の音が、花弁の散る音のように響く。
机の上に並んだ封筒は六つ──《チーム・レイラ》の終幕を告げる音だった。
榊原蓮が南条を見つめる。
「南条。お前が残るなら、まだ立て直せる。数字も資金もある。だが“灯り”を点けられるのはお前だ。」
南条は小さく笑う。
「……俺も辞めるつもりだったんだけどな。」
榊原は首を振る。
「理屈じゃない、“責任”の話をしてる。」
彩の声が震える。
「……お願いします。どうか、力を貸してください。」
安藤詩音が茶化すように微笑む。
「彩ちゃん、“司お兄ちゃんお願い”って言ってごらん? きっと落ちるわよ。」
「つ、司お兄ちゃん……お願いします……!」
彩の涙がテーブルに落ちた。
南条は深く息を吸い、封筒をポケットに戻す。
「……しゃーないな。
レイラさんには返しきれないほどの恩がある。
その妹が“助けてください”って言うなら、もう少しだけ頑張ってみるか。」
静かな拍手のように、空気が柔らかく揺れた。
それは、終わりではなく──新しい物語の始まりだった。
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6 船出
外。白い看板が風に鳴る。
南条は缶コーヒーを片手にオフィスを見上げる。
「まさか……チーム・レイラで俺だけ残るとはな。」
隣で彩が微笑む。
「ありがとうございます。これで、お姉ちゃんの会社は守れます。」
南条は肩をすくめる。
「その笑顔、たぶん一週間ももたないぞ。
──まぁ、お高くつく社会勉強だ。やるだけやってみな。」
彩が深く頭を下げる。
風が吹き抜け、春の光が頬を撫でた。
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ナレーション(彩)
この日、私は《UTAHARA OFFICE》の代表取締役になった。
資金はあった。帳簿も黒字だった。
けれど、私は何も知らなかった──会社の仕組みも、業界の常識も。
それでも、たったひとつだけ確かなことがあった。
お姉ちゃんが命を懸けて築いた“場所”を、
おとなたちの都合で消されたくなかった。
だから私は立ち上がった。
経験も肩書きもなく、ただ想いだけを武器に。
この日から、私の戦いが始まった。
まだ何も知らないまま、“白の革命”の扉を開いた日だった。
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チーム・レイラの七人。
六人が去り、唯一残ったのは──SNS・メディアプランナー、南条司。
理想と現実の狭間で、それでも彼は立ち上がった。
その一歩が、やがて業界を揺るがす《白の革命》の始まりとなる。
第24話へ続く
あとがき
かつて“伝説”を支えた《チーム・レイラ》。
メイク、スタイリスト、ヘア、撮影、演出──七人の手で創られた奇跡は、
今日、静かに幕を下ろした。
六人が去り、残ったのはただ一人。
SNS・メディアプランナー、南条司。
彼は誰よりも現実を知り、
それでも誰よりも情に動かされた。
数字では測れない想いが、会社をわずかに呼吸させる。
その灯が、後に《白の革命》と呼ばれる波を生むことを、
このとき誰も知らなかった。




