第二章《白の革命》第22話 『姉の遺産』
> 奪われても、光は消えない。
少女の覚悟が、後におとなたちの常識をくつがえす。
歌原レイラの死から、十日後──
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0 静止した家
(春の光がカーテンの隙間からこぼれている。
玄関には取材用の名刺や週刊誌が散らばり、花瓶の白い花はしおれていた。)
ナレーション(彩)
レイラが死んで十日。
葬儀のあと、実家には毎日のようにマスコミが押しかけていた。
でも──もう誰も来ない。
花は枯れ、カメラも去り、残ったのは沈黙だけ。
(テーブルにはワインボトルと化粧品。
母・陽子が鏡の前でリップを塗り直している。)
ナレーション(彩)
母が入念に化粧をするときは、決まって朝帰り。
まだ高校一年だけど、もう分かっていた。
娘を亡くしても、鏡の中しか見ない人。
変わらない。──もう、変われない。
彩
「……どこか行くの?」
陽子(鏡越しに笑う)
「ちょっとね。友だちと会うの。大事な話があるのよ。」
(香水を吹き、ドレスの裾を整える。ヒールの音が玄関に響く。)
(ドアが閉まる。香水の残り香だけが部屋に浮かぶ。)
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1 静寂と呼吸音
(父・和人がリビングに入ってくる。
ワイシャツはしわくちゃ、スマホを耳に当てたまま。)
和人
「お、起きてたか。飯? 勝手にしてくれ。」
彩
「今日、学校……休むね。」
和人(興味なさげに)
「あぁ、いいんじゃないか。」
(財布から万札を取り出し、テーブルへ放る。)
和人
「これでなんか食え。しばらく出張だから。」
(スマホに向かって声を張る)
「おう、聞こえるか?──あの投資の件、まだいけるだろ?
レイラの遺産が入ったんだ、今から行く!」
(玄関の音。再び、静寂。)
ナレーション(彩)
父はいつも“何かに賭けている人”だった。
でも、誰かを守るために賭けたことは一度もない。
(彩、十万円を見つめる。紙の光が冷たい。)
ナレーション(彩)
姉の遺したものは、もう彼らの中で“金”に変わっていた。
形あるものは、いつも奪われる。
葬儀の数日後──
お姉ちゃん名義のマンションも、
ドレスも、写真に写るバッグも、
闇オークションに流された。
「今が売り時だ、今なら値が跳ね上がる!」
父の興奮した声が、いまも耳の奥に残っている。
ブランドも、香水も、愛した家具さえも、
全部、札束の匂いに変わっていった。
あの人たちにとって、
お姉ちゃんの“人生”は、最後まで換金できる商品だった。
──あの電話が鳴るまでは。
(スマホが震える。画面に「不明な番号」。)
彩(小さく)
「……知らない番号。」
(数秒、ためらい。指先で通話ボタンを押す。)
彩
「……はい、歌原です。」
北条(低く落ち着いた声)
「初めまして。北条と申します。お姉さまの件で、少しお話しできればと思いまして。」
(沈黙。彩の瞳がかすかに揺れる。空気が変わる。)
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2 午後──北条法律事務所
(白い光が均一に満ちた応接室。
整然とした書類と、音のない空気。彩の手が膝の上で固まっている。)
北条
「本日はご足労いただきありがとうございます。
お姉さまの件で、いくつかご報告を。」
彩
「……お姉ちゃんの、ですか。」
北条
「はい。生前、当事務所に財産管理と信託契約を託されていました。
本日、正式に開示の許可が下りました。」
(北条は書類を整える。ペン先が紙を滑る音だけが響く。)
北条
「まず、遺産全体のうち、法定相続分によりご両親に約三十億円が分配済みです。
すでに登記・口座移転も完了しています。」
(彩、ゆっくりと視線を落とす。)
彩
「お姉ちゃんが命を削って稼いだお金が……
あの人たちの欲で消えていく。悔しいけど、止められないんですね。」
北条(淡々と)
「……法律上、止めることはできません。
ただし──レイラさんは、ご両親を一切信用していませんでした。
ですので、法定相続とは別に、あなたの名義で守られる“信託”を設計されていたのです。」
(封筒を差し出す。封印の跡が光を返す。)
北条
「“ガレリア南青山1207号室”。
そして信託口座に五億円。
受託者は私、受益者はあなた。
ご両親は一切関与できません。」
(彩の指先が震える。言葉が追いつかない。)
彩
「……姉は、何も言ってませんでした。私に。」
北条(目線を落とし、抑揚なく)
「“これで妹の未来を守れる”とだけ、仰いました。
私の立場から言えるのは、それだけです。」
(短い沈黙。彩は深く頭を下げる。)
彩
「……ありがとうございます。」
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3 事務所の行方
北条(書類をめくる)
「もう一つ。レイラさんの|個人事務所《UTAHARA OFFICE》についてです。
ご両親は資産換金のため、閉鎖と売却を希望されています。」
彩(反射的に顔を上げる)
「それだけは……どうにかできませんか?
