嫌いだよ。だけど、
「はあ……はあ……」
多くの魔物に囲まれて、リードは満身創痍な状態で、大きく肩で息をしていた。
囲んでいる魔物はCランクの魔物である鋼爪狼が3体に、Aランクの魔物である火炎大蜥蜴が2体だ。
いつもならこれしきの魔物、Sランク冒険者であるリードなら造作もいないのだが、ダンジョンに放り込まれてから戦い詰めであり、魔力が十分に回復できていない。加え、先ほどアインスに矢を射かけられ、麻痺が解けたばかりで体を満足に動かせない。
こんな時に限って動きの素早い鋼爪狼が敵に混じっているおかげで、逃げる選択を取ることもできない。
鋼爪狼に引っ掻かれた腕から赤い血が滴る。この血の匂いを嗅ぎつけて、また別な魔物もやってくるだろう。
「——っ!」
火炎大蜥蜴が喉の炎腺に蓄えた炎を吐きだし、リードの動きを制限した後、鋼爪狼が隙をついて鋼の爪で襲い来る。
何とか躱すも、じりじりと逃げ場の無い岩場に追い込まれ、背後の大岩を背に、リードは今度こそ逃げ場を失った。
何で俺がこんな目に。などと思った矢先、真っ先に浮かんだのはアインスの言葉。
ほんとは分かっているんじゃないのか。自分が悪いってことくらい。
ほんの一瞬、過った言葉に思考を奪われた。
その通りだと思ってしまった。
結局ギルドが崩壊したのも、あの時自分が欲をかいて、撤退の判断を下せなかったから。
今こんな目にあっているのも、アインスの荷物を奪おうとして、反撃を喰らってしまったからだ。
全部自分の身から出た錆だ。
「グルオオオオオッ!」
「——しまっ」
そして、我に返った時には、目の前には鋼の爪でリードに向かって襲い来る、鋼爪狼の姿があった。
もうダメだ、と思いながらも両腕で防御の大勢を取った時、
「ギャンッ?!」
「……?!」
鋼爪狼の意識外から飛んできた矢が、横からその眼を貫いた。
矢が飛んできた方向には、肩で息をしながらクロスボウを構えるアインスの姿が。
「っ!」
アインスは再び矢を装填し、2匹目の鋼爪狼に向かって矢を放つ。
急所にこそ当たらなかったものの、脚に当たった矢は鋼爪狼の機動力を大きく奪う。
だが、この瞬間、魔物たちの標的がリードから、完全にアインスに移り変わった。
「ぐあっ?!」
火炎大蜥蜴が遠くにいるアインスに向かって、炎の粘液を吐きだしてきた。
溶岩のようにドロドロとした液体が、水鉄砲のように発射される。
高速で放たれたその粘液は、アインスのクロスボウに命中し、クロスボウが熱で溶かされて変形してしまう。
反射的にクロスボウから手を離した時、今度は提げていたマジックバッグに粘液が命中し、物資の入ったマジックバッグが燃え尽きてしまった。
後ろに倒れ込み、無防備になったアインスに、鋼爪狼たちが迫ってくる。
「うわああああ‼」
完全に対抗手段を失い、恐怖で叫びながら身構えて、最期の時を待つアインス。
鋼爪狼の爪が、アインスの喉を切り裂こうとした時、
「うおおおおおおおおおおお‼」
決死の叫び声を上げながら、リードが鋼爪狼を背後から殴り殺した。
完全に死んだと思ったアインスは、息を整えながら周囲を確認すると、火炎大蜥蜴も既に仕留めた後だった。どうやら、自分に注意が向いている際に、リードが殺してくれたらしい。
「…………」
「…………」
互いに間一髪の状況だった。
まだ二人とも生を実感できていないかのように、肩で大きく息をしながら、呆然と呼吸を整えている。
まだ平静を取り戻せない中、リードが「……何しに来た」と小さく呟いた。
「……何しに来た、じゃないよ」
そこで完全に頭が冷えたかと思えば、別の感情が一気に恐怖を飲み込んで、アインスはやけになったように怒鳴り声を上げた。
「ありがとう、ぐらい言えよ! 助けに来てやったんだろうが‼」
