変わるための『きっかけ』は
「はーい、焼けたわよー!」
日が沈むころにオアシスにたどり着いた。
火種を用意して、焚火を起こし、ランドイーターの肉を串に刺して焼き上げる。
味付けは塩を振るだけの簡素なもの。
それでも空腹の一行からすれば、天にも昇るようなご馳走だった。
「うっまあああああああああああああああい‼」
「うむうむ。ドラゴンの肉とまではいかんが、これは中々にうまい肉だ……!」
「鶏肉に近い味ですね。もも肉と胸肉のちょうど中間のような……!」
出来上がり次第、それぞれが一気にくらいつき、あまりの旨さに頬を緩ませる。
今まで物資を節約するため、節制を強いられてきた一行だ。お腹いっぱい食べてもいいという事実が、幸福感を増幅する。
そんな様子を横目で見ながら、キリエは一人、手渡された肉を呆然と眺めていた。
それに気が付いたアインスが、「遠慮しなくていいよ」と傍に寄る。
「あんなにいっぱいあるんだ。僕たちだけじゃ食べ切れない」
「私……何もしてないよ……?」
「今日頑張ったじゃない。それにまだ先があるんだ。今のうちたっぷり食べて精をつけなきゃ」
今日の晩御飯用にと、マジックバックに入らない分の肉を、一部切り分けて担いで持ってきた。既に半分ほど利用したが、まだ30㎝大のブロック肉が残っている。
キリエの肉に、改めて塩を少しだけ振りかけてやり、「ほら」と食事を促した。
「……!」
カプ。と遠慮がちに噛みついたキリエが、肉の旨さに覚醒したのか、がっつくように肉を食べ始める。
「……ごめん、なさい」
だが、食べている最中に、キリエはボロボロと大粒の涙を流し始め、声を震わせながら、叫ぶように謝罪をし始めた。
「ごめんなさいごめんなさい‼ 皆の邪魔をしてごめんなさい‼ 邪魔ばっかりでごめんなさい‼ ……ダンジョンがこんなに危険だなんて思ってなかった‼ 皆がこんなにすごい冒険者だなんて思ってなかった‼」
わんわんと泣く背中を、アインスに擦られながらキリエは続けた。
「死んだ人たちの事馬鹿にしてた……! 低ランクダンジョンなのに死んじゃって、溢れた魔物が町の泉を壊して……。だから、皆も……死んだ人も……、秘宝目当てに町に迷惑かけるろくでもない奴だと思ってた……!」
アインスたちは、このダンジョンが変異ダンジョンだということを知っているが、連盟による情報制限のおかげで、キリエ達からすれば低ランクダンジョンとしか認識していなかったわけだ。
低ランクダンジョンで死人が出るという報告は極めて少ない。その攻略に失敗したとなれば、周辺の者からの侮蔑的な視線は避けられないだろう。
キリエがこっそりついていこう、と思い立ったのも、低ランクダンジョンなら大丈夫、という慢心があったに違いない。事実、階層数の予想を誤って、物資の用意を誤り、餓死しかけている。
「死んだ人がどうとかじゃなくて……皆ぐらい凄くて……初めて潜っていいようなダンジョンなんだね……」
キリエの役職のスキル【隠密】も、自分の痕跡を一定時間完全に消してしまえる非常に優秀なものだ。
通常の低ランクダンジョンなら、完全に気配を消しながら、魔物の急所を一撃で抉るだけで攻略することができるだろう。だが、ランドイーターのような怪物相手には別だ。
人間が生息できない環境を知略で乗り越えたアインスに、自分じゃ到底かなわない魔物を瞬く間に切り伏せたカルミナとミネア。
ランドイーターが出現した階層で、自分との冒険者としての力量差を、嫌というほど思い知ってしまった。
そして、自分の勝手でそんな冒険者たちを命の危機に追いやってしまったことも。
ひとしきり吐き切って、嗚咽を漏らすキリエに、アインスが穏やかな声で語り掛けた。
「他の人には言っちゃだめだよ」
アインスの言葉に、キリエが何度も力強く頷いた。
「滅多にないけど、攻略中に難易度が変化するダンジョンがあるんだ。ここもその一つ。軍の人たちは運が悪かったんだ。ダンジョンを舐めてたわけでも、君たちに迷惑をかけたくて死んだわけでもないんだよ」
「うん……うん……!」
「ダンジョン攻略は綿密な準備をして挑まなければならない。だから食料や水を奪うってことは、やってはいけないことなんだ。今回補充できたのは偶々だ。本来だったら、僕たちは死んでいる」
「うん……」
「だから僕たちに約束できる? もうあんなことはしないって」
「約束する……!」
キリエが涙を流しながら頷くと、アインスも「約束だ」と自分の小指を差し出した。
指切りげんまんをして、説教はおしまい。
