三十九、犯人
「陛下!」
「月花!」
ちょうど月花の月の宮から出てきた雨流と遭遇し、そして二人で息を合わせて、
「「アルミ入りの丹薬を仕組んだのは、大学士の架 美連!」」
二人の声が重なった。雨流は驚いたように月花の腰に手をやり、その体を引き寄せた。走ったせいで月花は汗をかいていた。月花のお香の香りに酔いそうになる。こんな時になにを考えているのだろうか。雨流は月花を見下ろし、その頬を優しく撫でつけた。汗ばんだ頬は、雨流の手に吸い付くようで、雨流はその頬に思わず唇を寄せたくなるのをこらえた。
「月花。なぜわかった」
「先ほど、美姫さまにお会いして……『もうすぐお父さまが出してくれる』そうおっしゃっていました」
「なるほど……おそらく、美連の目的は」
美連は先帝に『精力の戻る薬』だと丹薬を飲ませ、一時的な先帝の復権をそそのかしているのだろう。「現皇帝陛下が、先帝に毒を盛って気力を衰えさせ、譲位を企んだのです。ならば、先帝。その皇帝の位を取り戻すのです。この丹薬を飲めば、気力も戻るでしょう」
だから先帝は、雨流が丹薬にアルミが盛られていると進言しても、言うことを聞かなかったのだ。美連に雨流が敵だと思い込ませたのだ。そしておそらく、
「先帝が復権したのちに、次期皇帝を美連の息のかかったもの――おそらく廃位した先々帝、その子息に継がせるつもりなのだろう」
「でも、美姫さまを陛下の妃候補としたのは?」
「わたしが死ねば、妃及び女官たちは、自由の身となる。最初から美姫妃をわたしの妃にする気はなかったのだろう」
つまり、美連は自分の娘すら政治の道具としたのだ。美連は、美姫を皇后に出来なかった場合に備えて、先帝にあらかじめアルミ入りの丹薬を飲ませていた。そして美姫は、皇后に選ばれなかったわ。ゆえに本格的に皇帝の廃位に目的を変えた。そのために、先帝にアルミ入りの丹薬を飲ませ続けた。弱った人間は正常な判断がくだせなくなる。先帝は気弱になり、美連の言うことを信じてしまったのだ。丹薬を気力の戻る薬だと信じ、雨流が先帝の身体を害して譲位させたのだと。月花は歯噛みする。なんて恐ろしいことだろうか。月花の頭に血が上った。雨流をなんだと思って。
「月花。ソナタは月の宮で休むがよい。ソナタの味覚はわたしがなんとしても取り戻すゆえ。今は先帝に進言するのが先だ」
「はい。はい。くれぐれも、お気をつけて」
しかし、まだアルミの器の毒の件が解決したわけではない。あれはアルミの毒ではないと実際に見せて証明したものの、だからと言って、なぜアルミの器で銅の食中毒が起きたのだろうか。
状況を整理する。あのアルミの器は、美しい彫刻が施されていた。そして、あのアルミの器を献上したのは、大学士の耗 漢加。宇露の父である。
そして、倉庫を管理するのは厨房の料理人。
「だったら、倉庫番の鍵を持っていた人たちが?」
翌日、月花は今一度厨房を訪れていた。今日も毒見をして、味覚は戻っていなかった。月花は厨房の人間を疑っているそぶりを悟られないように、いつも通りに味見して、いつも通りに倉庫番の男に話かかけた。今日の倉庫番は小太りな男で、陽気で頼もしい、イッタリの男のようだった。
「あの、アルミの器って、陛下の生誕の宴以外に、使ったことはありますか?」
「さあ。わからんね」
倉庫番の男がいぶかし気に月花を見ている。怪しまれれるのはあまりいい気持ちはしない。料理人たちと打ち解けたとはいえ、いまだにあの宴会での件を持ち出すと、料理場の者たちはいい顔をしない。それはそうだ、いまでも厨房の人間はあらぬ疑いの目を向けられ、肩身が狭い思いをしているのだから。
月花は頭をひねる。そういえば、聞き込みをしていた時、あのアルミの器を重曹で磨いていたと言っていた女官がいた。
「あ、ありがとう。じゃあ、私はこれで」
倉庫番の男から離れて、月花はあの話を聞いた女官を捕まえる。
「あの」
「こ、皇后さま……! わたくしに、また、なにか御用でしょうか」
「あ、いえ。あのね」
「ああ、ああ。皇后さまが皇后さまに選ばれるのでしたら、わたくしももっと丁寧に対応しましたのに」
恐縮してこうべを垂れられるのは、慣れそうにない。月花が口ごもっていると、
「あのアルミの器は、すすだらけだったのです。架美連さまが、行事で使うからとお貸ししたら、すすだらけになって返ってきたのです。だから重曹で磨きました。わたくしの磨き方が悪かったのでしょうか。あれが毒になったのでしたら、わたくしの罪を、どうかお許しください」
早口に言って、女官は震えていた。今、なんて。震える女官を差し置いて、月花はもう一度頭の中で整理する。あのアルミの器を献上したのは耗 漢加だが、宴会の前に架 美連が持ち出していた。しかも、返ってきたアルミの器は、すすだらけだった。見落としていた。少し考えればわかりそうなものを。
「待って。あの器は、すすだらけだったのですね?」
月花が女官の肩をつかみ、確認する。女官が「ひっ」と声をあげて、手をこすり合わせながら、震える声で答える。
「は、はい。黒く汚れていましたので」
「ああ、ありがとう。ありがとう。アナタのことは、陛下によく言っておきます。あとでお礼もしますね。名前は」
「あ、え、あの。結です」
「結。ありがとう。これでなんとかなりそうだわ!」
早速月花は、腐食していないアルミの大きな器を用意して、その中になみなみと水を注ぐ。たぷんと水が揺れて、月花はそれを厨房の釜に乗せた。
「皇后さま、これをどうするんですか?」
鈴に手伝ってもらい、アルミの器に水を入れては沸騰させて冷まし、また水を入れ替えては沸騰させて冷ます。厨房にいる料理人たちは、とうとう月花がおかしくなったと遠巻きにその様子を見ていたが、月花には確固たる確信があった。
「うん、これくらいでいいかな」
何日かかけて、月花は下準備をする。この食中毒を明かすために、もう一息、月花は身を張らねばならない。雨流には怒られそうだが、食中毒を証明するには、これしか方法がないのが現状だった。