悪を討つ巨悪 ~反逆を目論んだ幻覚魔導士の最期~
「畜生……畜生……! こんなはずじゃ……!」
太陽が地平に身を埋め始める夕暮れ時。
とある国の人気のない路地裏で、その日配られた新聞の一面に、ファルアズムがわなわなと体を震わせた。
一面を埋め尽くしていたのは、連盟で起こったテロの顛末を記した記事。
そこには、多くの被害を出しながらも、とあるギルドを中心に団結した冒険者たちが、来賓も島の者も守り抜き、犠牲者ゼロで事件を収めたことが記載されていた。
記事の写真の中央には、スケイルの代わりに声明文を読み上げるナスタと、その報告に沸き立つ冒険者たちの姿を写した写真が載っている。
その写真の隅の方に、歓喜に沸き立つ冒険者たちを隅から眺める、スケイルの姿があったのだ。
なんで、何であいつが生きている。
あってはならない事態に、ファルアズムが恐怖しだす。
そもそもスケイルを殺せたのは、魔力を変換できない空間に、探知の外から誘導できたからだ。要は、幾重にも策を張り巡らせた上で、その上で不意を突いてようやく殺す条件が整ったのだ。
もう自分のタネは割れている。もうスケイルはこの手には引っかからない。
逃げようにも、スケイルは世界中全てのエリアを探知することができる。【カモフラージュ】で偽装しようにも、スケイルにはそれすら打ち破る【絶対探知】と、射程無限の【消滅魔銃】がある。
わざわざ魔力を変換できなくなる空間に入ってくれるわけがない。
世界中どこにいても、スケイルは自分のことを撃ち殺せるのだ。
僕の探知眼から逃れられないことは、忘れるな。
スケイルが過去に突き付けた言葉が、今になって突き刺さる。
ずっと【カモフラージュ】を使い続けることはできないし、自分が残した痕跡全てを隠すことはできない。
これからずっと、いつスケイルに見つかるか、いつスケイルに殺されるか分からず、怯え続けなければならない。
なんとかして、なんとかして接近さえできれば、あいつは只の運動能力の低い凡人になるのに。
混乱する頭で策を考えるも、自分が助かる光景が浮かんでこない。
太陽が半分沈み、夜が訪れ始める。
世界から光が消えていくように、自分も絶望の淵に沈もうとしていたその時だった。
「よおクソ犯罪者2。久しぶりぃ」
暗い路地に、不気味な影を差しながら現れたのは、最悪の敵、スケイルの姿だ。
悍ましいほどに白く染まった頭髪や肌。
シャノンが切り刻んだ個所に出来た痣に浮かび上がる、血液のように流れる金色の魔力。
「てめえの馬鹿面。拝みに来てやったぜ?」
そして、これ見よがしにスケイルが心臓についた【不死者の心臓】を見せつけると、何故スケイルが生きているか理解したファルアズムが、乾いた声で笑い始めた。
「ははは……はは……」
巡ってきた千載一遇のチャンスに、ファルアズムが徐々に興奮し、顔を歪ませ、狂気の笑い声をあげ始めた。
「はははははは‼ 何が馬鹿面拝みに来てやっただ!」
そして、懐からスケイルを追い詰めた秘宝。魔力の変換を封じる空間を生成する球型の装置を取り出した。
「馬鹿はお前だ‼ アンデッドなら、魔力の変換ができなきゃ死ぬだろうが‼」
ファルアズムが装置を発動させると、装置を中心に膜のような波動が広がり、それに包まれたスケイルの体から魔力の輝きが消え、活動するためのエネルギーを失ったのか、糸の切れた操り人形のように、その場に倒れこんだ。
アンデッドは生命活動をするために、魔力をエネルギーに変換している。魔力を変換できなくなれば、只の肉塊同然だ。
「僕の見えないところから狙撃すればよかったものを……! わざわざコケにしに来るからこんな目に会うんだよ……!」
動かなくなったスケイルの体に、ファルアズムが興奮収まらない様子で歩み寄る。
「ほら……どうした。動いて僕の靴を舐めろ。動いて僕の靴を舐めてみろよ! ははは! 馬鹿だ! 動かねえ! 正真正銘の馬鹿だコイツ‼」
スケイルの頭を足蹴にし、因縁の相手を死体蹴りすることに愉悦を覚えたファルアズムが、何度も何度もスケイルの体を蹴り飛ばした。
