海の魔女
「いいかい、二度と引き返せないよ。毒を飲めば最後、裂けた尾は決して元に戻らない。それにね、見た目ばかりそれらしい脚を持ったところで、おまえは本物の人間になるわけではないんだよ。それを、ちゃんとわかっているのかい」
洞窟の中はとても暗くて、水の中で緑に燃える魔法の炎がヴェールの下のお婆さんの顔だけをぼんやりと照らしていた。挨拶したとき私の声はぼわぼわと反響して聞こえたのに、お婆さんのしわがれた声は沖の波のように不思議と静かだったわ。
魔女というから恐ろしい人に違いないと思っていたけど、私を心配してくれているような優しさを感じたから、私は背筋を伸ばしてはっきりと答えたの。
「わかっています」
お婆さんは黄色い瞳で私をじっと見つめてこう言った。
「たったのひと月だよ。月が欠けてまた満ちるまでの短い間に、おまえは陸の上に自分の居場所を見つけなくてはならない。人間に、いつまでもここにいてほしいと心から望んでもらえなければ、おまえの体はすっかり毒に蝕まれ、溶けてなくなってしまうんだよ。それでも本当に行くのかい」
そんな風に脅かされても、私の心は今さら揺れなかった。だって、
「ここももう、私たちの住める海ではなくなってしまったんですもの。このままここにいても陸から流れ込む毒で死んでしまうでしょう。何もせずに待つくらいなら、私は可能性に賭けてお婆さんの毒を飲みます」
それを聞くとお婆さんは首を振って、とても大きく深い溜息をついた。
「たくさんの勇気ある若者を送りだしてきたけど、ここへ来るような子には何を言っても無駄なようだね、みんな一様に強気なことを言うよ。そこまで思いつめて、覚悟もできているというのなら、やってごらん!」
そうして、きれいな小瓶に入った透明な毒薬と、「マナ」という人間風の名前をくれた。前途洋々たる気分というわけにはいかないし、怖い気がまったくしなかったといえば嘘になるわね。とにかくその時は、私にだってひと月の間には何とかできる、何とかしてみせる、という意気込みだった。活路を開こうとするなら、誰だってそうなるんじゃないかしら。