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三十八、後遺症

 米の毒を突き止めてから、さらに二十日ほどして、月花はまた、普段通りの生活に戻っていた。なんとかして、あの時発言した宰相・諸侯を突き止めたいものだが、どうにもうまくいかずに月花はやきもきしていた。一応の目星はついている。丹薬を先帝に献上していた美連だ。しかし、先帝がそれを証言しなければ、雨流の立場が悪くなるだけだろう。また皇帝陛下がたわごと申している。それだけは避けねばならない。証拠をそろえなければ意味はなく、月花も雨流も行き詰まりを感じていた。


「ん? あれ、料理長、味付け変えましたか?」


 異変に気付いたのは、ほかならぬ月花であった。その日月花は、雨流から許可を得て、料理の毒見の任へと戻ったのだが、これがどうもおかしい。最近の雨流は月花がどこに行くにもついて回って、今日も共に厨房に赴いていた。

 その日の献立は鰤の焼き物に、らっきょうの甘酢漬け、それからアヒルの炉焼きに、春餅チュエビン。どれも月花がこの後宮に来て一度は食べたことがある料理で、だからこそ、おかしい。味が、鈍い。いうなれば、舌で感じる味と、脳が感じる味、この二つに解離がある。


「味付けは変えていませんよ」

「なんだ、皇后が言うのだから、味付けを間違えたのではないか?」


 憤慨したように雨流が料理に箸をつける。きれいに盛り付けた料理を箸で崩して、雨流は迷うことなく口に入れた。あれと、これと、全部を口に入れて、咀嚼する。神経を舌に集中する。だからこそ。


「うん?」

「陛下、やっぱり味付け、薄くないですか?」

「いつも通り……だが?」

「え?」


 月花はもう一度、箸をつける。しかし、やはり味が、鈍い。いつもの味ではない。全開して味覚が戻ったのはつい五日前、安堵したのも束の間だった。手足の震えは完全になくなり、月花も雨流も快復を喜んだばかりだった。

 あれも、これも。すべての料理を食べて回って、月花はその場に立ち尽くした。この症状は、よく知っている。その可能性があることだって、覚悟していた。なのにいざ味覚をなくすと、月花はその場から動くことができなかった。


「神経毒の、後遺症……」

「月花?」

「ああ、ああ。陛下。これはアルミ中毒の後遺症なのです。稀にあるのです。神経毒により、味覚を失うことが」


 へなへなとその場に座り込んで、月花が涙を流した。月花の舌は、なににも代えがたいものだった。料理人としての誇りそのものである。それを失うのは、死んだも同然だと雨流にもわかる。雨流にも絶対的な舌がある。ゆえに、月花の舌が神経毒で鈍くなったことは、くしくも雨流の絶対味覚が裏付けている。雨流の舌は、料理人たちの料理がなんら変わらないことを強く訴えてくる。いっそ、雨流の舌がおかしくなったのだと思いたかった。


「そんな、そんな。いっそ、殺して」

「そのようなことを言うな!」


 雨流が座り込む月花を抱きしめた。月花は雨流を払いのけようとするも、固く抱かれてかなわない。雨流が月花の背中を撫でる。細い、弱弱しい、背中だった。美しい襦裙を身にまとい、いでたちもふるまいも十分に皇后らしくなってきた、その矢先である。雨流は、月花のあやうさに、今、気が付いた。月花は体を張って雨流を助けた。ならば自分には、なにができるだろうか。


「なんとしても。なんとしてもソナタの味覚は取り戻すゆえ。死ぬなどというな」

「陛下にはわからないのです」

「ああ、わからぬ。わからぬが、これだけは言える」


 ソナタは命がけで先帝を助けようとした。

 月花がさめざめと涙を流す傍で、雨流はなにか、なにかないかと思案する。神経毒による味覚障害。神経毒だから、毒を排出すればいいのだろうか。あるいは、もっとなにか、別の。


「月花!?」


 月花は耐えきれず、雨流を振り切って厨房を走り出た。舌だけが、月花の自慢だった。どんなものをも感じわける、料理人にとっては両腕と同じくらいに重要な。



 幽華格まできて、月花は足を止めた。足がぬかるみに取られて重い。泥が襦裙に跳ねてシミを作る。また鈴に怒られてしまう。襦裙のシミをぬぐいながら、月花はその幽華格を見上げた。立派なつくりである。宇露の幽華格とは全く違った、いうなれば月花の月の宮となんら変わりのない、大きさだった。


「ここ……」


 ここは美姫の幽華格で、外にはあまたの女官が控えてこうべを垂れていた。幽華格に入るときは、基本的には女官は一人、下女は三人と決まっている。しかしここには、月花と変わらぬ女官や下女の数がひしめいている。


「だから! こんな安物の衣じゃ嫌よ!」

「し、しかし、美姫さま、妃ではなくなったゆえに、自由にできるお足がなく」

「だったら、アンタたちの衣なり髪飾りなりを売ればいいでしょう!? 本当に、役に立たない!」


 ばたん、と扉が開いて、出てきたのは美姫である。かつて陛下の皇后選びでは、そう、まるで花のようにおとなしいはかなげな少女であったのに、今ここにいる美姫はと言えば、これが本性なのか、ひどく横柄で、ひどく滑稽だった。月花が美姫に礼をした。美姫は月花に頭を下げなかった。


「あら、皇后さまがこんなところになんの用かしら?」

「あ。私は。道に迷って」

「あは。道に迷って? いいご身分ねえ。アンタは日の当たる後宮に住んで、わたしは日陰に幽閉。なにを間違えたのかしらね。まあ、お父さまがもうすぐ出してくれるけれど」

「え?」


 ハッとしたように美姫は口に手を当てて、「なんでもないわ」と笑っている。もうすぐ出してくれる?

 舌が歯に当たって、うまく言葉にできなかった。唾液が出なくて、喉がカラカラだった。なにか、なにか引っかかる。


「あ! 皇后さま!」


 鈴が走って月花の名を呼んだ。ハッとして、月花の意識は鈴に向かった。鈴はぜえはあしながら汗をぬぐって、


「皇后さま。もう、走って行かれるから心配しました」

「あ、うん……そういえば、美姫さまのお父さまって、誰でしたっけ」

「美姫さま……確か、架 美連さまですよ?」


 架 美連。その男の声を手繰る。「丹薬をお持ちしました」「丹薬にアルミがあるなんて」

 かちっとかみ合う。あの声は、やはり、架 美連の声だった。丹薬を先帝に渡していた美連は、丹薬にアルミが混ざっていることを知っていた。だとして、その目的はなんだというのだろうか。先帝に毒を盛る理由が見当たらない。


「鈴。今、陛下はどこに?」

「陛下なら、政務を放り出して、皇后さまを探していらっしゃいますよ!」

「そう……じゃあ、陛下に会いに行かなきゃ」


 月花は再び走る。手足のしびれは全くなくなったのに、よりにもよって舌にだけ毒が残るなんて、自分はつくづく運がない。

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