砂漠の旅
「暑い……!」
転移したのは、マグナサバナにある、連盟の支部の一つだ。
支部の門をくぐると、肌を焼くような紫外線が異国の者を歓迎してくれる。
着替えは砂漠の前で、なんて考えてはいたが、すぐさま建物内へと引き返し、砂漠の旅装束へと衣替えする。
支部があったのは、砂漠に隣接した小さな町だ。
ラクダ屋でラクダを3頭借りる。途中までの旅路は彼らにお世話になる。
「僕ラクダなんて初めて見ました。可愛いですね」
人懐っこいラクダがアインスの顔を舐めた。
行き先を告げると、ラクダ屋の店員が先頭に立ち、アインスたちの乗るラクダを先導する。
馬と比べるとラクダは歩く時の左右の振れ幅が大きい。カルミナ曰く、エネルギー効率に優れた歩き方らしいが、乗り手からすれば酔いやすいのが難点だ。初めてラクダに乗ったアインスとミネアは道中で気分を悪くした。
酔いに少しずつ慣れながら、ほどほどに整備された道を進み続けてしばらく経った頃だ。
「ラクダのレンタルはここまでです」
ここから先は魔物が出現するらしく、ラクダのレンタルはここまでとなった。後は徒歩で目的地へと向かうことになる。
このあたりはまだ砂が深くなく、背の低い植物がぽつぽつと生えていた。
日光が辛いが、初めて見る景色も含めて、3人での旅路は中々楽しいものだ。歩くのは疲れるかもしれないが、辛さも含めて旅の楽しさだろう。
……などというアインスの考えは、早々に打ち砕かれることになる。
「か、カルミナさん……あそこに、岩陰があります……。あそこで、一息つきましょう……」
「落ち着け……蜃気楼だ。あそこには何もない」
熱さに脳をやられ、幻覚を見始めたアインスに、カルミナがマジックバックから取り出した水を飲ませた。
「……水は多めに持ってきてある。熱中症の症状が現れる前に飲め」
「……すいません」
アインスに水を飲ませた水を、カルミナもグビグビと口にした。
気持ちのいい青空が広がっているが、砂漠の旅では最悪だった。強力な紫外線がダイレクトに肌を焼いてくる。
空気も乾燥していて、口を開けているだけで水分が持っていかれそうなほどだ。たまに吹く強風が砂を巻き上げ、目や口の中を襲ってきた。
目の前に広がるのはひたすらに砂原。もはや植物一つ生えない殺風景な乾燥した光景が、アインスたちの心を折りに来る。岩陰でも見えれば気持ち的に楽にもなるのだが。
「はあ……はあ……宝石……札束……万馬券……」
水を飲むのをケチっているミネアも、あらぬ幻覚を見始めている。
限界を超えてみる幻がコレとは、あまりにも守銭奴が過ぎる。
「ミネアさん……いい加減水を飲んでください……死にますよ?」
「嫌よ! 見たでしょ! この国の水の相場‼」
ほとんど干からびているミネアにアインスが提言するも、決死の表情で拒否された。
「水1Lが3000G! 平均相場の30倍以上よ⁈ 砂漠外れの街でこの値段なら、中心部でならもっと高くで売りさばけるじゃない‼」
「こんな時にまで金儲けですか⁈」
「あたぼうよ‼」
「あたぼうよじゃない‼ アインス‼」
「……はい」
「ああ⁈ ちょっ、何すんのよ⁈ あが、あがががあがが」
是が非でも水を飲もうとしないミネアの口をアインスが押さえ、強引に口元を開く。
そしてミネアのマジックバックから水を取り出したカルミナが、その口の中に水を注ぎ込んだ。
「ごぼっ……‼ がべぼお(やめろお)‼ 乾く……! 心が、乾く……‼」
「訳の分からんことを抜かすな‼」
大量の水を飲まされたミネアの肌は潤ったが、その顔は何故かやつれて見えた。
乾いた瞳で下を向いて歩くミネアを、カルミナが呆れた視線で一瞥してから地図を開く。
「あとどれくらい歩くんですか……」
「予定では3日と見積もっていたが……」
言葉尻を濁したということは、予定より遅いペースで進んでいるのだろう。
少し唸った後、「……5日は覚悟した方がいい」と付け加えたカルミナの言葉にアインスたちはげんなりした。
「アインス、岩陰は近くにないか?」
「……20㎞くらい北西に進めばありますね。ルートは少しズレますが」
「今日は寝床を確保しよう」
「……さんせーい」
20㎞先の岩場に着き、野営の準備をする。
昼間のむせ返るような暑さから一転し、夜は心臓も凍らせるような寒さが襲いに来る。
ミネアが物質魔法で岩の形をいじり、簡易的なシェルターを作った。今晩はここで野営だ。
「魔物がいない」
夜食の携帯食料を齧りながら、カルミナが呟いた。
「魔物がいないのは良いことなのでは? 襲われる心配もないし」
「そうとも限らん。逆を言えば魔物が住めるだけの環境がないということだ。以前この地を訪れた時には、少数だが魔物がいた」
「少数の魔物すら生息できない環境ってことね」
「じゃあラクダ、もう少しレンタルしていけばよかったですね」
魔物に襲われる危険を考慮して脚を取り上げられたのだから、何だか損した気分になる。