あの場所は、姉の命の形なんです。」
北条(冷静に)
「……彩さん、悪いことは言いません。やめたほうがいいです。
事務所の維持、運営を甘く見てはいけません。
人件費、税金、光熱費──現実は数字で動きます。
理想だけでは、会社は守れません。」
彩(静かに、しかし揺るがず)
「それでも、やります。
お姉ちゃんが守った光を、消したくないんです。」
(北条、短く息を吐く。机の上の影がわずかに揺れる。)
北条
「……わかりました。形式上の代表者としての手続きは、こちらで整えます。
ただし、運営・判断には一切関与しません。
すべて、あなた自身の責任で行ってください。」
(彩、まっすぐに頷く。)
彩
「はい。それで、十分です。」
北条(書類を閉じ、ペンを置く)
「では、署名を。──これであなたが代表になります。」
(彩がペンを握る。震えた線が、名前の上で止まる。)
北条
「確認しました。手続きは滞りなく進めます。
それでは、以上です。」
(北条、静かに立ち上がり、一礼。
視線は交わらず、ドアの開閉音だけが残る。)
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4 覚悟の光
ナレーション(彩)
その背中から、温度のない風が吹いていた。
彼にとって私は、ひとつの“案件”にすぎなかった。
でも──その冷たさが、逆に覚悟をくれた。
モデルの世界なんて、何も知らない。
人脈も経験もない。
けれど──お姉ちゃんの生きた場所を、
おとなの都合で消されるのは、どうしても我慢できなかった。
あの人がいた証を、形として残したかった。
自信なんてどこにもなかった。
けれど、胸の奥でひとつだけ、確かな灯がともっていた。
それが“覚悟”という名の光だと、このとき初めて知った。
(窓からの光が、書類の白に反射する。彩の瞳にも、同じ光が宿る。)
──孤独でも、光は渡せる。
そして、
その小さな光が、やがてモデル業界の常識をくつがえす《白の革命》へと繋がっていくことを、
このときの彩はまだ知らない。
──第23話へ続く。
あとがき
第二章《白の革命》が始まりました。
第22話『姉の遺産』は、彩が「誰にも頼れない場所」で、初めて“自分の意志で選ぶ”瞬間を描いています。
両親によって奪われ、金に変えられていく姉の生きた痕跡。
それでも彩は、唯一残された個人事務所だけは、
おとなの都合で消されてしまわないよう、
何の策もなく、ただ本能のままに掴み取ろうとする。
それは守るためではなく──生きるための決断。
無力な少女のその手が、確かに“光”をつかむ瞬間です。
この章では、彩が大人たちの理屈と向き合いながら、
「美とは何か」「生きるとは何か」を自分の言葉で掴んでいく物語が始まります。
どうか、この一歩を見届けてください。
静かな反逆は、ここから始まります。




