表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

37/42

三十七、気づいていたよ

 その後、雨流は月花を月の宮まで送り届け、月花が雨流におずおずと、


「へ、へいか。お茶でも飲んでいきませんか?」

「なに? よいのか」

「はい。陛下にはお世話になっておりますし」

「なんだ、ソナタから誘うとは珍しいな」


 雨流は喜び勇んで月の宮に足を踏み入れる。華女官が扉を開けると、月の宮には先客がいた。仁である。仁が恭しく拱手礼をする。雨流は月花に目をやった。


「せっかくの機会ですし、師匠のことを改めてご紹介しようかと」

「そういうところだろうと思ったよ」


 期待していないと言ったらうそになるが、月花はそういう少女だった。仁が下座に座り、雨流が上座に座る。月花は華女官に棗茶を要望する。仁がにこにこと月花を見ていた。次第に棗茶の甘い香りが立ち込める。月花には、もううんざりな香りである。毒出しのために一日に何杯もの茶を飲んで、厠に行く。それは、何度も。風呂も一日三回入って汗を流すし、食べ物も、味がしない上に、解毒作用のある癖のある食材ばかり。しかし、これは月花が決めたことの結果なのだから、月花は文句ひとつ言わない。言うつもりもない。


「仁殿。王宮の生活はどうですか?」

「へ、陛下。おかげさまで何不自由なく」

「そうか。ソナタ、占庁せんちょうでは、だいぶやりたい放題だと聞いているが」


 占庁とは、後宮の行事の日取りを決めるのが主な役割だった。例えば、雨流と月花の立后の儀なども、この占庁が日取りを決めた。とはいえ。立后の儀の日取りは、雨流が半ば強引に半年後に決めたのだが、仁は雨流の方を見て、


「この娘――皇后さまには手を焼くでしょう? なにしろ身強の命式なうえに、劫財・帝旺があるゆえに」

「そだな。わたしも身強ゆえ、どちらも我が強くて衝突する」

「陛下も身強でしたか」


 仁が優し気に笑っている。仁の目じりにはしわが寄り、月花は仁の笑みがなにより好きだった。だから、仁を雨流に紹介する、というよりは、仁に雨流を紹介したかった、という方が正しい。この二人は、あの小料理屋で一度顔を合わせだただけだったから、いつかはこういう席を設けたかったのだ。月花が仁の方を見る。


「そうなんです。陛下って身強で火が強いんですよ。水がなくて大変なんです」

「ああ、それで皇后さまと相性が良いのですね」


 月花の命式は水が強い。つまり、雨流の命式に必要な水が、月花の命式には潤沢にあるのだ。これは、お互いがないものを補い合い、相性がよくて当たり前だ。知ったとたん、月花は顔を赤らめて、なんとか占いの話から転換を試みる。身振り手振りが大きくなるのは、月花が慌てているときの癖のようだ。


「あ、あ。そういえば、師匠は占庁で、なにをしておいでですか」

「いやな。腐っても王宮、みな頭のいいもものばかりで。八字を教えたら、みるみる覚えていってな。月花は覚えが悪かったが」

「し、師匠! だって私は、私には料理しかないのです」

「仁殿。月花の話をもう少し詳しく聞きたい」


 前のめりに雨流が仁に詰め寄った。仁がにやりと笑う。月花は仁の口をふさごうとするが、雨流が月花をひょいと抱き上げて膝の上に乗せてしまう。雨流の膝にちょこんと乗せられて、月花はじたばたともがくこともできない。暴れれば、雨流を傷つけるかもしれない。一国の皇帝に傷など、あってはならない。だから月花は、おとなしく膝の上に収まった。


「や、陛下!?」

「ソナタは少し、黙っていろ」

「ああ、ああ。陛下、また私をからかうのですね」


 仁は相変わらず笑っている。そして、遠い昔を思うかのように、ゆっくりと口を開いた。その声音は慈愛に満ちており、雨流は仁の愛情の深さをうかがい知る。この師弟は、親子以上の絆でつながっている。うらやましくもあり、妬ましくもあった。その少しでもを、雨流の方に向けてくれてもいいものを。


「月花は、小さいころはそれは頑固で。自分は占いなんてしないって、そう言って最初の一年は私の旅路ついて歩いて、私に料理の指導ばかり」

「仁殿は、月花直々に料理を習ったと? なんとうらやましい」

「へ、陛下。陛下もご興味がおありなら、いくらでもお教えしますゆえ、それゆえ、この話はここで終わりに」

「月花の料理は、最初は食べられたものじゃなかったのですよ。月花にいくら絶対的な舌があっても、料理の経験値がなければそれは意味をなさない」

「なんと。月花は料理が下手だったのか」

「はい。最初の数年は特に」


 それなのに、月花は仁に料理を教えようとしたものだから、仁はどうしたものかと悩んだのだそうだ。月花の今の生きがいは料理だけだ。だから、月花の料理指導に付き合って、いうなれば月花の料理の腕と仁の料理の腕は、共に磨かれてきたものなのだ。だからこそ、あの小料理屋を、月花に代わって切り盛りできた。月花は恥ずかしそうに手で顔を覆って、雨流の膝の上でうなっている。


「恥ずかしい」

「なに、月花。誰でも最初は初心者だ」


 そして、料理が心の支えになっていたのには、訳がある。仁がちらりと月花をみやる。月花はフルフルと首を横に振ったが、仁はかまわずに続けるのだった。


「両親が生きているころ、月花は町外れでうずくまる男の子に、生まれて初めて作った菓子を渡したことがあるのだそうだ」

「し、師匠!」

「なんだ、よいではないか。それで、その男の子は、初めて月花が作った大して美味くもない菓子を、それは美味そうに食べたのだそうだ」


 それは紛れもなく、雨流のことである。あの時の菓子は、なによりも美味しかった、今でもその味をまざまざと思い出せる。月花がちらりと雨流を見やる。笑っている。もしかして、雨流も気づいているのだろうか。


「で、でも、美味しそうに食べたのではなく、空腹だったのだと思います。だから、不味い菓子でも、食べられたのでございます」

「またソナタは。その男の子に、腕を上げた自分を見てほしいと。そのために料理の腕を磨いたと。何度も語っていたではないか」


 これには雨流も赤面する。月花はその男の子が、雨流だと知っているのだろうか。雨流が月花を見ると、「見ないでくださいぃ」と月花が小さくうめいた。つまりこれは、月花はあの時の男の子を、雨流だと認識している、のだろうか。雨流が顔を隠す月花の手を退ける。月花が雨流を涙目で見上げる。それだけで、雨流はすべてを悟った。自分だけじゃない、あの出会いを特別だと感じているのは、月花も同じなのだ。

 雨流は月花をそっと抱きしめ、額に唇を落とした。


「俺も同じだ」

「陛下?」

「俺もずっと、あの時の少女を探していた。ソナタの店の料理を食べて、すぐにあの女の子だとわかったよ」


 そんなあ、と困ったように月花が泣きだす。長年の思いが通じあい、月花も雨流も再会を喜んだ。かといって、月花をこの後宮に縛り付けるつもりはない。仁が我が子と未来の夫を、優しく見守る。仁の看る命式に寄れば、ふたりはきっと――

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