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三十六、米の毒の正体

 月花の見舞いにと、王宮に呼びよせた占いの師匠・仁が訪れた。月花はまだ月の宮からは出られず、しかし、正装で仁を迎え入れた。


「ソナタ。また無茶をしたと聞いているが」

「も、申し訳ありません。陛下の無実を証明するためでしたので」


 最近は、どうにも食べ物がまずくて仕方がない。味がしないのは、神経毒によくある症状だ。頭が混乱する。食べ物の味が正確にわからないと、どうにもあべこべで落ち着かなかった。


「師匠……今回の件、アルミの食中毒の件を調査しているのですが」

「なるほど。それで実際に飲んで証明してみせたか」

「はい」

「あと、」


 月花は鈴に聞こえないように、仁を手招きする。仁が月花に耳を寄せて、月花はそこに、小さく言った。仁がこそばゆそうに目を細める。


「米が毒になる食中毒を、見たことがありますか?」

「米が?」


 それには仁も驚いたらしく、まさかそんな、と言いたげな表情である。やはり、世界を知る仁でさえ、米の食中毒など聞いたことがないという。だったらもう、手詰まりだ。米が毒になるとしたら、接ぎ木するにしても、米の接ぎ木など聞いたことがないし、だったら、どうやって強心配糖体の毒のある植物――おそらくモロヘイヤだーーをあの米の中に組み込んだのだろうか。


「羽国に行けば、わかったかもしれぬな」


 仁が遠くを見て言った。遠い旅路を思い出すと、今でも心が躍るのは男も女も関係ない。仁は月花との思い出に浸りながら、


「羽国」

「ああ、あそこも米を主食とする国だし。あの国では、毒のあるものを無毒にして食べる技術がある。例えば、フグの卵巣は、ぬか床に何年も漬けて、毒を抜く。梅は、塩漬けして天日に干して、毒をなくして食物にする」

「そうでしたね。そういえば」


 だからこそ、あの国の料理は健康にいいと、月花も知っている。あの国は魚を中心に生きてきた国で、ここ渓国とも交流が深い。もともとは、渓国の食文化を取り入れていたのだが、それらを羽国独自の食文化として花開かせた、希有な国である。羽国では、不始末という文化がある。魚の骨までもを食べつくす、なんら捨てることなくすべてを料理する精神のことだった。月花はこの不始末という言葉が好きだった。


「皇后さま、動けますか?」

「もう、師匠までその呼び方はやめてください」

「だが、ソナタはもう、皇后だ」

「前にも言いましたが、お飾りの妃です」

「だとしても。まあ、ソナタがそう思うのは勝手だが。陛下はソナタをそれは大事に思うていそうだがな」


 最後の方は小声で、月花には聞き取れなかった。月花が椅子を立ち上がる。仁が月花の手を取り、庭に出る。鈴と華女官がはらはらした面持ちでふたりを見守っていた。



 冬の花は、凛としていて美しい。椿の花を見ながら、ふと、月花はその花が二色あることに気が付いた。椿の花が、ぼとりと落ちる。月花は落ちた椿をしゃがんで手に取る。真っ赤に染まり、恐ろしくも美しかった。


「きれい。ここの椿は赤いのに、向こうの椿は……赤と白が半々ですね」


 仁に言うと、鈴が嬉々として答えた。鈴は田舎の農家の出身だからか、花の名前には詳しかった。鈴の弾んだ声は、鈴の音の様に愛らしい。薄い灰色の髪の毛も瞳も、キラキラしてまぶしかった。


「あれは、こちらの花粉があちらの白の椿のおしべに受粉した故に、いつからか白と赤の半分ずつの色味で咲くようになったのです」

「へえ、面白い」


 月花が白と赤の椿をまじまじと見る。受粉、花粉がつくと、半々の性質を『組み合わせることができる』。


「これだ!」

 月花は鈴を見て、ぴょこんと跳ね上がった。「やった、やった」と仁の手を握って、仁とともに舞踏よろしくくるくると跳ねまわっている。とうとうおかしくなってしまったのだろうか。鈴と華女官は顔を見合わせる。しかし、月花はいたって正常だ。


