スケイルの逆襲
大会終了まで2時間を残し、船上は異様な空気に包まれた。
2・3位の立派な獲物を脇に控えさせ、その中心でボロボロの廃船が我が物顔で鎮座している。
念のため確認するが、一応釣り大会の優勝(予定)者の獲物だ。
「そもそもなんで獲物の定義を魚に限定しておかなかったんですか……」
アインスが廃船を横目に主催者に訊ねると、主催者の男も苦い顔をして答えた。
「……1回だけな、ダイオウイカを釣り針に引っ掛けたやつがいたんだよ」
「ダイオウイカ? 深海に生息していると言われている?」
「ああ。どうやら瀕死の個体が海面近くに出てきたみたいでな。それを引き上げた際に、あまりに珍しいからそれを引っ掛けたヤツを優勝者にしようとする意見が多く出たんだ」
「それで獲物の定義を曖昧にしたのか」
「ああ。今後似たようなことが起こるかもしれなかったからな」
確かにそれだけの大物を引き上げておいて、優勝争いに絡めないのはもったいない気もする。
元はといえば、地元の祭りの1イベントだ。参加者が楽しめる方向にルールが動く分には特に不満も出なかったのだろう。
暫くしてから、このような形で余所者に悪用されるとは思ってもいなかっただろうが。
「ふふ~ん。これで巨大ザメでも釣り上げられなきゃ勝ち確ね。カルミナ、アインス君。今日は私が夕飯奢ってあげるわ。何食べたい~?」
「今絡むな。仲間だと思われたくない」
如何にもご機嫌な様子でからんでくるミネアを、カルミナが邪険な表情でシッシと追い払う。
通ったとはいえ、あまりに常識を無視した暴論だ。
その主であるミネアに周囲からの非難の視線が集まるのは当然である。
「ミネアさんの優勝を阻止するには、小舟よりでかい獲物を3匹釣り上げればよいのですが……」
「ちょっとナスタ。阻止って何よ阻止って」
「僕の探知眼にも、そんな獲物は引っかからないねぇ」
スケイルが探知眼を発動させながら、クククと喉を鳴らす。
アインスも試しに発動してみるが、周辺の海域にそんな獲物は見当たらない。
周囲の参加者たちもミネアの態度に腹を立て、なんとか優勝を阻止できないか試行錯誤しているものの、良い考えはなさそうだ。
「皆黙って私の優勝を見届けりゃあいいのよ! 揃いも揃ってこの私を馬鹿にしたツケが回ったんだわ! おーっほっほっほ!」
「完全にこいてるねえミネアちゃん」
周囲が呆れた、あるいは侮蔑的な視線を投げる中、スケイルは一人、ミネアの様子を見て悪い笑みを浮かべている。
そんなスケイルに、アインスは恨みがましい顔をしながら語り掛けた。
「そもそもスケイルさんも、何であんな暴論を支持したんですか」
「僕は規則には厳しいんだ。常識かルールか、どちらか選べと言われたら規則の側に立つのは当然だろう?」
「今日はあんたと気が合うわね~! アインス君もうだうだ言わないの!」
あれだけ忌避していたスケイルに自分から絡みに来る辺り、相当調子に乗っている。
「そうだぜ皆。受け入れがたい気持ちは分かるが、ここはミネアちゃんの優勝を皆で祝ってやろうじゃあないか?」
スケイルがこの場の全員に語り掛けるも、皆複雑な表情で目を逸らすばかりだ。
認めたくはないが、ルールに則ればミネアの優勝を誰も否定できない。
納得しようがしまいが、返す言葉はない。沈黙を貫く以上、ミネアの優勝を認めるのと同じ。
静寂した空気を、皆の敗北宣言ととらえたミネアがふんぞり返る。
「よかったなあミネアちゃん。優勝できそうで」
「うん。よかったよかった~」
「じゃあ、今日1番の大物は、ミネアちゃんの小舟ってことで——」
調子のいい声から一転して、スケイルが声のトーンを一転し、邪悪な笑みを浮かべながらミネアに向かい直る。
「——————あの船は、責任をもって平らげてくれよ?」
「…………へ?」
意味が分からず、ポカンと口を開けるミネアに、スケイルが続ける。
「知らないとは言わせないぜ? 『この釣り大会の上位入賞者の獲物は、町の住民に振る舞わなければならない』。そして『釣り上げた獲物を食べ残してはならない』のがこのお祭りのしきたりだ。あの小舟を獲物として扱うからにゃあ、ひとかけら残さず食べてもらう」
「いや、でも、あれ……舟」
「そう。舟だ。当然だが、町の住民もここにいる参加者もあんなもの食えるわけがない。……じゃあ釣り上げた張本人であり、あれを獲物と扱うよう求めたご本人様のミネアちゃんが、責任もって食すしかないよなあ?!」
「ちょちょちょちょ、あんた何言いだすのよ⁈ 食えるわけないでしょうがあんなもの?!」
ミネアが食ってかかるが、スケイルの主張に、ミネアが散々馬鹿にしてきた参加者たちが乗ってきた。
「そうだそうだ! 釣り上げたからには、責任もって食べてもらうぜ!」
「食えるからあれを獲物と認識してたんだろ?!」
「まさか賞金だけ貰って、食わず逃げなんて罰当たりな真似しねえよなあ?!」
「あわ……あわわ……」
多勢に無勢。めちゃくちゃなのはスケイルも同じだが、ミネアの暴論を利用し、うまくカウンターを喰らわせた形だ。
