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ヨツアシモノ

作者: ポン酢

 それを見たのはいつの日か。

 赤い夕日が黒く染まりゆく黄昏時。

 遠くで「ヨツアシモノ」が振り向いた。


 あの凍りついた一瞬の時間を、私は一生、忘れないだろう。






 夕暮れになったら、真っ直ぐ家に帰って来い。でないと「ヨツアシモノ」に影を踏まれる。

 そんなよくわからない話を、子供の頃は信じていた。カラスが鳴いて、太陽が赤くなり、影が長くなると恐ろしくなって飛んで帰ったものだ。


「だいたい「ヨツアシモノ」って何な訳?!犬?!」


 部活帰り、夕暮れと言うには暗くなりすぎた時刻、悪友にぶつくさと愚痴を言う。親友の重光は高校入学時にこちらに引っ越してきた、いわば新参者だ。だからこの辺の子供らが皆、幼い頃、「ヨツアシモノ」をとても怖がっていた事を知らない。


「犬なら犬って言うんじゃないか?」


「なら何だよ?猫?」


「猫も猫だろ?」


「じゃあ何だよ?!」


「知らないよ。でも犬とか猫とかっていうより、牛とか馬とかの方がそれっぽくないか?」


「今時、住宅街に牛だの馬だのいないっての。」


「まあな。」


 そんな話をして歩く。ただいぶ暗いが、まだギリギリ影ができる明るさだ。その影が気になって、俺は振り向いてしまったのだ。


「………………?」


 影の先を辿り、歩いてきた道を振り返る。その暗がりに何か見えた気がした。


「どうした?千翔?」


 立ち止まった俺を不思議がり、重光も立ち止まって振り向いた。


「……アレ、何だ?」


「何だろ?」


 俺達は特に何も考えず、随分前に曲がった角に佇む何かを見ていた。大きさは一メートルぐらいか、縛った黒いゴミ袋を逆さにしたみたいなものが浮いている。暗いからよくわからないので目を凝らしてじっと見つめた。


「……なぁ、動いてね?アレ?」


「ちょっと揺れてんな。風じゃね?」


 本当に、黒いゴミ袋を風船みたいに膨らませて、縛った口を下にして浮いているように見えたのだ。それが微妙に動いていても、風で揺れているのだろうぐらいにしか思っていなかった。

 だからそれがこちらに振り向くまで、俺達は本当にゴミ袋が浮いているのだと思っていたのだ。


「…………っ?!」


「おい!千翔!何だアレ?!」


 ぎょっとした。なぜならそれには顔があった。人の顔だ。だがついてる位置がおかしい。こちらを見たそれは無表情のままこちらに体を向けた。


「……ヨツアシモノ!!」


 どうしてそう思ったのかわからない。だがそれを見た瞬間、俺の頭に警告のようにその言葉が浮かんだ。バッと影を見た。消えゆく夕焼けの中、まだそれは薄っすらと影引いていた。


「走れ!重光!!」


「え?!」


「影!!影踏まれんな!!」


 俺は鞄を投げ捨て、重光を引っ張って走り出した。訳がわからない重光が俺に引かれながら走る。そして後ろを振り向いて「ひっ!」と声を上げた。


「ヤバい!ヤバいヤバい!!」


 同じく鞄を投げ捨てると、今度は重光が俺を引っ張って走り出す。そう、俺より重光の方が足が速いのだ。

 しかしさすがは陸上部スプリンター、いかんせん速すぎる。引っ張られて走る俺は足がもつれ、転んだ。


「千翔!!」


「いいからお前は行け!!」


 転んだ俺を重光は振り返り、必死な顔で戻ろうとする。しかし後ろからはパサパサとした妙に軽い音が近づいてくる。きっとアレの足音だ。俺はそう重光に叫びながら立ち上がる。そして無意識に後ろを振り返った。


「ヒッ!!」


 見てしまった。まるで威嚇する猫のように背を丸く膨らませ、おかしな向きで寄せた手足をサカサカと忙しなく動かしながらこちらに近づいてくるヨツアシモノを。人間のようで人間ではないソレを。せむし男のように膨らんだ背中。屈伸したような形のまま、地面をパサパサと移動してくるソレ。大きさの割に重さはないのか、その足音は異様に軽い。能面のような白い顔は何を考えているのかさっぱりわからない。ただ窪んだ目が確かに俺の影を見ていた。


 逃げなきゃ……。

 ヨツアシモノがくる。

 影を踏まれる。


 踏まれたらどうなるか?知らない。でもずっと言われていたのだ。早く帰らないとヨツアシモノが出る。ヨツアシモノが影を踏みに来る。その先は知らない。ただ物凄く悪い事が起きる事だけは本能的にわかっていた。

 立ち上がろうとするが恐怖のあまり足がもつれる。走りたいのに体が強ばってうまく動けない。サカサカ、パサパサいう音はどんどん近づいてくる……!!


