環境変異
それから3階層ほど下るまで、1日もかからなかった。
出てくる魔物もポイズントードやスライムなど、ランクの低い魔物ばかりであったため、カルミナがゲートの位置を予測して魔物を切り伏せて進むだけの、一方的な行軍が続いていた。
階層の広さにもよるが、通常は1階層を下るのには1日を要する(安全地帯や出口までの道を記録しながら、階層の攻略を進めていく必要があるからだ)。
ゲートには特殊な魔法がかけられており、アインスの【探知眼】を使っても探知できない。そのため魔物の配置や周辺の環境から、間接的にゲートの位置は予想しなければならない。
にも拘わらず、この早さでダンジョンの攻略が進んでいるのは、カルミナたちが冒険者としていかに優秀かを現した結果だろう。
今までにない攻略スピードに、アインスも帰りまでのルートをマッピングするので精いっぱいだ。
「良く書けてるわね」
「……ありがとうございます」
アインスの記録した周辺地図を見て、ミネアが感心した声を出した。
それを素直にうれしく思いながらも、焦燥感はぬぐえない。
以前のギルド――【強者の円卓】でも同レベルの仕事はこなしていた。
それでも他の斥候で良いと邪険に扱われ、最後には戦えないことを理由にダンジョンの奥地に捨てられた。
もちろんカルミナたちがそんな人間だとは思わない。
だが、自らをスペシャルと評するカルミナの傍にいるからこそ、何か特別な戦果を挙げなきゃという思いにも駆られてしまう。
「……来るぞ」
そんなことを考えていた矢先、途端にダンジョン全体が振動しだし、周囲の空間が大きく歪み始める。
この体験には覚えがある。
ダンジョンが突然周囲の環境を大幅に変える【変異】だ。
以前自分が捨てられたダンジョンでは、森林から豪雪地帯への環境変異。準備を一切していない冒険者を、環境の変化だけで殺してしまえるほどの、急激な環境の変化だ。
あの時は偶々見つけた、獣型の魔物の死骸から、毛皮をはぎ取り、寒さをしのぐことで事なきを得たが、自分を置いていったパーティーメンバーは寒さ、或いは突然グレードアップした魔物たちに殺され死んだ。
アインスの予想では、再び豪雪地帯への環境変異が起こると予想される。
今回は事前に寒さ対策をしてある。また周囲が寒くなり、吹雪いてくれば、カルミナの五感に頼った感知の精度も落ちるだろう。
前回のダンジョンとは関係ないが、アインスからすれば、前回の攻略の雪辱戦であると同時に、自分の存在意義を証明するための好機である。
「防寒着を!」
アインスの指示で、カルミナたちはマジックバックから防寒着を取り出し、環境の変異に備えた。
そして、振動が収束し、変異が終わったところで――
「……へ?」
アインスの口から、思わず間の抜けた声が漏れた。
環境の変異は起こった。のだが、それは予想していた豪雪地帯ではなく、背の高い木々が生い茂る森林地帯への環境変異。
「なるほど、こっちのパターンか」
唖然とするアインスをよそに、防寒着をしまいながらカルミナが続ける。
「少年。君は出現する高ランクの魔物は、虫系や爬虫類系の魔物が多く出ると予想していただろう?」
「はい、そうですけど」
「その魔物たちは、豪雪地帯での環境下で生きていけるかな?」
カルミナに訊ねられ、「……あ!」とアインスは声を上げた。
虫系や爬虫類系の魔物は変温動物だ。その多くは自身で体温をコントロールする機能が体に備わっていないため、極端な高温、低温下の環境で生息はできない。
騎士団の過去の討伐した高ランクの魔物たちは、これらの種類の魔物が多かったため、その対策ばかりに目が言っていた。
もちろん例外も存在するが、アインスの予想していた『豪雪地帯、かつ虫系や爬虫類系が多く出現するダンジョン』という予想は基本的には成り立たない。
もちろんダンジョンが魔物の強さではなく、冒険者を奥地へ誘いこんで、人間にとって過ごしにくい環境へ変化させることによって、殺害を試みることも考えられる。
だが、このダンジョンは魔物を飼い切れず外へ漏らしている。ダンジョン内の魔物が増えすぎた為起こる事象だ。せっかく作った魔物をわざわざ殺すような真似は、ダンジョンは滅多に取らない。
そのため、中の環境が魔物にとって住みづらい環境である豪雪地帯であるという推理は、確証こそはないものの、当たる確率は低かった。
今回は、高ランクの虫系や爬虫類系の魔物が住みやすい環境への変異なのだろう。
「今回は必要なかっただけで、普通に寒さ対策が必要な可能性もあったんだから、そこまで気を落とす必要はないわよ」
肩を落とすアインスにミネアがフォローするが、アインスとしては気にしないわけにはいかない。
寒さ対策のために用意した薪や火種と言った備品を、もっと別な道具に当てられたわけだ。
今回の攻略に支障はないものの、それは自分たちが持つ3つのマジックバックによって、他の冒険者たちよりもはるかに多くの荷物を持ち込めるから、何とかなるだけだ。
つまり、他のパーティーではこうはいかない。攻略計画のミスにより、この時点で撤退の判断を下す場合もあるだろう。
ミネアたちからすれば気にはしないだろうが、斥候としては申し訳が立たない。
ごめんなさいと、頭を下げるアインスに「次から計画を立てる際の経験にしてくれ」とカルミナは軽く頭を撫でた。
「それよりも少年。早速来るぞ」
カルミナの言葉にハッとし、慌てて【探知眼】を発動させると、自分たちの周囲を複数の魔物が取り囲んでいるのに気が付いた。




