ワダツミウオのお味
街に戻り、上位入賞者の表彰が行われた後、スケイルが調理したワダツミウオが、皿に乗って運ばれてきた。
「ワダツミウオ、実食といこうじゃあないか」
スケイルが穏やかな笑みを浮かべ、カルミナたちに皿を差し出した。
「へえ、揚げ物か」
漂う香草の香に、カルミナが頬を緩ませた。上質な植物油の香に混じって漂うハーブの香だけで、思わず涎が湧き出てくる。
「ほんとは生で食わせたかったが、最初は僕の得意料理にさせてもらったよ」
「おい兄ちゃん! こっちにも寄越してくれよ!」
「もちろん、街の皆の分もあるとも」
スケイルの合図で、ナスタが街の者の取り皿に、唐揚げを1個ずつ分けて回る。
「もっとほしい」と申し出た者には、「おかわりは後で受け付けますよ」とナスタが素っ気なく返す。
「もっと豪勢に配ればいいのに」
「この場にいない人にも振る舞う予定なんじゃない?」
1個だけ、それもこぢんまりとしたサイズの唐揚げを配るナスタに、シャノンが怪訝な表情をした。
考えても仕方がないと、ミネアが適当に返す。
他の参加者が釣り上げた魚は、あら汁や寿司のネタに使うみたいだ。スケイルが釣り上げたマグロの寿司には、すでに多くの人が群がっている。
寿司にあら汁、焼き魚にムニエルなど、各種海鮮料理が出そろったところで——
「では、今年度の豊漁を願って、かんぱーい!」
「「「「「「「「かんぱーい‼」」」」」」」」
祭りの幹事らしき人物が乾杯の音頭を取り、街の者たちの軽快な声が辺りに響き渡った。
「いざ、実食だな!」
「はい!」
「よっしゃあ!」
一口酒を口にした後、カルミナたちはワダツミウオの唐揚げに木製のフォークを突き刺し、
「いただきます!」
「「いっただっきまーす!」」
と一口で口一杯に頬張った。
あれだけ苦労して釣り上げた大物。その味はいかほどのものか。
アインスたちが口の中に意識を集中させた時だった。
「「「——————オエエエエエエエエエエエエエっ?!」」」
途端に口の中を襲った苦み。えぐみ。臭み。
小便のかかった粗悪な牛脂を丸ごと口にしたような酷い味わいに、アインスたちのみならず、街の者たち全員が一様に、皿の上にワダツミウオの唐揚げをリバースした。
「ゴホッ、ゴホッ……! 脂身だらけで食えたもんじゃない……‼」
「それ以上に臭すぎる……! なんでアンモニアがこんな多量に含まれているんですか……?!」
「残る……! えぐみの強い脂がいつまで経っても舌の上で残り続ける……!」
あまりの不味さ阿鼻叫喚で包まれた会場で、1人、心底可笑しそうに腹を抱え、「あーっはっはっはっは‼」とスケイルが高笑った。
「スケイル‼ ワダツミウオは美味なんじゃあなかったのか?!」
「普通はな‼ だが伝聞よりも実を見ろよ馬鹿共が‼」
カルミナが怒りの表情で睨むも、スケイルはそれをあざ笑いながら、遠くに置かれている、大きな蓋が被せられた皿を指差した。
スケイルの合図で、ナスタが蓋を取り出すと、中途半端に捌かれかけているワダツミウオが、強烈なにおいと共に顔を出す。
あまりに強烈な刺激臭に、風下に立っていたカルミナたちが反射的に鼻をつまんだ。
「言っただろう、ワダツミウオは適応能力が高いと! 適応能力が高いが故に、適応の仕方は個体によって様々なんだよ!」
「どういう意味ですか⁈」
「……あの深海は、特別に塩分濃度が高いエリアなんだ」
アインスの問いに、スケイルはニタニタと歯を見せながら答えた。
「ワダツミウオは、食べた獲物の中に含まれている旨味や上質な油を、体内に蓄える魔物……そしてあの深海——ダイオウイカが一匹たりともいなかっただろう。これら3つの要素がどういう結論を生み出すかわかるかな?」
「……まさか?!」
「その通り! ダイオウイカを喰らって、そいつに含まれていた尿素を体の中に蓄えることで、塩分濃度の高い海域に適応した特殊個体‼ 君たちが釣り上げたワダツミウオはとんだハズレ個体だったわけさ‼」
「「「はあああああああああああ?!」」」
驚愕の事実を突き付けられ、カルミナたちが悲鳴に近い声を上げた。
「ダイオウイカって不味いんでしょ?! なんでグルメフィッシュがまずいもん食ってまで深海なんかに引きこもるのよ⁈」
「縄張り争いに負けたんだよ。だから餌の不味い深海に逃げ込んだんだ。そこでいるかもわからない同族に怯えてじっと過ごすもんだから、脂肪が消費されずに蓄積されたんだろう。脂身だらけの肉は、ただ単に運動不足! 回遊魚のくせに食った分だけ運動しないから、こんな自堕落なボディになったわけさ‼」