「千翔!立ち上がるな!!」


「え?!」


「地べたに貼り付け!!」


「!!」


 重光にそう言われ、ハッとした。夕暮れ。影が長く尾を引く。日が傾いているからだ。俺はすぐに言われた通り、アスファルトにへばりついた。できるだけ薄くなるようにビタッとくっつく。影は俺の周りで小さくなった。これなら踏みようがない。しかし……パサパサ、カサカサという音はどんどん近づいてくる。


 ヨツアシモノが来る!!



「来るな!!重光!!」


 地べたに張り付きながら顔を向けた俺の目に、上着を脱ぎながらこちらに走ってくる重光が見えた。サカサカ言う音はもう真後ろ近くから聞こえている気がした。

 暗く重く、幼いころから腹の奥のほうに根付いてきた得体のしれない恐怖が、横たわる体にじわりじわりと広がり浸透していく。手足ではなく、体の芯の方から冷えていく感覚。なのに妙に耳や目、五感は危機感から鋭く冴えている。

 この状態ならもしかしたらヨツアシモノが影を踏む事はできないかもしれない。だから最悪の事態は免れるかもしれない。だが俺はヨツアシモノを間近で見る事になる。そんなのは嫌だ。何をされるかわからない。怖い。

 俺はギュッと目を閉じた。視野という感覚を塞いだ事で他の感覚は余計に鋭くなる。暗闇の中、皮膚が空気の振動すら感じ取っているように思えた。

 パサパサしたソレの足音。焦っている重光がアスファルトに転がる砂利を踏む音。

 無音のような闇の中で、差し迫る音だけがクローズアップされて大きく聞こえた。バザ……ッという乾いた音。

 そしてサカサカいう音が止まった。


「……ギギギギャギャギャアァァァァァーッ!!」


 次の瞬間、耳障りな声のような金物が擦れるようなそんな音が大音量で周辺に木霊した。俺は思わず、反射的に耳を塞ぐ。それでもその不快な音は耳の奥に入り込み、頭の芯まで響き渡った。その後は何も聞こえない。大きな音を聞いた後に残るぼわんとした感覚だけが残っていた。


「千翔!!千翔!しっかりしろ!!」


 重光の声。それが聞こえたのはすぐのようでもあったし、だいぶ経ってからのようでもあった。重光はそう叫びながら、アスファルトに寝転ぶ俺を乱暴に揺すっている。あまりに乱暴なので顔が擦れて痛かった。