もったいなさそうな顔をしたアインスに、「いや」とカルミナがラクダ屋の店主をフォローした。
「魔物がいなくなったのは最近のことだろう。1カ月ほど前、砂漠中心部にあったオアシスが枯れてしまったらしい。ダンジョンから溢れた魔物が泉を荒らしたようだ」
ああなるほど。とアインスが頷く。
魔物がいなくなったのは最近の事であるのならば、周辺地域の生態系の変動の調査はまだだろう。周囲の安全が確実に担保されない以上、レンタルを打ち切るのは当然だ。
納得する一方で、別の疑問がアインスの中に湧いて出る。
「……? 魔物が泉を荒らしたからと言って、そんな簡単に水源が枯れますかね?」
「砂嵐で泉が埋まっちゃうとかいう話はよく聞くけどね」
「それに、今向かっている街……【フローゼ】でしたっけ? この街の傍にオアシスがあったこと自体がおかしいですよ」
カルミナの広げている地図を覗き込みながら、アインスは首を傾げた。
今回の目的地である、砂漠中心に建つ街【フローゼ】の傍には、水が溢れ出る泉があったそうだ。その泉を中心に街が栄え、魔物や人間の生命活動の拠点となっていたそうだ。
だが、地図の情報が正確だとすると、この地点に生命や文明を育めるような泉があること自体が不思議なのだ。
基本的に自然にできるオアシスは、泉性オアシスと山麓オアシスとに分けられる。
泉性オアシスは、何千、何万年と長い時を経て少しずつ降った雨水が、地下に帯水層を形成し、標高の低い土地に泉となって表れてできたオアシスだ。
一方で山麓オアシスは、砂漠を遮るように聳え立つ高い山脈を越えられなかった雨雲が、山脈付近で大量の雨を降らし、地下を経由して標高の低い砂漠側に流れ出て形成されるオアシス。
そして、フローゼの付近に存在していたオアシスは、このどちらにも当てはまらない。泉性オアシスを形成するには標高が高すぎるし、山麓オアシスを形成できるような山脈も付近にない。
「以前訪れた時には、水深こそ浅かったものの、見事な泉が広がっていたぞ」
「……何かからくりでもあるのでしょうか」
「何でもいいじゃない。行けば分かるでしょ」
これ以上脳みそ使っても、余分なエネルギー消費するだけ。
長くなりそうな議論を、ミネアが強引に打ち切って毛布を被る。ミネアが作ってくれたシェルターのおかげで夜風は防げるものの、夜の砂漠の寒さは堪えるものがある。
魔物の姿は見えないが、完全に消滅しているとも限らない。
交互に見張り番をしながら、代わる代わるに休息をとる。
そのように砂漠の旅を乗り越えながら、5日後、ようやく目的地の街に到着した。
「……荒れ放題ね」
街の様子を見て、ミネアが思わず漏らしてしまった。
泉を中心に石造りの建物が並び建ち、道幅10mほどの通りに左右には、多くの露店が併設されていた。 宿屋や露店が多く存在する【フローゼ】の街は、かつては旅人の中継地点かつ交易所として栄えていたのだろう。
だが、その街の中心にあったはずの泉は枯れ、割れた乾燥した地表が顕わになってしまっている。
周囲の木々や植物の枯れ具合から、泉が枯れたのはここ1カ月くらいの出来事か。
露店もほとんどが閉店してしまっており、かつて砂漠の旅の中継地点としてにぎわっていたであろう市場も、風が吹きすさぶ音が響くばかりのゴーストタウンっぷりを醸し出している。
家屋や露店の壁に、死んだように背を預けて座る街の住民が、虚ろな目でアインスたちの様子をうかがってきた。
ミイラのようにしわがれた肌から、ほとんど水を飲めていないことが伺えた。
「……目を合わせるなよ。たかられるぞ」
視線が合いそうになったアインスの肩を、カルミナが強引に手繰り寄せ目線を逸らさせた。
目を合わせないように視界の端々で住民の様子を探るが、獲物を見つけたような飢えた視線が、アインスたちに刺すように投げられた。
アインスが探知眼を発動すると、建物の影に、ナイフを持った人間が隠れて、こちらの様子をうかがっていることがわかる。
どういうわけか、怒りや恨みが込められた視線がアインスの胸を締め付けた。
「水がなくなるだけでここまで荒れるか……」
かつての街の繁栄ぶりを知っているカルミナが、今の惨状を嘆くように息を吐いた。
人目の多い大通りを通って、街の長の家へと向かった。
「連盟から派遣された冒険者だ」
戸を数回ノックし、覗き口から連盟の印が押された受注書を見せる。
覗き口がカパッと開き、戸の奥の人物が受注書に目を通すと、戸の鍵が複数外れる音がしてから、中年男性が戸の奥から顔を出した。
「ああ、お待ちしておりましたぞ。遠いところお疲れさまでした」
肌が焼けた、細身の中年くらいの男性がカルミナたちの冒険者証をみて頭を下げた。年齢の割に顔のしわが深いのは、あまり水を飲めていないからか。
「何もない所で恐縮ですが、どうぞ中の方へ」
どうやらこの町の町長らしい。
ひとまずの旅の終わりを実感し、カルミナたちは家の卓について、一息ついたのだった。