「これで僕は自由だ‼ お前のいない世界で‼ 僕のやりたい方法で‼ 好きなだけダンジョンを研究し尽くしてやる‼」
そして、とどめと言わんばかりに、右足を大きく振りかぶって、スケイルの体を蹴り飛ばそうとした時だ。
「——え」
スケイルの体に触れた右足が塵となって消滅し、バランス感覚を失ったファルアズムは、蹴りの勢いのままに、路地裏の地面に無様に転がり込んだ。
なんだ。何が起こった。
状況がわからず、真っ白になった頭を、痛みが覚醒させる。
「ああ、あああああ! 痛い、痛あああああああい?! 何で?! 何が起こって——」
痛みでのたうち回るファルアズムに飛び込んできたのは、その痛みすら忘れさせるほどの絶望的な光景だ。
「おま、なん、で……」
動けないはずのスケイルが立ち上がり、立てなくなったファルアズムの下へ、ニタニタと笑みを浮かべて歩み寄ってくる。
言葉を失い、呆然と見上げてくるファルアズムに、スケイルは胸に着けていた首飾りを見せつけた。
「これ、君が育てたダンジョンの秘宝だ」
「……なんだ、それは?」
初めて目にする秘宝を見つめるファルアズムに、スケイルは続ける。
「ダンジョンは人の願いを叶えるとはよく言ったもんだね。君さあ、あのダンジョンに多くの死刑囚を食わせてただろ?」
「……? それが、何だと言うんだ」
「この首飾りは、装備者の魔力の変換の阻害を封じる。これで僕は普段通りに魔力を扱えるし、お前の切り札は只のガラクタと化した。そんな秘宝を、お前が育てたダンジョンが生み出したんだ。その意味が分かるかい?」
「……?」
訳が分からず、表情を固まらせるファルアズムに、嘲笑交じりに声を震わせながら、心底楽しそうな顔でスケイルが顔を近づけた。
「餌扱いしていた奴らに、相当恨まれてたなあ、お前」
ダンジョンコアがシャノンの体に寄生した際、ファルアズムが今まで何をしてきたか、スケイルの強さの秘密、そして、そのスケイルをどう打ち破ったかまで、ダンジョンは読み取ったのだろう。
それ以前にダンジョンはファルアズムが用意した死刑囚たちを山ほど食べ、その力を、記憶を、思いを吸収している。
そして人間をおびき寄せるための餌——人間にとって有益な秘宝を生成しようと思った時に、あろうことか、ファルアズムの計画をぶち壊す秘宝を生成したのだ。
シャノンを除き、餌になった人間は皆、ファルアズムのせいで死んでいる。
ダンジョンがファルアズムの死を、人類にとっての有益とみなし、その天敵であるスケイルを助けるための秘宝を生成してしまったのだ。
ダンジョンは人の願いを叶える。
その言い伝え通り、ダンジョンは人間の願いを叶えた。
今まで食った人間——ファルアズムの凄惨な死を望む人間たちの願いを。
「ふざけんな……」
状況を理解したファルアズムが、悪あがきに落ちていた石を投げるも、スケイルの体に触れた石は、ファルアズムの希望のように、塵となって消滅した。
銃を取り出し、金色の瞳で自分を見下ろす、悪魔の姿がそこにあった。
全てを見通す【探知眼】も。
全てから身を守る【保護消滅膜】も。
全てを消し飛ばす【消滅魔銃】も。
スケイルを最強の冒険者たらしめる要素は、何もかもが健在だ。
「こんなことがあってたまるか……。僕の研究が……努力が……今までの全てが……!」
ファルアズムが装置を解除し、手のひらの中で魔力を練り上げ始める。
認めてたまるか、こんな形で。
全て身から出た錆と言わんばかりの——
「こんな形で、無にされていいはずがない‼」
「ファルアズム——」
ダメもとで幻覚魔法をかけようとした時、スケイルの優しい声が、ファルアズムの体を反射的に制止させた。
穏やかな声は、自分を許しているからじゃない。
もう脅威じゃないからだ。
それこそスケイルにとって、今の自分は地を這う虫けらと同じようなもの。
いつでも踏みにじれるからこそ、コイツはあれだけ足蹴にされて、これだけ楽しそうな顔でいられる。
そして、身を固め動くことのできないファルアズムに、
