遠い日の記憶
最終章です。宜しくお願い致しますm(__)m
「ねえ、なんで僕にはお父さんがいないの?」
小さい頃、川で洗濯をしていた母になんとなしに聞いてしまった。
アインスが生まれたのは、人口150名ほどの辺境に位置する田舎町だ。そんな小さなコミュニティ内を見渡しても、自分に父親がいない、ということの異端さには、幼いながらにも気が付いていた。
生まれた時から母と二人で生活してきた。だから母親だけとの生活も寂しいわけではない。只々不思議に思ったから、なんとなしに聞いてみただけ。
すると、母親の顔が曇ったのがわかって、「ごめんね」と申し訳なさそうに告げられた言葉に、ああ、聞いちゃいけないことだったのかと、後悔の念が襲ってきた。
「お母さんが振ったの。だから一緒にいられない」
「……一緒にいられないってことは、生きてはいるの?」
「うん」
「お母さんはお父さんのことが嫌いなの?」
「いいえ。大好きよ」
「……じゃあなんで?」
好きならばいっしょにいれば良かったのに。
そんなアインスの質問に、母親は困ったような笑みを浮かべて、表情を暗くしたアインスの頭を優しく撫でた。
「私が私を守れなくなったから。だから一緒にいられなくなったの」
抽象的な回答に首を傾げるも、詳しく話したくない、あるいは話せないというニュアンスだけは伝わった。
だから幼いアインスもそれ以上は聞くことはしなかった。
気まずそうに無言で洗濯を手伝い始めたアインスに、「会いたい?」と母親が優しく尋ねる。
ここで「うん」と正直に話せば、それは母を傷つけてしまうだろうか。
黙ってしまうが、否定しない以上、肯定しているのと同じ。
アインスの胸の内を察して、「フフ……」とほほ笑んでから、アインスの母は告げたのだった。
「あなたが立派に育てば、向こうから見つけてくれるよ」
「どういうこと?」
「それ以上は内緒」
きっと話せないことなのだろう。だが、気分良く笑う母親の顔を見て、きっと悪くは思っていないのだろうと安心する。
母が内心では、顔も分からない父に会いたがっていたのも十二分に伝わった。
そのことに安心したアインスは、食事のときや家事の手伝いの合間に、自分の父親について何回も訊ねた。
ほとんど話してはいけないことなのか、具体的な情報が返ってくることはあまりなかったが、それでも父が、母と同じ冒険者をしていたことは強く印象に残っていた。
自分が持つ【斥候】の職業は、あまり冒険者ギルドでは重宝されないと聞いていたが、それでも冒険者という職業に興味を持ったのは、父についての話がきっかけだ。
自分がもし冒険者になって大成したのなら、いつか何かが原因で離ればなれになった両親が、再びよりを戻すきっかけになるかもしれないと思ったからだ。
だが、そんな願いも、とある日の事件をきっかけに儚く崩れ去ることになる。
近くに発生したダンジョンがダンジョンブレイクを起こし、溢れた魔物が,町を襲った。
その襲撃の際、アインスは奇跡的に生き残り、母を含めた町の皆、生まれ故郷を一夜にして失うことになる。
その後近くの地域を放浪し、食事と寝床を引き換えに、斥候としてリードが発足させたばかりのブラックギルドに勤めることになったのは、もう少し後の話だった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「アインス君~起きろ~」
コンコン、と額を杖で叩かれてアインスはゆっくりと目を覚ました。
寝袋の中からもぞもぞと起き上がると、すでに焚火と朝食が用意されていた。
「最近寝つけが悪いけど、どうかした?」
「いえ、特には。……ただ、何故か昔のことを思い出すようになって……」
「ブラックギルドに勤めていた時の話か?」
「いえ、それよりもっと前です」
入れたてのお茶が入ったカップを渡され、アインスは息で冷ましてから、目覚めの一杯を口にした。
「もうないんだっけ、アインス君の故郷」
「ええ。魔物に襲われて。……母も、街の皆も、そのときに全員」
「辛い話だな……」
朝から重めの会話に、空気が少しどんよりとなった。
「あ、でも」と空気を変えるように、アインスが会話を繋げた。
「父は運が良ければ生きているんです。母の話だと、どこかで冒険者をしているそうなので」
「へえ、親子そろって冒険者だったわけね」
「名前や職業が分かれば、私が知っているかもしれんぞ」
アインスの力になれると思ったのか、カルミナが自分を頼れと言わんばかりに胸に手を当てる。
それを嬉しくを思いながらも、アインスは「残念ながら……」と苦笑した。
「父については、それ以上は分かっていないんです。役職、年齢、ランク……何もかも」
「そうか」
カルミナがしょんぼりと茶を口にする。
「まあ、いざとなればスケイルに調べてもらうのはありかもしれんな」
「連盟の冒険者だったのなら、確かに知っているかもしれませんが……」
「それ最終手段ね。あいつに借りを作るのはごめんだわ」
ミネア吐いた毒に、カルミナたちも頷いた。
何かこちらから頼みごとをしたときに、その後それを恩に着せて厄介ごとに巻き込んでくるのは目に見えている。
「……」
「アインス? どうしたんだ?」
「……あ、いや、なんだか変な感じがして」
右手で軽く胸を抑えるアインスを見て、カルミナが食あたりを疑ってきたが、気分がすぐれないわけではない。
釣り大会終了以降、偶にスケイルのことを思い出した時に、少しだけ動悸がすることが増えた。
胸を揺らすのは、スケイルの言葉。
スケイルが不意に投げた、「頑張れよ」の言葉。
そのときカルミナやミネアに与えられたものと比べても大分抽象的な言葉だ。
だからこそ、その短い言葉に、言葉以上に大きな、深い意味が込められているような気がした。
なんで——なんで少しだけ懐かしい気持ちになったのだろうか。
遠くを見つめるような表情のアインスを、カルミナが心配そうに見つめる。
「ほらほら、ぼうっとしてないでさっさとご飯食べなさい」
食事の手が止まった二人を煽るように、ミネアが空になった皿を片付け始めた。
カルミナとアインスは慌てて食事を再開する。
「明日には連盟についていないといけないんでしょ。さっさと最寄りの支部に向かって、転移の巻物受け取っちゃいましょ」
「ああ。そうだったな」
アインスより一足先に食事を食べ終えたカルミナが、一枚の紙を取り出した。
「明日は連盟設立の周年記念式典。私たちも準備を整えなければ」