言われてみれば、残った肉体から見える白いボディのほとんどはギトギトした脂身だ。可食部と思われる筋肉質の部分はほとんど存在しない。活動の主なエネルギー源は魔力の為、運動をしなければ脂肪は自然と燃焼されることがないのだろう。そのため、身のほとんどを脂肪が侵食することになってしまったようだ。
わざわざ唐揚げという調理法をチョイスしたのは、食す寸前までアンモニア独特の臭みや、脂身だらけの肉を悟られないようするために違いない。
「本来は美味い獲物を食べ、その旨味成分を蓄えるからこそ美味しい身になるワダツミウオも、餌の不味い深海ならその身も不味くなる。安易に伝聞なんか信じるからそうなるんだよ!」
おそらくスケイルはワダツミウオを見つけた時点で、ここまでのシナリオを思い描いていたのだろう。釣れば不味い料理で仕返しできるし、釣るのに失敗すれば土下座を強要できる。
前者に転べば面白くなると踏んだから、ミネアに助力したに過ぎないのだ。
「で、でもアンモニアなら下処理すれば多少マシになるはずじゃ」
「するわけないだろう。アンモニアの風味を損ねる」
「損ねろやそんなもん?!」
ミネアが吐きながら怒鳴るも、スケイルは可笑しそうに笑うばかりだ。
「さあ、ワダツミウオの肉はまだあるぜ? お代わりしたい奴はいるかい?!」
スケイルが煽るように街の者たちへ訊ねるも、皆慌ててスケイルから目を逸らした。
「……ありゃあ、しょうがない。じゃあ釣り上げた張本人たちに責任もって食ってもらうしかないなあ?!」
「「「——————?!」」」
全力で首を振るカルミナたちの前に、ナスタがコトッと優しく皿を置いた。
「——刺身です」
「せめて火を通せ‼」
世間体よりも防御を優先し、鼻栓を鼻の穴に豪快にぶっ刺したナスタが料理を給仕した。
よりにもよって生で食わすなこんなもの。
あからさまに自分たちを苦しめる為だけの料理を嬉々として給仕するナスタにカルミナが叫ぶ。
「吸い物、ムニエル。フリットにカルパッチョ。今日は僕が腕を振るってやろうじゃあないか」
街の者たちも食べたため、身はだいぶ減ってはいるが、それでもあと10㎏ほどの肉塊が残っている。
唐揚げを小ぶりにしたのは、残った肉でカルミナたちに料理を振る舞うためなのだろう。今日のスケイルの思考は、カルミナたちへ逆襲することに特化しているようだ。
匂いをものともせず、スケイルは意気揚々と臭みの強い肉塊を、料理用に切り分けていく。
「——ひとかけら残さず食ってもらうぜ? 大会荒らし共」
その後はスケイルが作った料理を食うだけの時間が始まった。
山盛りの料理を、食べる前から吐きたくなったのは初めてだ。
それでも祭りを台無しにしてはいけない責任感からか、カルミナたちは出された料理を吐きそうになりながらも食べ続けた。
不味さに顔を歪めながら、青い顔をして食事をする一行を目の前に、
「ナスタ。ワインを」
「用意しています」
調理を終えたスケイルたちがワインを開け、苦しむ姿を肴に晩酌を楽しみ始めた。
スケイルは言わずもがな。ナスタの性格も大概なのかもしれない。
「なんであのクズはこの匂いが何ともないのよ……!」
ミネアが恨みがましい視線を送るも、まるで乾杯の音頭を取るかのように、スケイルがグラスを合わせる動作を取った。
鼻栓もせずに、良い笑みを浮かべる顔がいいだけのクズが心底憎たらしい。
「ごめんなさい……僕が魚の成分までしっかり探知していれば……」
「気にするな……悪いのは全部……!」
「おいおい、なんだよその顔は? 僕は火に油を注いだだけだぜ?」
カルミナがスケイルを睨むが、その反抗的な視線をスケイルは笑って受け流す。
「元の火種はそっちだろう」
スケイルが指差したのは、虚ろな目をしながら乾いた笑い声を漏らし、料理を腹に詰め込んでいくミネアだ。
「……へへ、100万G……」
お前もうちょっとプライドとかないのか?
食えれば何とかなると思っているのか、不味い料理を詰め込み続けるミネアを目にし、カルミナは言葉を失った。そういえばコイツのせいだった。
反論をつぶされたカルミナたちは、その後黙って、運ばれてくる料理を食べ続けた。極力五感を抑え、噛む回数を減らし、水で腹に流し込むような食べ方で。
なんとかクソ不味い料理を食べ切ったものの、その後腹痛と、突如として思い起こされる料理の味に吐き気を催しながら、三日三晩寝込むことになったのだった。




