第4話『時を遡るのは、一度きり』
リリーの策略を一つ潰してからというもの、屋敷の空気が少しずつ変わり始めた。
使用人たちはまだ私を“善良な姉”として扱ってくれる。母も変わらず微笑みを向けてくれる。――けれど、リリーだけが、静かに焦り始めていた。
「お姉さま、最近……少し変わりましたよね?」
その問いかけは、ある日の夕暮れ。中庭に咲くアネモネを摘みながら、リリーが口にした言葉だった。
「そうかしら?」
「うん……でも、いい意味で、です。前よりずっと、凛としているというか……」
言葉の裏に探りの棘があるのは、私にはもう分かる。
私がただの“簡単に騙せる都合のいい姉”ではなくなったこと。何かを“知っている”可能性があること。それを、彼女は警戒している。
だけど、私にはもう迷いがない。
「リリー。私、これからは“自分のため”に生きようと思っているの」
「……自分の、ため?」
「ええ。もう、誰かに利用されるのは、やめたいから」
一瞬だけ、リリーの笑顔が硬直する。けれどすぐに取り繕うように、花束を差し出してくる。
「お姉さまには、いつも幸せでいてほしいです」
「ありがとう。そう言ってくれるのは、あなただけね」
皮肉と感謝を織り交ぜた言葉を返して、その場を収めた。
私たちは、笑顔のまま。だが、決して視線は交わらない。
***
その夜。
ネックレスが淡く光り、胸元で脈動する。
私はベッドの上で、それをそっと手に取った。
すると、また――あの声が、心の中に囁いた。
『そなたの意志、確かに見届けている』
「リュミエール……私、ちゃんと選べてるかな」
『選ぶことは、できている。だが、その選択は“戻せぬもの”でもあることを忘れてはならない』
私は息を呑む。
「……どういう意味?」
リュミエールは、やや間を置いて答えた。
『そなたに与えた力は、“運命を一度だけ巻き戻す力”。それを行使するのは――“一度きり”だ』
「……!」
『未来を知っているそなたには、無数の分岐がある。その中から、どの“選択”をやり直すか。それを決めるのは、そなた自身。だが、もう戻すことは出来ない』
私は、冷たい汗が背をつたうのを感じた。
巻き戻せるのは、たった一度。
「そうよね……」
『力は万能ではない。だからこそ、意志がすべてを決める』
私は手を握りしめた。
私は間違えないようにしなければならない。
***
翌朝。
食堂の席に着いた私に、母が声をかけた。
「そういえば、アメリア。次の社交会、あなたも出席するようにと招待状が届いているのよ」
前世でも、すべての地獄が加速し始めた“きっかけの夜”。舞踏会。それが、もう目前に迫っている。
「もちろん、出席します」
私は、きっぱりと答えた。
リリーの計画は、すでにその中に組み込まれているだろう。
――前世と同じ服の仕立て屋を使えば、ドレスは破れる。
――靴を信頼していた侍女に任せれば、舞踏中に転倒する。
そして、恥をかいた姉の代わりに妹が“美しく踊る”。それが、リリーの筋書きだった。
「でも今回は――そうはいかないわよ」
私は、鏡に映る自分に静かに呟いた。
笑顔は変わらずとも、瞳の奥には、確かな“決意”が宿っていた。