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過去での関係


あれは、回帰前のこと。


春の王宮――


 石畳の中庭には薔薇が咲き誇り、噴水の水音が静かに響いていた。

 貴族の令嬢たちがひらひらとドレスを揺らしながら歩く中、その中央でひときわ目立つ姿があった。


 ルシアン=クラウス・アーデルハイト。


 王国第一王子。銀糸のように滑らかな金髪と、凛と澄んだ瞳。

 彼が笑えば、世界が一瞬だけ明るくなるとすら錯覚させるほどの美貌と気品を持っていた。


 私はそんな彼を、少し離れた場所からそっと見つめていた。


「アメリア様、立ち止まっていては目立ちますわよ」


 後ろから声をかけてきたのは、侍女のクララだった。


「……分かってる」


 でも目が離せなかった。


 今日の午後、私は王宮へ招かれていた。

 “将来の王子妃候補”として、正式にお披露目されるために。


 もちろん、政略上の体裁だ。


 ルシアンと私が婚姻するとはまだ決まっていない。

 でも、そう噂されること自体が、“候補”として扱われている証だった。


「……アメリア嬢、ようこそおいでくださいました」


 その声に振り向くと、そこにルシアンが立っていた。


 直視できないほどまっすぐな瞳で、私を見ていた。


「本日は……光栄です」


「いえ、こちらこそ。今日は父から随分と念を押されてまして。

“彼女を粗末に扱えば、ローズウッド家を敵に回すぞ”ってね」


 少しだけ眉を上げて、冗談めかして言う彼に、私は思わず笑った。


「お父上も過保護ですね」


「うちの父上は家臣には厳しいのに、婚姻相手の話になると急に“子煩悩な親父”になるんだ。……困ったもんだ」


 そんな軽やかな会話のはずなのに、私は胸の奥がじんと熱くなっていた。


 彼は、私とこうして対等に話してくれる。

 名前で呼んではくれないけれど、敬語でもなくて――丁寧すぎず、近すぎず。


 「でも、私はもっと近づきたい」


 その想いが、胸の奥で何度もこだましていた。


***


 午後の庭園。


 王宮主催の小規模なティーパーティが開かれていた。

 同席していたのは、王家と親交のある数家の子女だけ。


 その中で、私はルシアンの隣に座らされていた。


 他の令嬢たちが、私を見るたびに視線を泳がせるのが分かる。


 「どうせお飾り」「姉だから推薦されただけ」――

 そんな声が、聞こえていないふりをしても、心には突き刺さっていた。


「アメリア嬢」


 ふいに名前を呼ばれた。


 その声は優しくも、どこか鋭さを帯びていた。


「君は、政略結婚というものをどう思う?」


「……難しいご質問ですわね」


 私は静かに答えた。


「個人的には、誰かを“自分の意思で”選べる人生に憧れます。けれど、貴族としての務めを考えると……感情だけでは済ませられないとも思います」


 ルシアンはふっと目を伏せ、そして――小さく笑った。


「そうか。……君の言葉は、真っ直ぐだな」


「それは、褒め言葉として受け取っても?」


「もちろん。政略の中にあっても、真っ直ぐであることは、貴族には珍しい」


 その一言が、私の心を震わせた。


 「私はただ、あなたに認められたいだけなのに」


 でも、それを口にすることはできなかった。


 私はローズウッド家の“姉”であり、“候補”であり――

 “誰かに感情をこぼしてはいけない器”として育てられてきたから。


***


 日が傾いたころ、私はひとりでバルコニーに出ていた。


 風に揺れるカーテン。遠くで聞こえる音楽。


 その向こうに、彼の姿があった。


 気づけば、私の足は勝手にそちらへ向かっていた。


「……ルシアン様」


「アメリア嬢」


 誰もいない場所で、ふたりきり。


 夕陽が背後から差し込み、彼の輪郭を黄金に染めていた。


「ひとつだけ、わたくしのわがままを言っても、いいでしょうか?」


「うん、聞こう」


 私は、胸元のリボンをそっと握りしめた。


「もし、わたくしが“あなたを選びたい”と思ったとしても……それは、許されることなのでしょうか」


 彼は目を見開いたまま、しばらく黙っていた。


 そして――静かに答えた。


「アメリア嬢。それは“感情”か、それとも“責任”か?」


 私は、答えられなかった。


 責任でもあった。政略でもあった。

 でも何より、それ以上に――私は、あなたを“好き”だった。


 けれど、言えなかった。


 その沈黙が、すべてを物語っていた。


「……そうだね」


 ルシアンはゆっくりと背を向けた。


「君は、まだ自分を選べていない。だから僕も、君を選べない」


 その言葉が、あまりにも優しくて――痛かった。


 それ以来、私たちは距離を置くようになった。


 そしてそのまま、“婚姻候補”という肩書きだけが先走り、

 やがて私の処刑命令に、彼が署名を下す日が訪れることになるとは――


 あのときの私は、何も知らなかった。



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