「何を思って」無茶をしたか
「うわああああああああああああああああ‼」
「お願いだから暴れないでよ⁈ 魔力が練れない!」
魔物の群れが迫る中、背中で暴れる子どもをなんとか落ち着かせようとしながら門へ向かうも、パニック状態で言うことを聞いてくれない。
群れの足音が強くなり、地を伝う振動がどんどん強くなっていく。
全身に迫りくる死の感覚に、バットも冷静さを欠いていき、身体強化に必要な魔力の操作精度が落ちていく。
素質はあるが経験が足りない。危険を目前にパフォーマンスを最大限発揮できるだけの胆力はまだバットには備わっていない。
「……‼」
着々と迫りくる魔物の群れに、足がすくんで、バットも足を止めてしまった。
しまった。と後悔した時だった。
「耳を塞いで‼」
バットと魔物の群れの間に、投擲物が投げ込まれ、激しい音と光をまき散らし、一瞬だけ魔物の足を止めた。
「こっちだ! 早く!」
「斥候の兄ちゃん⁉」
投擲物を投げたのはアインスだった。
投げたのはダンジョン攻略で出番がなかった、目くらましようの閃光玉だ。
激しい音と光で、パニックに陥っていた貴族の子どもは気絶してしまっていた。
「早く門へ!」
「でも、兄ちゃんは」
「いいから‼」
バットが落ち着きを取り戻し体に魔力を纏わせるが、それでも貴族の子どもに加えてアインスまで担ぐのは無理がある。
ここで逃げるのは簡単だが、アインスはその場合置き去りだ。
躊躇うバットを怒鳴るようにして追い払ったアインスは、魔物の群れに向かって手当たり次第に閃光玉を投げる。
閃光玉の音と光で、魔物は怯み、足を止めるが、時間を稼げたのは一瞬だった。
怯んだ小型の魔物たちを、後からやってきた大型の魔物が踏みつぶしながら、街へ向かって進軍する。
「……っ‼」
足止めできるのはここまで。
踵を返すも、もう遅い。
自分はこのまま魔物の群れに踏みつぶされて死んでしまうだろう。
諦めかけていたその時、自分の方へ迫る影があった。
「カルミナさ――」
誰かを認識したとき、救世主が来たかと思った。
だが、その鬼気迫る表情を見た時、思わず言葉が引っ込んだ。
目の前の魔物にではなく、自分の知らない何かに向けられた怒りのような感情。
その感情を顔に張り付けたまま、カルミナはアインスの体を強引に担ぎ、門へ向かって疾走する。
「斥候の兄ちゃん! どうしよう……、門が……!」
門の方へと戻ると、分厚い城門が完全に締まり、そこを通れないバットたちが、怯えた様子で佇んでいた。
「……」
「ひっ……」
混乱するバットを、カルミナは冷たい殺気のこもった視線で黙らせる。
カルミナに睨まれ、身を固めるバットの体を強引に担ぎ、カルミナはその場で弾みをつけるように数回小さく飛び、
「ふっ‼」
足に一気に魔力を溜め、遥か高く大ジャンプをする。
高さ50mはあるであろう城壁を、カルミナはアインスたちを担いだまま飛び越えた。
「攻撃開始―‼」
カルミナたちが城壁の中に入ったのを見て、城壁の上で待機していた魔導士や弓使いといった後衛職の者たちが、魔物の群れに向かって遠距離攻撃を開始した。
どうやら避難が完了するまで攻撃を控えてくれたらしい。
「あ、あの、お姉ちゃん……」
城壁内になんとか逃げ切り、自分の体を開放したカルミナに、バットが語り掛ける。
「あ、ありがと……」
どうやら全力を出したらしい。カルミナは肩で息をしながら、俯いたままだ。
礼を言いながらも、城壁を飛び越える前に浴びせられた殺気を含んだ視線が蘇る。
恐る恐るバットが礼を言うと、
「――‼」
カルミナはその顔を力いっぱいに殴り飛ばした。
「がっ⁈」
「バット君?!」
地面を2、3転しながら吹っ飛ばされるバットに、なおも迫ろうとするカルミナの前に、慌ててアインスが割って入る。
「落ち着いてください! いきなり何を――」
なだめようと間に入った自分の顔を、叩かれた。
パンと乾いた音が空気を鳴らし、辺りが静寂に包まれた。
間をおいてからジンジンと頬が痛んだ。
何が起こったのかわからず言葉を失うアインスを追い越し、腫れあがった頬を抑えるバットを見下ろしながら、カルミナが語り掛けた。
「自分が何をしたのかわかっているのか?」
カルミナの問いに、「何って……」と言葉を詰まらせながら、バットは怯えながら返答した。
「あの子を、助けようと」
「何故だ」
「何でって……」
辺りを一瞥してから、バットはカルミナの問いに返す。
「誰も、あの子を助けようと、しなかったから……」
「助けなかったのは、リスクがあったからだ」
理屈に逃げるようにして吐いた言い訳を、カルミナはバッサリ切る。
「この街の住民全員を危険にさらすリスクがな」
カルミナの言葉で、バットは自分を見つめる、周囲の人間の様子を伺った。