伝えるべきことを伝えた後は、食事を楽しむだけだ。
「どっちが沢山食べれるか勝負しよう!」
そういってキリエと肉を頬張るアインスの様子を、カルミナが複雑そうな表情で眺めていた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
その日の夜の番はアインスからだった。
お腹も喉も満たされたおかげで、皆が眠りにつくのは早かった。
毛布に包まりながら、探知眼を定期的に発動させて周囲の様子を探る。
皆が寝静まった頃、見張りをしていたアインスの元にカルミナが寄ってきた。
「カルミナさん」
「……ちょっと、話がしたくなってな」
どこかしおらしいカルミナの様子に、アインスは少し驚きながらも、「どうぞ」と自分が腰を掛けていた岩のスペースを譲った。
開けられたスペースにカルミナが腰を掛け、2人は横に並んで、月明かりに照らされた泉を眺めた。
「……今日は凄まじい活躍だったな」
「ええ。ようやく斥候として、皆に貢献できた気がします」
「そんなことはない。攻略準備の段階から君には随分と助けられている。元々優秀な斥候だったが、インシオンでの一件以来君は更に成長した。……特に、君の心の成長っぷりには、私もミネアも励まされ続けているよ」
まっすぐに自分のことを褒められ、アインスは照れ臭そうに頬を掻いた。
「なあ……どうすれば君みたいになれる……?」
「僕みたいに、ですか?」
ああ。とカルミナがしょぼくれた声で頷いた。
「私はアインスやミネアみたいに、キリエの身を案じることができないよ。……食料や水の問題が解決した今でも、私はキリエのことが嫌いだ。あいつを助けたのは、君たちに嫌われたくなかったからだ。……君たちみたいに、私は他人の命を案じることができない」
なけなしの勇気を振り絞るかのように、カルミナは膝を強く抱え、俯きながら続ける。
「私が他人を大切にできないから、他人も私を大切にはしないんだろう。だから肝心な時に見捨てられるんだ。……家族からも、恋人からも、パーティーメンバーからもだ。君みたいな優しい性格だったなら、きっと私は捨てられなかった」
「カルミナさん……」
ミネアから聞いたおかげで、アインスはカルミナが過去に何があったか知っている。
カルミナの様子から、アインスが過去について知っていることは知っていたらしい。だが、自分からこうして切り出すことはなかった。
だから、カルミナがこうして自ら話をしてくることにアインスは驚いている。
「どうしたら……君みたいになれる……。君みたいに……強く、優しく……生まれ変われるんだ」
生まれ変われる、という口ぶりから、カルミナが今の自分に抱く自己嫌悪っぷりが感じられる。
「私は……皆のリーダーでいる自信がないよ」
アインスは回答に悩んで、しばらく考え込んだ。
オアシスを静かな風が吹き抜けた。風の音や、草が重なって身を揺らす音。月明かりを反射して輝く水面が揺れる音ばかりが辺りに響く。
「あの……」
アインスが回答を見つけたのか、どこか遠慮がちに切り出した。
「正直に言うと……、僕最初に出会った時、カルミナさんの事苦手でした」
「……え?」
予想外の回答が帰ってきて、「ど、どのへんが……?!」とカルミナが焦燥感顕わに、アインスに食ってかかった。
「いや、だって……初対面のくせにやたら偉そうだし。こっちの事情とかあんまり鑑みてくれないし。勝手に実力測るとかいってゲームとか始めるし。自分の都合で僕の事振る舞わして(振り回して)くるカルミナさんの事、正直苦手でした」
「あ……、あ……!」
アインスが言葉を重ねると、カルミナがじわじわと目に涙を溜めながら、アインスの体を揺らしてきた。
違う、違うんだと、今にも弁明を始めそうな勢いだ。
そんなカルミナの様子を可笑しそうに笑ってから、「でも」とアインスは続けた。
「僕のことを買ってくれてるのも伝わってました。その後は色々あったけど、結果的にカルミナさんが僕たちと仲良くなりたがっているのがわかったんです。それがわかったから、僕は変わろうと思うことができたんです。自分だけの為じゃなくて、皆と一緒に、パーティーとして」
「アインス……」
「カルミナさんが頑張って自分を変えようとしているのは知っています。でも、自分の気持ちを無理に曲げてまで、変わらなくていいと思ってます。嫌いなものは嫌いで、許せないものは許せないでいい。ただ、正しく好きになったり、嫌いになったりするためには、相手のことを理解する必要はあると思うんです」
「正しく好きになる……?」