完全に言葉を失ったミネアに、スケイルがニタニタと歯を見せながら詰め寄った。
「あーっはっはっはっは‼ ちゃんと食えよ⁈ 舟食えよ⁈」
「ちょっとカルミナぁ⁉ アインス君⁉ なんとか言ってよぉ~~~~?!」
ミネアがカルミナたちに縋るも、2人は冷めた表情で涙目のミネアを見下ろした。
「こんな時だけすり寄るな。失せろ」
「普通に謝って、発言を撤回させてもらえばいいじゃないですか」
「やだ! 優勝はあたし! 賞金は貰う‼」
「じゃあちゃんと痛い目見てください」
「いやあああああああああ‼ 薄情者おおおおおお‼」
「そうだぜ? 良くないなあ他人のふりは?」
侮蔑的な視線を投げるカルミナたちに、スケイルが絡みに来る。
「君たちも喰うんだぜ? あの舟。責任があるだろう」
「「はあっ⁈ なんで?!」」
「聞いた話だと賞金は山分けらしいじゃあないか。山分けってことは、成果に関しては『連帯責任』だよなあ?! ミネアちゃんのグルである以上、あの舟を食べる責任がある!」
「ふざけるな?! こいつが勝手にやったことだろう?!」
「おいおい、ギルドである以上、メンバーの不祥事はリーダー……ひいては組織全体の責任だぜ~。まさかSランクギルドともあろうものが、他所様の祭りを荒らすだけ荒らして、連盟の地位を落とすなんてことありえないよなあ?! なあ?!」
「「こいつ……‼」」
今日感じていたスケイルへの感謝が一気に吹き飛んだ。
完全に偶然だろうが、今となってはSランクギルドの地位を与えたのも、このときこの瞬間の為なんじゃないかと邪推するほど、今のスケイルは他者を馬鹿にする悦楽に満ちていた。
「まあ……ここにいる皆、君たちがホントに船を食えるなんざ思っちゃあいない。だから……」
今日一番の悪意に満ちた態度で、腕を組みふんぞり返る。
「僕を含めたここにいる全員に……土下座したら、発言を撤回させてやってもいいぜ?」
こいつ、やっぱり前に報告書の件で出し抜いたことを根に持ってやがる。
表向きは参加者への謝罪の体だが、わざわざ『僕を含めた』と強調する以上、スケイルに向かって土下座させたいだけだ。
スケイルは言っていた。「個人としていくら癇に障ったとしても、党首としてそれを咎めるほど僕は落ちちゃあいない」と。
逆を言えば、個人的に仕返しをできる機会を、今か今かと伺っていたわけである。
参加者には良いのだが、この男——スケイルだけには絶対に土下座したくない。
それもこんなアホな理由で。
「カルミナさん……【身体強化】で胃を強化すれば……」
「食えるわけないだろう……!」
土下座を回避しようと無茶ぶりするアインスに、カルミナが声を震わせながら突っ込んだ。
どうすればいい。
この男に土下座をせずに済ませるにはどうすればいいのだ。
悔し気に眉をしかめながらカルミナたちが考えを巡らせている所、「あ」とミネアが声を上げた。
「この小舟以上の大きさの獲物を、私が釣り上げちゃえばいいんじゃない?!」
ミネアがポンと手を鳴らす。
「だって、競うのは獲物のサイズでも、表彰されるのは参加者でしょ? これよりでっかい獲物を釣って、あたしがあたしの記録を塗り替えれば小舟を獲物として登録しなくて済むじゃない!」
「いや。それはそうなのだが……」
そもそもそんな獲物がいなかったから、ここにいる全員頭を抱えていたのだ。
カルミナが渋い顔をしたところ、「あ」とアインスも声を上げる。
「ダイオウイカって深海の生き物ですよね?」
「? ああ。基本的には」
「……てことはここの付近には、更に深い海底のエリアがある。僕、深海までは探知してませんでした」
以前ダイオウイカを釣ったということから、それなりに近い海域に、ダイオウイカが住めるような底の深いエリアがあるのだろう。
「ダイオウイカって食えるのか?」
「下処理すれば、食えなくはないぜ」
「平均サイズは10~12mと聞く……狙いとしては悪くないか……?」
漁師の話を聞き、カルミナも考え込む。
話しぶりから、あまりおいしいものではなさそうだが、食えるだけ小舟よりは確実にましだろう。
アインスが船の者から海図を借り、皆の前で広げた。
「しばらく進めば、ちょうど溝のような場所がありますね」
「おいおい、以前ダイオウイカが釣れたのは偶々だぜ? 本気で狙うつもりかい?」
アインスたちの会話にスケイルが割って入った。
「そんないるかいないかも分からないものを狙うよりも、素直に僕に謝った方が早いんじゃ——」
「皆! ダイオウイカを狙うぞ!」
「「おおー!」」
「少しは躊躇しろよ三馬鹿共」
スケイルが土下座をちらつかせた瞬間、カルミナたちは一致団結し、力強くこぶしを突き上げた。
何が何でもスケイルにだけはひれ伏したくないらしい。
カルミナたちは船長に頼み込み、船の場所をアインスの指定していた海域へと移動してもらった。
船の船長には躊躇なく土下座して頼み込む様を見て、スケイルは面白くなさそうに呆れた視線を投げるのであった。




