一休令嬢、とんちで婚約破棄を撃破
宮廷広場には、春の陽光がやわらかく差し込んでいた。
だが、空気は冷たい。
群衆の視線が、ただ一人の令嬢に突き刺さっている。
王子レオン・アルヴェルトが壇上に立ち、怒りを含んだ声で告げた。
「クラリス・フォン・ヴァルシュタイン。
お前は規律に囚われ、柔軟性を欠き、嫉妬深く、取り巻きを使って他者を苦しめた。
そんな者が、国母にふさわしいはずがない!」
その隣で、宰相の息子ユリウスが冷ややかに笑う。
「秩序を盾にして他者を縛る者など、政治の場には不要だ」
騎士見習いのカイルも拳を握りしめて叫ぶ。
「クラリス様なんて、もう令嬢じゃない!ただの悪役だ!」
ざわめきが広がる。
小柄なピンク髪の男爵令嬢ミレーヌが、涙ぐみながら王子の腕にすがった。
「私は……ただ、自由に生きたいだけなのに……」
クラリスは俯いたまま、何も言わない。
黒縁の眼鏡が光を反射し、きっちりまとめた灰色の髪が微動だにしなかった。
まるで、沈黙そのものが意志を持つかのように。
群衆の声が一斉に高まる。
「断罪だ!」
「追放しろ!」
「国母にはミレーヌ様がふさわしい!」
そのとき──
クラリスが小さく息を吐いた。
「なるほど。ここが“おとめげーむ”の世界。で、私が悪役令嬢、か。
ふうん。面白いことになった」
静かに顔を上げる。
その唇の端が、ゆっくりと吊り上がった。
──ニヤリ。
“鉄仮面風紀委員”とまで呼ばれた彼女が笑った。
その異様な光景に、王子と取り巻きたちは息を呑み、半歩後退る。
クラリスは扇子を開きながら、ゆっくりと髪を解いた。
灰の髪がふわりと広がり、眼鏡を外した瞳には、冷静と愉悦が同居している。
「ふむ。私よりも、そちらの浮気相手の方が相応しいと仰る。
ならば、どちらが本当に国母にふさわしいか、この場にいる皆様に判定していただきましょう。
応用力、でしたか? どなたか我らに“課題”を与えてくだされ」
挑むような微笑。
その場の空気が一瞬にして変わった。
「ふん、面白い。混ぜてもらおう」
最初に口を開いたのは、東方からの使節団の長、老将軍バイ・カンだった。
白い髭を撫でながら、にやりと笑う。
「では試してやろう。国母たる者、無理難題に対応できねば器とは言えぬ。
この屏風の虎を捕まえてみよ」
従者が運び込んだのは、金箔の屏風。
そこには、今にも飛びかかりそうな虎の絵が描かれていた。
群衆がどよめく。
ミレーヌは、おそるおそる1歩前に出た。
「えっと……これは絵ですから……捕まえるのは……その……無理です……」
王子が優しく肩を抱く。
「無理をするな、ミレーヌ」
そのとき、クラリスが一歩進み出た。
扇子を軽く掲げ、涼やかな声で言う。
「では、その虎を屏風から出してください。捕まえてみせましょう」
沈黙。
次の瞬間、広場に爆笑が弾けた。
「おおっ、見事!」
「とんちで返したぞ!」
「次は我が国からの問いだ」
南方の商人領の使者が進み出る。
「この橋、渡るべからず、と書かれておる。さあ、どうやって向こう岸へ渡る?」
中央に仮設の橋が置かれていた。
真ん中には「この橋渡るべからず」と大書された札。
ミレーヌは恐る恐る近づき、立ち止まる。
「じゃあ……渡らない方がいいですよね……?」
王子が笑って「正解だ」と言う。だが、群衆の反応は鈍い。
その隙に、クラリスは堂々と橋の中央を歩いて渡っていく。
風が彼女の髪をなびかせる。
ざわめく群衆。
「渡った!?いや、でも……?」
振り返りざまにクラリスは言った。
「“はし”――“端”は渡っておりませんので」
「「「おおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」」」
「では、我が北の山岳王国からも一つ」
氷の箱を手にした使者が進み出る。
「この雪の上を歩け。ただし、足跡を残すな」
ミレーヌは震えた。
「そんなの……無理です……」
クラリスは、扇子を地に置き、すっと逆立ち。
雪の上を、逆さまのまま歩いていく。
「足跡、残っておりませんね」
「「「クラリス様ーーーっ!!」」」
「最後に、我が王国からの問いだ」
王が立ち上がる。
「マリア像の首を切れ。信心深いならば、できるはずだ」
ミレーヌは青ざめて震えた。
「そんな……聖母様に、そんなこと……!」
クラリスは木彫りの像に歩み寄り、扇子で首を落とす。
「木にすぎぬ。信心とは形にあらず。
そもそも、私は仏門。僧侶ですから」
沈黙。
次の瞬間、王が豪快に笑い出した。
「見事! 笑わせ、考えさせ、国を和ませる者こそ、国母にふさわしい!」
「クラリス様ーっ!!」
群衆の歓声が、断罪の広場を埋め尽くす。
王子レオンは呆然と立ち尽くしていた。
ミレーヌは涙を浮かべ、王子の袖を握る。
「どうして……? 私は正しいことをしたのに……」
クラリスは振り返らない。
逆さに履いた下駄の音が、石畳に乾いた音を刻む。
宰相の息子ユリウスが静かに呟いた。
「笑いで国を動かすとは……まさか、こんな形で見せられるとはな」
騎士見習いカイルが拳を握りしめて叫ぶ。
「クラリス様! 俺も、いつか笑わせられる男になります!」
クラリスは立ち止まり、ふと呟いた。
「くだらぬ世界じゃ。だが、笑っていれば、だいたいなんとかなる」
春風が吹く。髪が揺れ、扇子がひらりと舞う。
その姿は、まるで水面に映る幻のようだった。
──ぱちん。
扇子の音とともに、世界がふっとかすむ。
気がつけば、そこは見慣れた寺の縁側。
春の陽が差し、鶯が鳴いている。
「いつまで寝ておる! 一休!」
お師匠様の怒鳴り声が響く。
一休はぼんやりと起き上がり、頭をかいた。
「私はたった今、西洋で……悪役令嬢として戦ってきたのですよ」
「何を寝ぼけたことを申すか!」
お師匠様はため息をつき、一休の頭をぽかりと叩く。
一休はにやりと笑う。
「くだらぬ世界じゃ。だが、笑っていれば、だいたいなんとかなる」
風が吹く。
どこか遠くで、扇子がひらりと舞った気がした。
□完□