「——靴を舐めろ」
優しい声で、スケイルが語り掛けた。
声色だけ聞けば、まるで親が自分の子どもをあやすときのような、優しく、穏やかな声だった。
だが、そんなスケイルの言葉にファルアズムは体を震え上がらせ、練っていた魔力をすぐさま引っ込める。
逆らえばどうなるか、そんなのは分かりきっていた。
自然と地面に手が付いた。
本能に赴くまま、膝を折って謝意を示す。
少しでも生き残れる確率が上がるよう、全身全霊で目の前の悪魔の言葉に、付き従う。
スケイルは汚い地面に靴を擦り付けてから、ファルアズムの顔の前に、そっと足を差し出した。
舌がいつ消滅するかも分からないファルアズムは、顔を恐怖で歪ませながら、ペロペロとスケイルの靴を舐め始めた。
一通り舐め終え、顔を離した時、「裏もだよ」とスケイルが靴底を見せる。
靴底も舐め終え、舌が泥だらけになったファルアズムの口に、スケイルがネジネジと【消滅魔銃】の銃口をねじ込んだ。
「命乞い、してみるかい?」
生存を考えた時に、「はい」以外の選択はなかった。
「……殺さないでください」
口に銃口をねじ込まれ、はっきりとしない発声のまま、ファルアズムは続ける。
「もう悪いことはしません……! 一生あなたの言うことを聞きます……!奴隷のようにあなたに尽くします……! 反省してます……! 必ず改心します……! 何でもします……! だから……‼」
ファルアズムの目から、大粒の涙がボロボロと溢れ出し始めた。
「殺さないでください……‼」
発生もままならず、声も震え、ほとんど言葉にならない声で、叫ぶように命乞いをした。
涙と鼻水でぐしゃぐしゃに歪んだその顔に、元SSランク冒険者の威厳などどこにもない。
只々みっともなく、命乞いをすることしか許されない、無様な人間の姿がそこにあった。
「——ははは」
そんなファルアズムの姿を見て、スケイルが肩を震わせ、口に手を当て、少しだけ腰をかがめた。
そして、
「ははははははははは‼ あーはっはっはっは‼ あーはっはっはっは‼ あーーーーーーーーーーーっはっはっはっはっはっはっはぁ‼」
狂喜に満ちた声で、心底可笑しそうに、腹を抱えて、目に涙を浮かべながら、大笑いをし始めた。
その様子を見て、恐怖に満ちていたファルアズムが、絶望に染まった表情で、スケイルを呆然と見つめる。
ファルアズムも、自分が何をしてきたかはわかっている。
自分が裁かれるべき人間だというのはわかっている。それ位はわかる。わからないほど愚かじゃない。自分は悪だということは分かりきっているのだ。
じゃあ、そんな自分を裁きに来たこの男は正義なのか。
正義と呼ぶには、その男の笑顔はあまりに邪悪に満ちていた。
軽侮。侮蔑。嘲謔。愚弄。
自分のありとあらゆる尊厳を踏みにじる最悪の笑顔を前にし、ファルアズムは頭が真っ白になり、何も考えられなくなってしまう。
「君は本当に馬鹿だなあ」
「……へ?」
「僕に何を期待しても無駄だよ——」
一通り笑い終え、物言えなくなったファルアズムに、スケイルが邪悪な笑みを浮かべたまま、冷たい視線を投げかけた。
口に突っ込まれた銃口が、ほんの少しだけ奥へねじ込まれ、
「——僕は善人じゃあないんだぜ?」
人気のない路地裏に、大きな銃声が響き渡った。
その大きな銃声に、スケイルたちのやり取りを遠目で見ていたカラスたちが一斉に、怯えたように飛び立った。
「ナスタ。掃除よろしく」
「はい」
口元から上下に割かれるよう、風穴を開けられた無残な死体に目もくれず、スケイルは指を鳴らしてナスタを呼んだ。
事の顛末を陰で見守っていたナスタが、ハンカチで口を覆いながら、汚いものを見るように死体を見下ろし、魔力を練る。
すっかり暗くなった路地裏で、小さく炎が燃え盛った。
その炎は死体を焼き尽くし終えると、それ以上大きくなることなく、自然と消滅していった。
月が淡く闇を照らす夜の世界。
とある路地裏の片隅から立ち上った黒煙が、風に吹かれて、夜の闇に飲み込まれるようにして消えていったのだった。




