第5話『悪女の仮面は、綻びを見逃さない』
社交界――それは、麗しいドレスと微笑みの裏で繰り広げられる、情報と策略の戦場。
その夜の舞踏会は、ロズベルグ伯爵家が主催する春の夜会。貴族の令嬢たちが初めて公に披露される“社交デビュー”でもあった。
そして、そこには当然ながら、私とリリーも招かれていた。
「お姉さまのドレス、とても素敵ですね。やっぱり、定番の仕立て屋さんで正解でしたね」
リリーがにこやかに話しかけてくる。そう、彼女が手配した仕立て屋。前世でも私は、ここの縫製ミスでドレスの背が裂けるという恥をかかされた。
「ええ、とても着心地がいいわ。少し、調整も入れてもらったの」
私は静かに返す。
――だが実際には、このドレスは寸前で別の高級仕立て屋に縫い直させたものだ。全く同じデザインで、完璧な状態に仕上げてもらっている。
前世と同じ轍は踏まない。
「そう……良かったです。私、少し心配してましたの」
リリーの目が笑っていないことに、私は気づいている。
仮面の裏から、焦りが滲んでいた。
***
舞踏会が始まると、会場はきらびやかな照明と音楽に包まれた。煌めくドレス、香水の匂い、ワインと果物の甘い香り――華やかさの中に、私の視線は冷静だった。
リリーが“仕掛けた罠”は、まだ終わっていない。
次は、靴。
彼女は私の舞踏用のヒールに、滑りやすい石鹸成分を擦り込ませようとしていた。だがそれも、前日に入念にチェックを行い、別の靴に交換済みだった。
いま、私が履いているのは、滑り止めをしっかり施した“武装済みの靴”。
「アメリア様、次の曲、よろしければ……」
青年貴族に声をかけられた私は、にこりと微笑みながら手を差し出した。
――ここからが、勝負。
***
会場の中央で踊る私の姿に、周囲の視線が集まる。
かつての私は、どこか自信のない所作で、その空気をすぐに手放してしまった。けれど今は違う。
私は知っている。視線の集め方も、振る舞いも、言葉の選び方も。
誰が私を見て、誰がリリーを観察しているか。すべてを。
「アメリア様、お美しい……!」
「今年の夜会で、最も華やかだったのは彼女では?」
そんなささやきが、耳に入る。
私のほうが目立っている。それが、リリーには耐えがたい事実だ。
ふと、視線を感じて振り返ると、リリーがひとり、ワインを手にして私を見つめていた。
笑っていた。けれど、その瞳は凍るように冷たい。
彼女の仮面が、わずかに綻びを見せた瞬間だった。
***
舞踏を終え、私はバルコニーでひと息ついていた。
夜風が心地よく、胸元のネックレスが微かに光を放つ。
『よくやったな、アメリア』
「ありがとう、リュミエール。けど……これはまだ、ほんの始まりよね」
『その通り。だが、今日の“選択”は大きな分岐となるだろう』
私はネックレスをそっと握った。
「リリーの仮面が剥がれる時……私は、どんな顔で向き合えばいいのかな」
『その時は、“そなた自身の意志”で、選ぶのだ』
「……うん、分かってる」
風に揺れるカーテンの向こうで、再びリリーの声がした。
「お姉さま、そろそろ帰りませんか?」
私は振り返り、何事もなかったように微笑んだ。
「ええ、そうしましょう。今日は、いい夜だったわ」
心の中で――静かに呟く。
「一歩ずつ、奪い返してやるわ。今度こそ、全部」