俺を基準にするな
ユウトは医学研究所を後にし、ノイと共にしばらく歩いていた。今日の一連の出来事は、彼にとって衝撃的なものであり、心に大きな波紋を広げていた。彼の体が「正常」でないこと、そしてその異常がこの世界では未知のものだという事実に、彼はどう向き合うべきか迷っていた。
「あなた、あれからどう感じた?」
ノイがユウトに向かって、突然そう尋ねてきた。ユウトは少し考えてから答える。
「正直、怖かったよ。解剖されるんじゃないかって、最初は思ってたし。でも、あの実験、ちょっと無理があったんじゃないかな?」
「無理? 何が?」
ノイは怪訝そうに尋ねる。
「いや、だって毒を注射して反応を見ようって……俺、普通の人間じゃないってわかってるんだから、そもそも最初から結果がわかってるじゃん」
ユウトが口にした言葉に、ノイは少し考え込んだ後、ニヤリと笑った。
「確かに、そうね。でも、それだけあなたの体には未知の部分が多すぎて、私としてはどうしてもそのデータを取りたかったのよ」
「それはわかるけど……」
ユウトはうーんと唸りながらも、しばらく黙り込んだ。彼の心の中では、異常な健康状態がもたらす影響をどう受け止めるべきか、徐々に気づき始めていた。
その時、突然、近くの広場から騒ぎ声が聞こえた。
「何だろう?」
ユウトが目を向けると、遠くの方で兵士たちが集まっているのが見えた。どうやら、何かの議論が白熱しているらしい。
「行ってみようか」
ノイは興味津々でその場に向かって歩き始めた。ユウトは彼女に続いていくが、心の中では何か不安を感じていた。
兵士たちが集まる広場に到着したとき、ユウトはそこで驚くべき光景を目にする。兵士たちは何やら地図を広げ、周囲と激しく議論していた。その中で目を引いたのは、ひとりの兵士が手に持っている一枚の紙だった。それには、「ユウト・カナエ」なる名前と共に、異常な健康状態が記されていた。
「これ、もしかして……」
ユウトがつぶやくと、ノイもその紙を見て驚きの表情を浮かべた。
「まさか、データが流出してるのか?」
ノイは小声で呟き、ユウトに向かって言った。
「その名前、あなたのことだわ」
「え? どうして僕の名前が?」
ユウトが戸惑っていると、その場にいた兵士のひとりが声を上げた。
「ユウト・カナエか! まさにあの男だ!」
その言葉に、周りの兵士たちが一斉に注目し始める。
「彼の健康状態、確かに異常だ! 訓練兵たちが次々と倒れているのは、これが原因だ!」
「まさか、あの男の体力を基準にして、魔法や薬の基準を変えようとしているのか?」
「俺たち、訓練中に倒れるほどの負荷を与えられているというのに、あんな奴が基準になるなんて――!」
兵士たちの声が段々と大きくなり、怒りが広がっていった。ユウトはその場に立ち尽くし、何が起こっているのか理解できなかった。どうやら、彼の「完全健康体」が、世界中に波及してしまっているようだ。
「どうしてこんなことに?」
ユウトはノイに問いかけるが、ノイは深刻な顔で答える。
「あなたのデータ、私が研究所から流してしまったのよ。悪気はなかったんだけど、これが各国の軍隊に流れてしまった。すると……」
「すると?」
「各国の医療基準や、兵士たちの訓練の基準が、あなたの体に合わせて調整され始めた。これは、ちょっとした問題になるわ」
ユウトはその話を聞いて、ますます自分の体が引き起こした混乱に対して、責任を感じ始めた。自分の「健康」一つで、世界が動き始めている。この事態をどう収めるべきか、考える暇もないまま、事態は次第に急速に展開していく。
その後、ユウトが何とかその場から逃げ出したのは、数時間後のことだった。彼はついに自分が周囲に与える影響の大きさに気づき、恐れを抱くようになっていた。
だが、その後もこの事態は収まるどころか、ますます広がっていく。ユウトが意識していなかったところで、各国が彼の「健康」を基準にして、兵士たちの訓練方法や魔法の基準を再設定していたのだ。その結果、普通の兵士たちは極度の体調不良を起こし、魔法の効力が失われる事態が続出した。
ユウトは、心の中で「自分は何をしてしまったんだ?」と繰り返し問う日々が始まる。自分が目の前に引き起こした問題が、今後の世界にどれほど大きな影響を及ぼすのか、彼にはまだわかっていなかった。