言葉の意味が分からず、カルミナは首をかしげる。
「僕だって、キリエちゃんの事を全部が全部許しているわけじゃないです。勝手に食料と水を盗ったのはムカつくし。余所者だっていって、石を投げられたことも怒ってます。だけどキリエちゃんが余所者の僕たちに迷惑をかけてくるのは、町の者じゃない誰かのせいで、泉が枯れて、町の皆が苦しんでいるからだってのは知っています。その怒りの気持ちは理解できるんです。だからキリエちゃんを守ってあげたいって思ったんです」
「……そう、なのか」
自分がパーティーメンバーを危険に晒され怒るように、キリエも町の人間を傷つけられて怒っている。
アインスに言われて。カルミナも確かにその部分には共感できた。
アインスはその部分でキリエと繋がることができている。
「大事なのは、理解することであって……好きとか嫌いとかは、理解した先の結果でしかないと思います。理解できた場所で手を取り合っていけばいい。信頼とか友情とかは相手を好きになることじゃなくて、相手を理解した先に得られるものなんじゃないかって……なんて、偉そうでしょうか。僕なんかが語るには」
「……いや、きっとそうなんだ」
アインスの話を聞き終えたカルミナは、アインスの言葉を何度も飲み込むように、その場でうんうんと頷いた。
「私は私も大事にしていいんだな……」
「そうですよ。……ところで、カルミナさん」
「なんだ?」
「嫌だったらいいんですけど、痣……見せてくれません?」
アインスが恐る恐る尋ねると、カルミナは少し悩んでから、服を脱いで、肌を見せた。
美しい白い肌の上半身の、右肩からひじの辺りまでが、毒々しい紫の色に変色していた。
もう痛みはないが、醜く変色した肌を、人に見せるのは気が引ける。
アインスはこの肌を見てなんというだろうか。
前の恋人みたいに、醜い肌だと罵るだろうか。
カルミナがアインスの回答に、身を構えていた時だ。
「えい」
「ひゃあっ?!」
アインスが人差し指で、カルミナの変色した肌をつついた。
夜の砂漠で冷えた人肌でツンッとつつかれ、カルミナは反射的に柄にもなく、少女のような可愛らしい声を上げて、その身を飛び上がらせた。
「い、いきなりなにをするんだ君は?!」
「す、すいません! 痛みはないんだよなって気になって……!」
予想外の反応にアインスの方も驚いた様子だった。
頬を膨らませて、ジトりと睨むカルミナの様子が可笑しかったのか、アインスがクスクスと笑いだした。
「でも、痣があったって、カルミナさんは『いい女』だと思いますよ」
そういって微笑むアインスに、不覚にもカルミナは頬を赤くし、反射的にそっぽを向いてしまった。
心臓がバクバクと鼓動を加速させる。
慌てて服を着直して、カルミナは胸を少しだけ抑えながら、アインスから目を逸らした。今アインスを直に見つめると、どうにかなってしまいそうだ。
「……前に、ミネアさんに『このギルドで頑張りたいか』聞かれたことがあります」
「……君はなんて答えたんだ」
「答えられませんでした。自分の中に答えがなかった……皆のことを理解できていなかったから。でも、いまならはっきり言えます」
アインスは少しだけ間をおいてから、改まった様子で答えた。
「僕、カルミナさんのギルドで頑張りたいです。僕の力で、僕の大切な皆のことを支えたい。……今後ともよろしくお願いします」
「……私こそだ。よろしく頼む」
拳を突き合わせて、お互い顔を合わせてニッと笑いあった。
「それじゃあ、僕は夜の番を続けます。カルミナさんもちゃんと休んでください」
「ああ。そうさせてもらうよ」
しょぼくれた様子から一転して、今のカルミナの表情は明るく、綺麗に見えた。
軽い足取りで寝床に戻っていくカルミナを見て安心したのか、アインスも見張りを続ける。
「私も今日、君の新たな一面を理解したぞ」
寝床のシェルターに戻る前に、カルミナが悪戯っぽい顔をして、アインスに指を突き付けた。
「君は意外と、女たらしだ」
「……へ?! それはどういう」
「気にするな。悪いことではない。じゃあな。おやすみ」
言うだけ言って、身を引っ込めたカルミナを不思議そうな顔で見送ると、アインスは解せないといった様子で見張りを再開する。
一方のカルミナは、自分にかかっていた呪いが解けたように、朗らかな表情で寝床に付いた。
寝床ではミネアが大口を開けて、涎を垂らしながらいびきをかいていた。
最高の仲間たちに恵まれたことを実感しながら、カルミナもゆっくりと毛布を被って身を閉じるのであった。




