そして少年は、完璧な健康体になる
目を開けると、そこは真っ白な空間だった。
どこまで行っても床も天井も存在せず、ただ白。立っているのか浮かんでいるのかもわからない、奇妙な場所だった。
「……まさかとは思うけど、死んだ?」
独りごちたその声は、やけにクリアに響いた。
その時、空間が歪んだ。いや、歪んだように感じた。視界がもやもやと揺れ、まるで水面に映った世界がかき混ぜられるように。
そして、突如として現れた。
目の前に立つのは、白いローブに金の刺繍が施された人物。目元はやわらかく、髪はまるで月光のように輝いている。どことなく中性的な雰囲気で、まるで神様といった風格だった。
「やあ、やあ。ようこそ、転生処理センターへ。キミは選ばれし者……と言いたいところだけど、実はちょっとした『バグ枠』なんだ」
「……は?」
「いや、ごめん。君、事故で死んだでしょ? あれね、本当は予定になかったの。システムの誤作動で、キミの魂が転生キューに混ざっちゃってさ」
あまりにも軽い口調に、言葉を失う。
「え、ちょっと待って。それって――」
「うん。君、本当なら死んだら、そこで終わりだったんだけど、間違って、異世界転生対象者として登録されちゃった。で、今さら引き返せないから、特別に一つだけチート能力あげることにしたの」
「いや、待て待て待て……」
「はい、これ。完全健康体!」
唐突に光の球体が胸元へと吸い込まれるようにして入ってきた。身体の芯がじわじわと温かくなっていく。
「これで、君はあらゆる病気、毒、呪い、老化、怪我に完全耐性。しかも筋力も回復力も自然のまま。魔法? 使えないよ。戦闘スキル? 無し! でも健康だけは超一級品!」
「いやいやいやいや、ちょっと待ってくれよ! 俺、せめて剣とか魔法とか……!」
「だ〜め。もうデータ流しちゃったし。キミの魂は今、異世界『カーヴェリア』にダウンロード中。じゃ、良い転生ライフを!」
「うわあああああああ―――!」
――そして、世界が弾けた。
目が覚めたのは、見知らぬ草原の中だった。
澄んだ空、揺れる風、遠くで鳥が鳴いている。
「……マジかよ」
ユウトは草の上に寝そべりながら空を仰いだ。肌に触れる空気は温かく、そしてどこか清浄だった。
「とりあえず、死んだのは確かみたいだな……」
服装はシンプルな布の服。まるでファンタジーゲームの初期装備のようで、手元には、転生者手引き書と書かれた小さな本が置かれていた。
内容をざっと読むと、この世界は剣と魔法の異世界で、転生者は基本的に、特別な力を持ってやってくるとのこと。
「それなのに、俺は健康だけってか……」
草を引っこ抜きながら、ユウトはため息をついた。
「いや、そりゃありがたいさ。病気にならないのは便利だよ。でもさ……それだけじゃ、生きていけねえんだよ、異世界ってのは!」
とりあえず近くの森に入り、水を探す。
数時間歩いてようやく見つけた小川に顔をつけて、水を飲む。
「……うっ、にがっ! なんだこれ……って、やばくね? これ腐ってるんじゃ――」
とたんに腹を押さえてしゃがみ込む。
――と思いきや、何も起こらない。
「……ん?」
むしろ身体がシャキッとした。疲労感すら消えている。
「まさか、腐った水でも健康効果?」
まさか、と思って毒キノコっぽいのも試してみた。
食べた。噛んだ。飲み込んだ。
――何も起こらない。むしろ胃が快調。
「……マジで、何食っても健康なのかよ」
その夜、ユウトは野宿することにした。
普通なら冷え込む夜の森の中で震えるはずだが、身体はぽかぽかしている。虫も近づかない。狼の遠吠えが響いても、不思議と不安もない。
「……おかしいだろ。これ、もう人間じゃねぇ……」
空を見上げると、月がふたつ浮かんでいた。
「チートでも、嬉しくないな。使いどころがなさすぎる……」
誰にも必要とされない力――完全なる健康。
その時、森の向こうから誰かの悲鳴が聞こえた。
「誰か! 助けて!」
ユウトは即座に走り出した。足は軽い。視界もクリア。枝も何もかもが遅く見える。
そして見つけた。
数人の男に囲まれている少女。そのうち一人がナイフを構えていた。
「おい、そこのお前! その子から離れろ!」
ユウトの怒鳴り声に、男たちがこちらを振り返る。
「なんだぁ? 一人か? 何者だてめえ」
「通りすがりの、健康な男だ!」
「……は?」
言いながら自分でも何を言っているのか分からなかったが、体が勝手に動いていた。
ナイフを持った男が突っ込んでくる。
ユウトは避けない。
――刺された。確かに刃が入った。
だが。
「……え?」
男が驚いた顔をした。
刺さったナイフが、ポキンと折れた。
「う、うそだろ……?!」
「俺、健康だからな」
そして、ユウトは渾身のパンチを男に叩き込んだ。
その日、異世界に一人の『最強に地味な異常者』が誕生した。
物語は、ここから始まる。