第12話 《父の影、娘の眼差し》
歌原レイラ(28)──死まで、あと27日。
歌原彩(15・高1)──春。
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0. プロローグ:白線の朝
(無音。靄の中、ランニングシューズの足音だけが響く)
心の声(彩)
──新聞配達のルート。……この時間なら、きっと。
(角を曲がる。冷えた空気を裂くように赤いテールライト。
自転車を押す背の高い影。縄で縛られた新聞の束。)
神谷章介。
無造作な髪すら整って見える、清潔な背筋。
その“無関心の美しさ”が、彩の胸を少しだけ熱くする。
(目が合う。彼は驚き、軽く会釈する。彩、小さく手を振る。)
心の声(彩)
──昨日は言葉をもらえた。
今日は、会釈をもらえた。
ただそれだけで、朝が少し違って見える。
(自転車が遠ざかる。白線の上、朝日が滲み始める。)
心の声(彩)
──また会えた。……やった。
(光が靄を溶かしていく。)
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1. 実家・玄関
(鍵の音。酒の匂い。テーブルに空き缶が散らばる。)
和人(赤い目で笑う)
「おやおや……裏切り者のお嬢様じゃないか。
姉上様の庇護下でぬくぬく暮らすとはな。」
(彩、ジャージ姿のまま正面から見返す)
彩
「深夜まで飲み歩いて、仕事もしないで……。
一度くらい、“父親”らしい背中を見せたら?」
(和人の顔色が変わる。胸ぐらをつかむ音。酒瓶がカタリと鳴る。)
和人
「……なんだと?」
彩(静かに)
「姉さんの性格、知ってるでしょ。
この家のあちこちにカメラ、仕掛けてあるの。
手を出したら──次は刑務所よ。試す?」
(沈黙。和人の手が震え、やがて離れる。)
和人
「チッ……!」
(彩、襟を直して)
「胸ぐらをつかむだけでも、暴行罪になるんだって。
……“悪いことをしたら謝る”って、教えてくれたのはお父さんよ。」
(和人、しばらく黙り、視線を逸らしながら)
「……酔った勢いで、つい荒っぽかった。悪かったな、彩。」
(彩は答えない。和人は苦く笑い、力なく吐き出す)
和人
「裁判じゃレイラに叩きのめされ、今度はお前に脅される。
……威厳なんて、もう跡形もねぇ。」
(スマホの通知:「投資グループ解散」「案件終了」)
(和人の目に影。壁の隅を見回しながら、息を吐く)
心の声(和人)
──カメラがあろうがなかろうが、もう関係ない。
(スマホを強く握りしめ、奥の部屋へと消える。
ドアが閉まる音には怒気ではなく、重い諦めがあった。)
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2. リビング
(彩、立ち尽くす。静寂。天井を見上げる)
彩(小声)
「……ほんとに、あるの……?」
(天井隅の赤いランプが一瞬点滅。
画面の向こう、探偵・白坂がモニター越しに見つめている。)
白坂(低く)
「……伊達に十年やってない、つもりだが。冷や汗ものだな。」
(モニターには、静かに立つ彩の横顔。
白坂は思わず息を止める。光が彼女の頬を撫でる。)
(背後。カーテンの隙間から、通知音が鳴る。
白坂が視線を向けると、スマートフォンの画面に一行のメッセージ。)
> 【REIRA】:監視は続けて。……彼女の“日常”を壊さないで。
(白坂、短く頷き、再びモニターへと目を戻す。)
白坂(心の声)
──あんたの“職業的愛情”は、まだ続いてるんだな。
(映像の中、彩の姿に朝の光が重なり、ノイズが滲む。)
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3. ホテルの一室
(夜。薄暗い照明。窓の外のネオンがシーツに滲む)
陽子(静かに)
「ねぇ、赤西……もう三年、になるのかしら。」
赤西(微笑)
「ええ。あなたのおかげで僕はNo.1です。」
(陽子、グラスを揺らし)
「でも……レイラからのお金が減るの。
会えなくなるかも。あなたの“1番”も、守れないかもしれない。」
赤西(軽く笑う)
「寂しいこと言わないでくださいよ、陽子さん。」
陽子(目を伏せて)
「お金のない女なんて、切り捨てられて当然よ。
でもね……“必要とされる”って、それだけで生きていけるの。」
(赤西、視線を逸らしながら)
「レイラさんほど成功してるのに……親を支えないなんて、不思議です。」
陽子
「薄情よね。
“レイラの親”って見られながら、
雀の涙で生きろだなんて──そんなの、できるわけない。」
(カーテンの隙間から、夜の光。陽子の笑みは静かに乾いていく。)
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(暗転)
──第13話へつづく。
――あとがき――
白い朝の光は、誰の上にも同じように差すのに、
その受け取り方は人によってまるで違う。
彩にとってそれは、逃げ場のない現実の中で
「まだ見ぬ明日」を信じるための、
ほんの小さな灯だったのかもしれません。
父との対峙は、決して強がりではなく、
姉・レイラから受け継いだ“静かな強さ”の表れでした。
言葉よりも、姿勢で生きる――それが姉の教え。
その意志が、確かに彩の中で息づいています。
そして遠く離れた場所で、
レイラもまた妹の成長を見守りながら、
“愛”を職業として貫こうとしている。
二人の時間はもう交わらないようでいて、
光と影のように、常に隣り合わせにあります。
次回、第13話。
その光が、どんな影を照らすのか――。




