インターネットが使えなくなった1日
土曜日の夜九時、パソコンの前で俺は固まった。
毎日のように遊んでいるゲームが動かないのだ。
三十二歳無職の引きこもりにとって、このゲームは俺のすべてだと言っても過言ではない。
俺の人生は、このゲームの中でのみ時間が経過する。
俺の青春も仲間も、経験だってこの中にしか存在しない。
「ヤバイヤバイヤバイヤバイ!」
十年引きこもってパソコンだけを友人としていたら、そこそこ詳しくはなる。
しかし、異常個所をいくら調べても十年来の友人は答えてくれなかった。
「マズイマズイマズイマズイ!」
もともと貧困な語彙力が、あせりでよけいに貧しくなる。
今日はマズいのだ。
夜十時に、ゲーム内で待ち合わせをしている。
重要なダンジョンへ、皆と挑むのだ。
そこでラスボスを倒して称号を手に入れる。
俺は、ロイヤルグランドナイトになるのだ!
無職ゆえに時間があり、誰よりも経験をつんだ。
母親にも嘘をついて金を借り、課金もした。
ネットで情報をかき集め、効率を極めて、今日まさに報われる時が来たのだ。
来たはずだった。
このままだと、今までの努力が無になってしまう。
家がダメなら、ネットカフェか……。
オタクで引きこもりだと、ネットカフェなどお得意様だと思われているだろうが、引きこもりは家から出ないのだ。
できれば、部屋からも出たくない。
俺の城は、この六畳半なのだ。
いつ作ったかもおぼえていない、駅前にあるネットカフェの会員証を確かめる。
期限などは無いようだ。
そこは安心したが、深夜でもない限り人通りはある。
それが怖い。
引きこもった当時は、知り合いに出会うのが怖かった。
今は、相手が人間なら誰に会うのも不安だ。
だが俺は、ロイヤルグランドナイトにならなくてはいけない。
共に戦う約束をしている、ゲロンパⅢさんやユル夢さん、龍神モスコミュールさんを失望させるわけにはいかない。
社会人が多いチームに入っているので、今日を逃せば来週になる。
そうなれば、俺より先にラスボスを倒し称号を得るやつが何人も出てくる。
ほかのメンバーを誘う手もあるが、できればユル夢さん(自称二十一才OL)の前で格好つけたい。
「たけみたなか(俺のキャラ名)さん、すごーい♪」と言われたい。
ちなみに俺は「自宅で株売買をして儲けまくってる、顔は普通だけど背の高い優しい感じの青年」ということになってる。
好意を寄せられたくてついた嘘だが、その嘘のせいでリアルに会うことはできないのが苦しい。
まぁ、オフ会の話など出たことも無いのだが。
俺は、何かあった時用に母親から渡された一万円札と、ネットカフェの会員証を握り締めて十年ぶりに家を出た。
ネットカフェの入り口で、俺は呆然と立ちすくんでいる。
入り口のドアに下手くそな字で「ネット不調のためパソコン使えません」と書いた紙が貼ってあるのだ。
自動ドア越しに、店員に文句を言っている小汚いおっさんが見えた。
復旧のめどなど聞きたかったが、あの揉めている空間に入る度胸は無い。
俺の人生は詰んだ……。
たかがゲームだと思うだろうが、俺の人生の大部分を占めていたのだ。
ゲームの中では、俺は上澄みだ。
上から数えたほうが早い人間なのだ。
現実では、最底辺だ。
誰も俺のことなど見ないし、評価以前の問題だ。
いないのだ。
俺の存在はどこにもない。
とぼとぼと家路に帰る。
昔、短期間だった会社員だったころを思い出す。
要領の悪い俺は、会社で馬鹿にされていた。
コミュ力皆無の俺は、他の新人以上につらく当たられた。
今となっては、それがイジメだったのかパワハラだったのか、それとも俺が弱いからそう感じたのかわからない。
ただ、足が前に出なくなった。
玄関で靴を履いた後、毎日ゲロをはいた。
一週間たって、俺は靴を履かなくなった。
ロイヤルグランドナイトになれなかった俺に、何の価値があるだろう。
あ、俺泣くかも。
三十才を過ぎた男が、ゲームができなかっただけで泣くのか。
うんざりする。
あらゆるものが、俺を不幸にしようとする。
目の前が涙でにじんだ時、玄関前に立つ母親の姿が見えた。
「外に出たの? すごいね! すごいね!」
俺の手を握り締めて何度も「すごいね!」を繰り返す、妙にテンションの高い母親に驚いた。
そしてその母親が、ひどく小さいことに気付いた。
こんなに小さかったのか……。
さっきまで浮かれていた母親は、急にうつむき肩を震わせる。
それでも泣き声で「すごいね!」を繰り返す。
俺は震えそうな声を隠しながら「全然すごくないから」と答え、母親の手を引いて家に入った。
ロイヤルグランドナイトにはなれなかったが、すこしだけ別のなにかになれた気がした。