善人とは ~6人目のSSランク冒険者~
「やった、ようやく釣れた」
アインスが小さな魚を釣り上げ、喜びの声を上げる。手のひらサイズとまではいかないが、小ぶりな体つきの魚を見て、クククとスケイルが喉を鳴らす。
「おいおい、そんな小魚で喜んでいいのかい?」
かくいうスケイルは、餌と釣り針を変えてから一匹もかからない状態だ。成果とは裏腹に余裕の表情ではあるが。
ハナから優勝に興味がないのか。それとも何か狙いがあるのか。
喜んでいる中水を差され、アインスがムスッとなるも、すぐさま餌を付け替え、竿をしならせ釣り糸を垂らす。
「あの……Sランク昇進の件、ありがとうございます」
どこか遠慮がちに、声をすぼめながらアインスが礼を言った。
そんなアインスに、「どうした急に」とスケイルは不遜な笑みを崩さない。
「部下の働きを正当に評価するのは、上司として当然の事だろう」
「でも、僕たちはあなたを出し抜こうとしたんですよ? ……それに、泉の件だって」
スケイルと駆け引きをした際、スケイルは負け方を選ぶことしか出来なかったが、それと同時にアインスの勝利は、スケイルの選択に依存していた。
あの時のアインスにとっての勝利とは、水壺の所有権が無いことを認めさせ、キリエの町に秘宝を献上すること。
スケイルが党首としての威厳に拘らなければ、水壺はスケイルのものだった。
そのことはスケイルも理解していただろう。理解した上でアインスの勝ちになるよう、負け方を選んでくれたのだ。
その思考を理解してか、スケイルは「気にすんなよ」と笑って受け流す。
「あの時君たちは通すべき筋を通したじゃないか。個人としていくら癇に障ったとしても、党首としてそれを咎めるほど僕は落ちちゃあいない。それともなんだ? ムカついたからといって、僕が恣意的な仕返しに走るような、器の小さい男に見えるのかい?」
「そういうわけではありませんが……」
アインスは少しだけ考え込んだ後、小さく息を吐いてから続けた。
「……正直、僕はあなたのこと苦手です。あんまり信頼していない」
「おやまあ正直なこと」
「人の事からかったり、馬鹿にしたりするのが大好きな人間だったり、立場を利用してカルミナさんや僕たちに嫌味を言ってくるかと思えば、党首としてかっこいい所見せてきたり、嫌なやつなのか、優しいのかわからなかったりで……あなたという人間が理解できない」
「なるほど。理解できないから苦手なのか」
「……それだけじゃない気がするんです」
「だろうね。だったら見知らぬ他人が全員苦手ってことになる」
スケイルはアインス不遜な笑みを崩さないまま、アインスの話をしっかりと聞いている。
腹の中を隠したまま、ほんの少しだけ優しさを帯びたその横顔が、何故か近しく感じてしまって、アインスは尚更スケイルという人間が分からなくなった。
「君が僕のことを苦手なのは、君が善人で、僕がそうでないからなのだろう」
「……どういうことです?」
抽象的な回答にアインスが首を傾げる。
善人とそうでない者の基準とは何なのか。善人でないとすればスケイルは悪人なのか。
アインスの頭によぎった疑問を先回りして、スケイルは答えた。
「他者の尊厳を育める者が善人であり、他者の最低限の尊厳を傷つけない者が人間である条件だと僕は考える。君は善人で僕はギリギリ人間だ。人の幸せを喜びとする君に対し、僕は最低限の尊厳を傷つけない範囲では何をやってもいいと思っている。この根元の善性のズレが、君が僕との距離を分かつ原因なのさ」
「僕は善人なんかじゃ……」
「善人さ。僕の下にいた時よりも、カルミナもミネアちゃんも楽しそうだ」
スケイルの意外な言葉に、アインスは目を丸くした。
カルミナやミネアの話からは良い印象を得ていなかったが、スケイル自身はカルミナたちのことを良く見ている。
大切に扱ってはいないのだろうが、だからといって、根元の部分でないがしろにしているわけでもない。
「そんなふうに思うんだったら、ちょっとはカルミナさんに優しくしてやればいいのに」
「優しくしようと思わないから、僕は善人じゃあないんだよ」