「今から陛下のもとに行きます」


 仁はいったん月の宮に待機してもらい、華女官と鈴を連れて、雨流のところへ走る。後宮は走るな、と雨流からも華女官からもさんざん言われているが、今は急いでいるのだから仕方がない。雨流のところには、大きな庭がある。その片隅に、確か麦が育てられているはずだ。稲で実証できないのは仕方がない。季節は変えることができないからだ。だが、これが明かされれば、鈴を狙った人間が存在することを証明できる。あれは単なる食中毒だと、みなが噂しているが、しかし実際は、仕組まれた中毒なのだと。



「陛下!」

「なんだ、月花。来たのか」


 嬉しそうに破顔して、しかし月花は雨流の手を取り外に急ぐ。どうやら月花が自分に会いに来たわけではないと気づき、雨流は少々落胆するも、頼られるだけでうれしかった。月花は「こちらへ、早く」と速足で雨流の皇宮の庭の隅にある、麦の苗へと歩いていた。麦は花を咲かせる直前で、たわわにこうべを垂れている。


「ところで。華女官はなぜ湯桶を持っている?」

「はい。米の毒の正体を突き止めたのです」

「なに? それは、一体どういうことだ」


 月花は、華女官から湯桶を受け取る。並々注がれた湯の温度は、熱めの風呂くらいの温度(四十二度)。そこに、まだ開花していない麦の花を漬ける。ぴちゃ、と音がして、月花はそこから百二十を数える。雨流はそわそわしながら月花を見ており、月花は、数え終えると麦の花をお湯から取り出す。そのあとすべての苗をお湯に漬けて、


「こうすることで、めしべの花粉が死ぬのです」

「花粉が死ぬ?」

「はい。米も同様……こうやって、めしべの花粉を死なせ、開花したのちに、別の植物のめしべの花粉を受粉させるのです。洋地黄ジギタリスかモロヘイヤの花粉を受粉して。つまり、そうすることで毒のある米を作り出すことができるのです」

「なんと。そのような方法が」

「はい。普通は品種改良に使う手法ですが……腹が立ちますよね。このような悪知恵に使うなど」


 ぷりぷりする月花に、雨流はしかし、感心しっぱなしだった。この月花という少女は、どこまで料理の知識が豊富なのだろうか。雨流は麦の苗を見やる。この麦のめしべは死んだと月花は言っていた。見た目にはわからぬし、植物とは実に不思議で、面白い。そして、これを思いつく月花はそれ以上に。


「それで、この麦が開花したら、洋地黄かモロヘイヤを受粉させると」

「はい……ですので、今すぐに証拠となるのは難しいのです。米菓子の件も、おそらく米をすべて刈り取ってしまっては。もはや手の施しようがなく」


 刈り取った米など、燃やしてしまえば証拠は残らない。だから今回の鈴の件は、証拠不十分で立証できないのだ。黒幕の手のひらの上で転がされているようで腹立たしいが、鈴の件を明らかにするには、やはり雨流の生誕の宴でのアルミの器の食中毒を明かす必要がありそうだ。そもそも、そんなやり手の黒幕が、アルミの証拠を残しているのだろうか。


「悔しいですけど。これが私の精一杯です」

「なに。これは後々の役に立つであろう。黒幕が判明すれば、その田畑を調べられる」


 気休めだとしても、ありがたかった。月花は今一度決意を新たにする。この件は、雨流だけではなく鈴の、そして月花の命をも脅かす問題だ。月花だけならまだしも、鈴を巻き込んだことは許せない。月花は雨流の手をぎゅっと握る。


「私が、すべて明かして見せます」


 しかし、現状月花の体調は芳しくない。先のアルミの毒の証明で、腐食したアルミの器に注いだ乳酸飲料を飲んでから、中毒症状がまだ抜けないのだと聞いている。顔には出さないが、月花はかなりの強がりだ。今も症状に苦しんでいるだろうに、こうやって鈴の件を雨流に逐一報告してくる。そんなけなげな皇后がいとおしく、雨流は柄にもなく、このまま平穏な日々が続けばいいのにと思わずにはいられなかった。

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