第2話『帰還と再会、そして誓い』
窓辺から差し込む光が、懐かしい部屋の天蓋を照らしている。刺繍入りのカーテン、優しい木の香り、見慣れた家具たち。どれも、まだ何も壊れていない、十年前のままの景色。
――本当に戻ってきた。
私は、ネックレスに宿る声に導かれ、過去に戻ってきたのだ。
「お嬢様、ご準備はいかかですか?」
「すぐいくわ」
ドアの向こうから聞こえたのは、かつての侍女・クララの声。彼女は前世、私に忠実だったが、リリーに操られ、最後は処刑に関わった人物だ。
けれど、今はまだ裏切られていない。全てが始まる前の、まっさらな時間。
私は震える息を抑えきれずにいた。安堵と恐怖、希望と後悔が渦を巻いている。
そして、胸元に触れた指先が、あたたかい光を宿したネックレスに触れた。
「リュミエール……本当に、戻してくれたのね」
小さくつぶやくと、どこか満足げに微笑むような気配が、静かに胸の奥に広がった。
――これは、私の意志で選んだ未来。
涙を拭い、私はゆっくりとベッドを降りた。
***
廊下に出ると、朝の香りが漂っていた。焼きたてのパンとハーブティーの香り。これもまた、懐かしい。
階段を降りた先の食堂に、私は“彼女”を見つけた。
母、エリザベス・ローズウッド。
早くに父を亡くしてから、このローズウッド家を長きに支えてきた当主だ。
まだ若く、美しく、朗らかな笑みを浮かべて朝の準備をしていた。家令や使用人に指示を出す彼女の姿は、まさに私が誇りに思っていた貴婦人そのものだった。
「……お母様」
その姿を見た瞬間、私は足がすくんだ。
この光景は、もう二度と見られないと思っていた。いや、確かに一度は失ったのだ。炎に包まれたあの日の記憶が脳裏をよぎる。
「アメリア?どうしたの、顔色が……」
母が気づき、こちらへ歩み寄る。その声、その表情、そして差し出された手。
私は、もう堪えきれなかった。
走り寄り、母の胸に飛び込む。
「……お母様っ」
声が震え、涙が頬をつたう。
戸惑いながらも、母は優しく抱きしめてくれた。ぬくもりが、あたたかい。懐かしい。私の世界のすべてだった。
「ごめんなさい……ごめんなさい……守れなかった……」
「なにを言ってるの?大丈夫、怖い夢でも見たの?」
そう言って背中を撫でてくれる。昔の母と何一つ変わらない、優しい仕草。
私はこの時を、もう一度得られたのだ。
「もう、二度と……離れたくない」
心の底からそう思った。
***
食事のあと、部屋に戻る途中、私は大きな鏡の前で立ち止まった。
鏡に映る自分は、まだ十代前半の幼い少女。瞳は大きく、あどけなさが残っている。それでも、その奥に宿る光は、前世を知る者のものだ。
「演じなきゃ。私、“悪女”になるって決めたんだから」
妹リリーの策略を防ぎ、母を守るためには、私は“優しいだけのお嬢様”ではいられない。
前世の私が信じ、愛した人たちは、リリーの嘘に踊らされ、私を裏切った。
けれど、今回は違う。
私はもう、何もかも知っている。
「準備は、整ってる」
小さくつぶやいた瞬間、ネックレスがかすかに光った。
それはまるで、私の覚悟に応えるような輝きだった。
***
午後、書斎で過ごしていると、屋敷に“彼女”の足音が響いた。
「お姉さま、おじゃましてもいいですか?」
リリー・ローズウッド。
あの天使の仮面を被った悪魔。甘い声と無垢な瞳で、すべてを奪っていった張本人。
だが、今はまだ“無邪気な妹”を演じている。
「もちろん。入って」
私は、完璧な笑顔で迎えた。
リリーは小さなかごを持って部屋に入ってきた。焼き菓子と花束。前世でも同じことをしていた。
「お姉さま、元気がないって聞いたから……私、お姉さまの笑顔が大好きなんです」
そう言って、にこりと笑う。罪のない少女の顔。
でも、私はもう騙されない。
「ありがとう、リリー。あなたの優しさに、救われるわ」
私もまた、笑顔で応える。
その場は、姉妹の微笑ましいひとときに見えただろう。
けれど、その笑顔の裏で、私の心は決して揺れていなかった。
――私は、必ずあなたの“仮面”を剥がす。
その時が来るまで、私もまた、笑顔という仮面を被って生きる。
***
夜、ベッドに横たわった私は、ネックレスをそっと握った。
そこから、かすかに声が響く。
『そなたの選択に、意味があると信じているぞ』
リュミエールの声。
「私、間違ってないよね?」
『未来は、そなたが選び続ける限り、無限に変わる』
「じゃあ、私は……もう二度と、あの絶望を繰り返さない」
光がぬくもりとなって胸元に広がる。
私は目を閉じ、静かに眠りについた。
明日から始まる、“選びなおした未来”に備えて。