「痛い!痛いだろうが!!」


「千翔!!」


 揺さぶりが収まったので、ムクリと体を起こした。ホッとしたように今度は重光が地べたに突っ伏した。


「良かった……。アイツに何かされたのかと思った……。」


「怖い事言うなよ……。」


 俺はそう言いながら辺りを見渡した。辺りは真っ暗になっていて、もう、影はなかった。

 街灯がチカチカ瞬いて、頼りな下げに灯っていく。


「……アレは……?」


「わかんねぇ……。何か叫んで消えた……。」


「……何したんだ?お前……。」


「いや……、お前の影を踏まれる前に……何か別の影を踏んだら止まるんじゃないかと思って……。」


 重光はそう言うと、俺の後ろの方に落ちていた上着を拾った。さすがに気持ち悪いのか、摘んで少し遠ざけて異常がないか観察している。


「それ、投げたのか?」


「そう。で、これの影を踏んだんだよ、アレが。」


 どうやら重光は俺の影を踏ませまいと上着を投げたらしい。そして投げられた上着の影をアレが踏んだ。そしたらあの耳障りな叫び声を上げて消えたらしい。

 近くの家の人たちが窓からこちらを見ている。あの叫び声は俺達以外にも聞こえていたようだと思った。

 やがていくつかのの家から人が恐る恐る出てきて俺達に聞いた。


「何があったの?大丈夫?」


「どこの家の子だ?」


「アレかい?!アレが出たんかい?!」


 俺と重光は顔を見合わせ、よくわからないまま、今起きた事を話した。



 あれからこの辺は、しばらくの間、緊張が続いた。子供達は集団下校するし、日が傾く前に家に帰るよう町内放送が流された。

 あの後、俺と重光はというと、すぐに近くの公民館に連れて行かれ、親が半泣きで迎えに来た。

 念の為とお祓いに行き、その時、何が起きたのか教えてもらった。

 多分だけど、と言って、重光の上着のポケットに入っていたカッターを俺達は見せられた。

 「ヨツアシモノ」は刃物を嫌う。

 だから上着の影、つまり刃物の影を踏んでダメージを受けたのではないかと。ただそれでやっつけたのか、単に逃げたのかはわからないと言われた。


「……なぁ。」


「何だよ?千翔?」


 俺達は相変わらず歩いて帰っている。もう日が短くなったので、帰る時には影ができない。いや、街灯の明かりではできるのだが、太陽の光でできた影しか「ヨツアシモノ」は踏まないんだそうだ。


「あの時さ、何でカッターなんか持ってたんだよ?」


 俺は不思議に思っていた事を聞いた。重光は何でもない事のように答えた。


「あの日さ、アマズンから荷物が届いてるはずだったからさ。帰ってすぐ開けたかったんだよ。で、速攻開けられるように帰る時、上着のポケットに突っ込んだ。」


「……偶然って事かよ?!」


「偶然だな。アマズン様様だ。」


「確かに。アマズン様様だ。」


 俺達は大手通販サイトに感謝した。でも他にも不思議な点は残っている。


「お前、結構、冷静だったよな?」


「はぁ?!ビビりまくって小便チビってたわ!!」


「汚ねぇな。」


「テメェは脱糞してただろうか。」


「してねぇわ!!」


 阿呆な会話が続く。なんだか誤魔化されたような気もした。


「……で?何で咄嗟に地面に貼り付けなんて言ったんだよ?」


「影、踏まれたらヤバイんだろ?だったら立ってるより小さくなった方が影が短くなるじゃんか?」


「だから、何でそんな事、咄嗟に思いついたんだよ?!しかも逃げろって言ったのに逃げなかったし。」


「必死だったからよく覚えてねぇ~。」


 重光はそう言った。確かに必死だっただろうけど、だからってあんなにうまく立ち回れるものなのだろうか?

 無言になる俺に、観念したようなため息をついた重光が口を開く。


「……似たような話がさ、俺のばあちゃん家の方にもあったんだよ……。」


「え?」


 意外な言葉。驚いて顔を向けると、重光はあまり言いたくない事を話すように言葉を続けた。


「……影踏み鬼ってばあちゃんは言ってた。後、あんな気持ちの悪いのじゃなかった。」


「まぁ……アレはトラウマだよな……。」


「キショすぎだろ、アレは。」


 あの日見た「ヨツアシモノ」のに姿を思い出し、俺達はぶるりと身震いした。


「で?お前の知ってる影踏み鬼って何だよ?」


 俺はそう重光に聞いた。重光はやはりできれば話したくないのか、何となく誤魔化そうとしているのがわかった。


「重光。」


「わかった。わかったよ。」


 重光は話しだした。重光の祖母の家はとても山奥にあったそうだ。そしてそこでは、満月の晩に子供たちが山の上の神社に集められて「影踏み」をするのだそうだ。


「夜に?!」


「ああ。都会と違って夜になれば真っ暗だからな。月明かりで影ができるんだよ。」


 理屈はわかるが何とも不思議な気がした。山奥の村の山にある神社で、月明かりでできた影で子供たちが影踏みをする。凄く幻想的な光景に思えた。

 子供らは皆、同じジンベエみたいな服を着て足に鈴をつける。そう、重光は言った。


「別に特別な事なんかない。ただ影踏みをするんだ。……でも。」


 重光がそこで言葉を切った。俺は不思議に思ってその顔を覗き込む。少し青い顔をしていた。


「希に、いつの間にか鈴をつけてない子が混ざるんだ。服装もよく見るとちょっと違う。でもその子が入り込んでいる事に気づいても、騒いだりしたら駄目なんだ。そのまま影踏みを続ける。」