ジトリとしたアインスの視線を、スケイルはアハハと笑い声をあげて、軽く流した。
「だがカルミナもいい女になりつつある。僕の顔を見て嫌な顔をするようになった」
「……そういう趣味ですか?」
「違う。僕の醜さを理解した上で、取り繕わず接してくれる人間が貴重だって言ってんの」
それなら納得、とアインスも唸った。
以前ミネアが、『課題』といってアインスの弱さを直接示してくれたように、本音で語り合える間柄というのは貴重なものかもしれない。
それは好きとか嫌いにとらわれない、人間としての『信頼』なのだろう。
「その点ミネアちゃんは最高だね。僕に明け透けなく接してくれるくせに、からかいがいが存分にある。見ていて飽きない最高の人材だ」
さきほどの憤慨っぷりを思い浮かべたのか、スケイルが再び悪い顔になる。
こういう部分さえなければ、人として素直に尊敬できそうなんだけど、とアインスは心の中で毒づいた。
指摘したところで、スケイルの人格はぶれることはなさそうだ。
「僕はやっぱり、あなたのこと苦手かもしれません」
「だろうね」
「でも、あなたという人間に、少しだけ近づけた気がします」
そういって笑うと、少しだけ目を丸くしてから、「生意気だね」とスケイルも笑った。
「だが生意気でなければ面白くない。僕を退屈させない人間であってくれよ」
そう言ってスケイルは、服の内側のポケットから、一枚の紙と、一つの冒険者証を取り出した。
「……? それは?」
「君は僕のことが苦手だが、僕は君のことを割と気に入っている。片思いってやつだ。一方的に贔屓にさせてもらうとしよう」
取り出した紙と冒険者証が、アインスに手渡される。
一枚は連盟の印と共に、アインスの名前が記された証明書。
そしてもう一つ——カルミナのものと同じ輝きを放つ、金水晶が括りつけられた冒険者証。
「サプライズは最後に取っておくものだろう。世界で6人目のSSランク冒険者としての活躍、期待しているぜ?」
「————っ?!?!?!?!?!」
驚きのあまり、声も発することができず、金水晶を見つめて固まるアインスを見て、「あーっはっはっはっは‼」と可笑しそうに声を上げる。
「いやいやいやいや、スケイルさん?! いくらなんでもこんな急に手渡されても——」
「おっと、僕の竿に掛かったな」
「おっと、じゃないですよ⁉ ひとまず僕の話を——」
「聞くか阿呆。アインス君、【探知眼】だ。手伝え」
アインスの話を一方的にぶった切り、スケイルは自分の竿をアインスに握らせた。
ずっしりと重い竿の間隔に、アインスの意識が引っ張られる。
言われるがままに探知眼を発動させると、今日一番の大物がスケイルの針に食らいついていた。
「魚の状態は分かるだろ? 向こうが暴れているときは無理に巻き取らなくていい。糸が切れない範囲で駆け引きをするんだ」
スケイルの指示通りにアインスは糸を巻き上げる。
「早すぎる。——今度は遅い。間の速度で」
「は、はい!」
スケイルも魚の状態を探知しながら、アインスに向かって指示を飛ばす。
駆け引きをしながら暫く粘っていると、徐々に水面へと魚が現れ始めた。その魚影を見て周囲の者たちが「おおっ」と唸った。今日一番の大物だ。
水面に出た魚をスケイルが銛を投げて仕留め、アインスが巻き上げる。
「新記録だ! 新記録が出たぞー‼」
サイズを図るまでもない。今日一番の大物に船の者たちが沸き立った。
「僕の竿に掛かったんだ。僕の獲物ってことでいいよなあ?」
スケイルがアインスを小馬鹿にしたように笑うが、アインスは「いいですよ」と笑うと、スケイルは拍子抜けした顔になった。
こうやってわざとらしく悪ぶってくるあたり、スケイルという人間は、思っているより悪い人間ではないのかもしれない。
底根を見透かしたように笑うアインスに、スケイルはつまらなそうに目を細めてそっぽを向いた。
ほんの少しだけスケイルという人間に近づけた気がして、大きいのか小さいのか、輪郭の不確かな背中を見て、アインスも優しく微笑むのだった。