全員が気まずそうに目を逸らした。
神妙な顔で見つめ返したのは、騎士団の面々だけだった。
城壁の奥からは、戦闘の音が聞こえてきた。
城門付近に押し寄せている魔物たちを、街に入れないよう討伐しているのだろう。
閉門を遅らせれば、今外にいる魔物が街の中に入り、更なる被害をもたらしていたかもしれない。
バットはそのリスクを考えていなかった。考えていたとして、リスクを選択できる立場にもいない。
結局のところ、あの時駆けだしたのは、
「……何か役に立てば、騎士団に入れると思った」
元をたどっていけば、利己的な理由だった。
「役職持ちとして活躍すれば、冒険者として生きることを納得してもらえると思った……」
言い訳を取り上げられ、溢れ出た言葉に涙が出てくる。
「自立して、1人で生きていけるようになれると思ったんだ」
「バット君……」
涙を流して蹲るバットに、アインスの胸が思わず痛んだ。
1人前になって、姉を助けたいという思いは良く分かる。その焦りからしてしまった行いだろう。
だが、そんなことは関係ないと言わんばかりの様子で、カルミナは冷ややかな言葉を浴びせた。
「一人で生きていくってのは、誰かが育てた野菜や肉を食べ、誰かが仕入れたそれらを店で買い、誰かが建てた建物に住まい、誰かが管理している組織からの給金で生計を立てる生活の事か?」
追い打ちをかけるようなカルミナの問いに、バットの体がびくりと震えた。
「一人で生計を立てることと、1人で生きていくことは意味が違う。街に住むならよく考えるんだな」
言いたいことを言い終えたのか、カルミナはバットに背を向けて、アインスに向かって歩き始めた。
アインスの前に立って、カルミナは腰をかがめ、逃げるように俯いたアインスの顔をクイッと持ち上げた。
「何故無茶をした」
「……助けたかったから」
「君一人で向かって何ができた」
被せるように投げかけられた問いには、答えることができなかった。
何もできない、なんてことは、助ける前から分かっていた。
「彼を助けたいなら、君は真っ先に私を頼るべきだったんじゃあないか?」
「あ……」
何かしなければいけないという思いは、街についてからずっとあった。
ダンジョンに潜った後も強くなっていった。
カルミナたちの背中を見送った時に、不安に襲われた。
何もできないままでいいのかと。
結局、あの時無謀とわかっていながら駆けだしたのも、無意識ながら、自分の中にカルミナを頼りたくないというプライドがあったからだ。
自分の将来の為に、頼ってはいけないと思ってしまった。
助けたいなら、助けられる誰かに助けを求めるべきだった。無力な自分で何とかしようとせずに。
バットを助けたいと思ったはずなのに、行動はそれに反して自分の為のものにすり替わってしまっていた。
「君はもう少し、客観的に物事を見れるものだと思っていた」
それはつまり、失望させてしまったということだろうか。
愕然とその場に座り込み、力の入らなかったアインスをよそに、カルミナは城門外の魔物の群れに向かっていく。
「……宿で待っていろ」
自分の身を案じての言葉か、それともこれ以上何もするなと言う釘差しか。
答えを確かめることはできず、ココに連れられてバットと共に宿屋へ帰った。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
カルミナたちが宿に帰ってきたのは翌日の夕方だった。
最前線で戦っていたであろうカルミナの服は、魔物の血で汚れていた。一体どれくらいの魔物を切り伏せたのだろうか。
「おかえりなさい……」
「ありがとう。……疲れたので休む。荷物を預かってくれないか」
バットの件があるからか、少し引け越しなココに装備品を預けて、カルミナは部屋に戻っていった。
カルミナが去った後を、ミネアが気まずそうに追って部屋に戻る。
無事にスタンピードを乗り越えたことは、少し遅れて街中に知れ渡った。
あの規模の魔物の群れを死人なしで乗り切ったのは、カルミナの功績が大きかったらしい。
街中が危機を乗り切ったことによる安堵の声に包まれたが、アインスは喜ぶ一方で、引け目を感じて部屋から出てくることはできなかった。
これからどうしよう。
アインスが現実から逃げるように布団にくるまっていた時に、コンコンと部屋のドアが優しくノックされた。
「へいへい、アインス君。いるかい?」
声の主はミネアだ。
カルミナではなくて安心してしまう。今彼女にどんな顔をして会えばいいかわからない。
「街を救ったお礼に、良い酒貰ったから二人で飲まね?」
二人で、という言葉で自分を安心させようとしているのは伝わった。
アインスが頷くと、ミネアは部屋の中にずかずかと入り、勝手にベッドに腰を掛け、晩酌の準備を始めるのであった。