「……もしかしてその子に踏まれるとなんかあるのか?!」


「逆。その子の影を踏んだらいけないんだ。その子は神様の化身で、一緒に遊びたくて出てくるんだって言われてた。でも、神様だから粗相をしてはいけない。だから影を踏むなんて事はしちゃいけないんだ。」


 重光の話は少し怖かった。神様のはずなのに何か怖かった。そこまでは月明かりの中で影踏みをする幻想的に思えた景色が、俺の中で妖しげに揺らめく。


「……踏んだらどうなるんだ?」


「取られる。」


「は??」


「影を取られる。」


「……え?影を??」


 重光は硬い顔つきで黙って頷いた。それはまるで、取られたところを見た事があるように見えた。


「……影、取られるとどうなるんだ……?」


「最悪、死ぬらしい。」


「!!」


「でも防ぐ方法がある。もしも神様の影を踏んでしまったら、取られる前に他の誰かが鈴のついた足で、踏んだ奴の影を踏むんだ。」


「何だ、それで大丈夫なのか……。」


「いや、神様の影を踏んだらすぐ取られるから、本当、隣にいた奴がすぐさま踏まないと間に合わないんだ。」


「え?!じゃあ、間に合わなかったら?!」


「とりあえず、神様にその場にいた皆で謝る。そこから先は運次第だ。」


「運?!」


「謝ってすぐ返してくれる事もあれば、次の日、村の皆で祈祷すると返してくれたりとか、数日から数週間、お参りを続けると少しずつ帰ってきたりとか、色々。基本的には返してくれる。神様的には一緒に遊んでるつもりなんだ。だから怒っているというより、ちょっと悪ふざけしているだけだから……。」


 だが、重光の言い方から「返されない場合」があるのだと思った。

 いつの間にか日はすっかり沈み、頼りなげな新月が太陽を追って落ちていく。

 俺達は少しの間、黙って歩いた。そんな気分を変えようと、重光がいつもの飄々とした声のトーンを少し上げて戯けた。


「でも悪い事ばっかりじゃないんだぜ?何しろ神様だからさ、逆に踏んでもらえると良い事があるんだよ。加護が付くっていうか、箔が付くっていうか。」


「へぇ~。どんな?」


「思わぬ小遣いを得たり、テストの山が当たったり、大会で賞を取れたり。後、事故にあって無傷だったり、病気が治ったなんてのもあるらしい。」


「へぇ~。」


「お前んとこの気持ち悪いのとは違うんだよ。」


「悪かったな、厄しかなさそうな妖怪しかいなくて。」


「ホント、それな。」


 そう言われ、少しムッとする。確かに「ヨツアシモノ」は気持ち悪いだけだけどさ?お前のその神様もそれなりに気持ち悪いからな?!

 しかし「ヨツアシモノ」に良いところがないので言い返す事もできず、俺は不貞腐れるしかない。そんな俺を重光は笑い、そして一息開けて言った。


「……だからさ、あの時、千翔が「影を踏まれるな」って叫んでさ。影踏み鬼を思い出したんだ。それで少し、どうしたらいいか冷静に考えられたっていうか。」


「そっか……。」


 そう言った重光はどこか遠くを見ていた。重光の抱える闇。俺は気づかないふりをした。そういう闇をここに住む者は皆、持っているから。重光がそうしてくれるように、俺も気づかないふりをした。




 日が暮れ出したら、すぐに家に帰りなさい。「ヨツアシモノ」が影を踏みに来るから……。


 子供の頃から言い聞かされた不思議な言葉。単に子供に帰宅を促す独特な迷信だと思っていた。

 でも、アレを見た瞬間、それが何かすぐにわかった。

 俺は「ヨツアシモノ」を知っていた。それが何かはわからない。でも、この土地に生まれ、この土地で生きてきた俺の中に、確かに「ヨツアシモノ」の記憶があった。それはきっと、受け継がれてきたDNAに刻まれた記憶なのだ。

 この土地に生きる者に受け継がれる記憶という遺伝子。この土地で生きる為に命の奥底に残された必要な戦略。

 それはきっと、この地に生き続ける限り、受け継がれていくのだろう。




(某公募落選供養(笑))

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