プロローグ
空は、あまりに晴れていた。
処刑台の上から見下ろす王都は、春の陽光に包まれている。絹のように澄んだ青空に、白い鳥が二羽、舞っていた。何の縁もない赤の他人たちが、その下でわたしの死を待っている。
「——国家転覆、および王家への反逆の罪により、アメリア・ローズウッドの処刑を執行する」
死刑宣告を読み上げる声が遠くに聞こえる。
視界は霞んでいた。人々の顔がぼんやりとした輪郭になって、誰が誰だか区別もつかない。ただ、その中にひときわよく通る、澄んだ声があった。
「……かわいそうに。あんなに優しかった令嬢だったのに」
「おそらく妹に嫉妬して、心を病んだんだろう」
「まあ、血が繋がっていなかったんだし……ねえ」
罪人は、語られる時に人格を剥奪される。わたしがどれだけ懸命に生きたかなんて、もう誰の記憶にも残らない。
——アメリア・ローズウッド。
伯爵家の養女。父は逝去。義母が育ての母だ。
義妹リリーとは血縁がない。
幼女であるため、愛される努力はした。
貴族のマナーを学び、文学、歴史、言語、乗馬、舞踏。どんな場でも恥をかかないように、日々自分を磨いた。
けれど、妹のリリーが笑って手を振れば、皆はそちらへ流れた。
「お姉様は、優しいけど……少し、怖いの」
そう言ったあの子の涙に、人々は惑わされた。伯爵家の女中も、教師も、使用人も。
いつの間にか、わたしは「姉という立場を盾に、妹をいじめる悪女」になっていた。
それでも、母だけは違った。
最後までわたしを娘と呼び、庇ってくれた。
「おまえは、わたしの宝だよ」
優しく微笑んで、銀のネックレスを手渡してくれた。
「これは、あなたが本当に道に迷ったときに、力になってくれるはずだから」
その意味が、ようやくわかる。
わたしが濡れ衣を着せられ、地下牢に落とされた日。
証人は皆、金と偽証で仕立てられた。
王宮からも弁明の機会は与えられず、全ては“仕組まれていた”と気づいたときには、もう何もかも手遅れだった。
処刑台の階段を上がる足取りは、意外にも軽かった。
もはや恐怖よりも、虚無がわたしを支配していた。
(ねえ、神様って本当にいるの?)
(だったら、せめて最後に、わたしの声を聞いて)
見上げた空に、返事はなかった。
処刑人が、静かに刃を上げる。
その瞬間だった。
——キィン……
空気が、振動した。
いや、空気じゃない。時間そのものが、音を立てた。
胸元で、母からもらったネックレスが、淡い蒼白色の光を放ち始める。
まばゆい。けれど、なぜか目を逸らせなかった。
《聞こえますか、アメリア・ローズウッド》
《そなたは、選ばれた者——時の境界に立つ魂》
誰?
頭の奥で、鈴の音のような女声が響いた。
《そなたに、一度だけ、運命を巻き戻す力を授けよう》
《これは祈りと契約に基づく奇跡——意志ある者にのみ許される、選択の権利》
「まって……あなた、誰なの……?」
返答はなかった。
《問いましょう。そなたは——このまま死を選ぶか、それとも……》
《一度だけ、“あの日”に戻り、違う選択をするか?》
選ぶ。選び直せる。
でも、それは一度きり。もう戻れないかもしれない。
震える声で、わたしは言った。
「……やり直したい」
「わたしは……わたしの運命を、生き直したいの……!」
すると、優しく、深く、すべてを包むような声が降ってきた。
《その意志、確かに受け取った》
《リュミエールの名のもとに、契約を執行する》
——時間が、逆流した。
視界が闇に包まれ、わたしは意識を手放す。
***
目を覚ましたのは、柔らかな羽毛枕の上だった。
カーテンから差し込む日差し。ほのかに香るラベンダーの香り。
懐かしさが胸を刺す。
「……嘘……でしょ……?」
鏡を見た。
そこには、10年前の自分がいた。
まだ幼さの残る少女の顔。あの処刑の面影など、どこにもない。
手元には、あのネックレス。まるで何もなかったように、胸元で輝いている。
頭の中には、全ての記憶が残っている。
母が処刑された日も、リリーが嘘の涙で笑った瞬間も、ルシアンの苦しそうな表情も。
(私はもう、同じ過ちは繰り返さない)
(“演じてやる”わ。優しくて無知な令嬢なんて、もういらない)
ドアの向こうから、聞き覚えのある足音。
「お姉様? 起きてますか?」
リリー。
あの、わたしを殺した少女。
わたしの笑顔が、ゆっくりと歪む。