涙を流しながら、それでもしっかりと力強い目で自分を見つめてくるアインス。
「何で、助けに来たんだよ……」
その力強い瞳に怯みながらも、リードは途切れ途切れに言葉を紡ぎ出した。
「俺の事、嫌いだろ。恨んでるんだろ。なのに……なんで」
先ほどまでとは違い、自虐に満ちた言葉でアインスを問い詰める。アインスを責めるのではなく、自分を詰るように、弱弱しい、震えた声。
お前が僕ならお前を助けるのか。
アインスに投げられた問いに、自然と胸の内で返していた。
助けるわけないだろう。こんなクズ。
助けるわけないだろう。こんなみっともない人間を。
わかっていたからこそ、アインスが助けるわけないと思っていた。
わかっていたからこそ、自分はもう終わりだと思っていた。
そんなリードに、「そうだよ」とアインスはわなわなと拳を震わせてから続ける。
「嫌いだよ、恨んでるよ! お前なんか大嫌いだ‼ ギルドで僕をさらし者にして、楽しくなっていたお前なんか嫌いだ‼ 僕を無能と決めつけて、僕を見下していたお前なんか嫌いだ‼ この期に及んで僕を襲って、荷物を奪おうとしてくる馬鹿なんて大嫌いだよ‼ 一人じゃ生きていけないくせに、人をコケにしてくる人間を、助ける義理なんてあるわけないだろうが‼」
大粒の涙を流しながら、ボロボロと表情を歪ませながら、最後は声を詰まらせて、所々でせき込んで、嗚咽交じりに気持ちを吐露するアインスに、リードは辛そうに視線を外してしまった。
ああそうだよ。その通りだよ。
アインスの言葉が素直に胸の中に入ってくる。だから何も言わず、ただただ自分の不甲斐なさを噛み締めるように、リードは口を固く噤んで俯いた。
「……だけど——」
ふと、アインスの言葉から怒気が抜けて、リードは不意に顔を上げた。
「あの日、ご飯を食べさせてくれたことは、ずっと感謝してた……」
あの日、というのは、ボロボロのアインスを、ギルドに勧誘した日のことだ。
「嫌いだけど……死んでほしいだなんて、思っていない」
恨みや怒りを無しに、2人の目線が初めて合った瞬間だった。
泣きながら、あれだけの罵声を浴びせたにも関わらず、アインスの瞳には、自分を労わる優しさのようなものが込められていて、リードは胸が詰まって何も言えなくなった。
今までファルアズムやシャノン、スケイルに奴隷だのゴミだの言われ続けていた中で、初めて自分の身を案じられて、何も言えなくなってしまった。
「リード……僕も一人じゃ生きていけない」
呆然と腰を突くリードに、アインスが鼻をすすりながら続ける。
「お互い、嫌いのままでいいよ。だけど……今だけは協力しようよ。ダンジョンを生きて帰ることができたら、どっか別の場所に行って、お互い知らないところで勝手に生きようよ。僕たちはそれでいいだろ。そのために僕の力を貸すからさ、お前の力を貸してくれよ」
それができないなら、僕たちはここまでだ。
アインスはそう言って言葉を切ると、静かに、まっすぐとリードを見つめ、返答を待った。
「……ああ。協力しよう」
仕方ないとか、してやってもいいとか。自分に都合の悪い言葉を振り払って、アインスが差し出したその手に、リードは優しく握手で返した。
あの日、アインスがギルドに誘った日。アインスはリードの手を、弱弱しい手で握り返した。
それ以来、ギルド内で2人が手を躱すことはなかったのだった。
だが、この時再び、今度はアインスが差し出した手を、リードが握り返す形で再び手が交わった。
「……まずは物資の調達をしよう」
アインスは解体用のナイフを服の内側から取り出し、リードが仕留めた魔物たちの死骸へと歩き出す。
小さくも頼もしく見えたアインスの背中の、一歩後ろをついて歩くように、リードも立ちあがって歩き出した。




