不機嫌なゴダン
翌々日。
片膝立ちの姿勢で、恭しく頭を下げているアレがいるのはゴダンの執務室である。部屋の主は従者を引き連れて現れた。実に面倒そうだ。一介の導士にしては玉座とも見受けられるほどの荘重な椅子に座る。
「して、アレ殿。タイゲンに帰るそうだな」
机上の書類を一瞥し、これまた面倒そうに放る。
「はい。逗留中、ゴダン様のご厚意によりつつがなく見聞することができました。重ね重ね感謝申し上げたいと存じ上げます」
気合のこもった声で答える。
「アレ殿。そう肩に力を入れんでもよかろう。タイゲンの発展に良き糧があったのならば、ヨウゲンの一導士としてこれほど胸熱きことはない。それはすべてタンゴ国の発展となる。タイゲンでの活躍期待しておるぞ」
「もったいないお言葉。ゴダン様のお耳汚しとならぬよう、このアレ、堅忍不抜の志でさらなる職務遂行に邁進してまいる所存」
やはりアレの声がうっとうしかったのか、ゴダンは小指を耳の中に入れ、一掻き二掻きしてから、
「期待しおる」
と、「もう下がれ」を十全に隠さない声色でしめた。アレは再度恭しく頭を下げてから、さっと立ち上がり、翻ると扉へ歩き出した。扉が開く。門番ではないが、従者がいる。イイの部屋にはいなかった役目だ。もう体が廊下へ出ようかとしたときである。アレの手首のデバイスが鳴った。騒がしくはないが、その突然の高音のシグナルに少なくとも体をびくつかせたのは一人どころではない。
「失礼を致しました。不躾な者のため電源を切るのを失念しておりました」
慇懃に頭を下げ詫びた。いかめしい顔つきになったのはゴダンの方である。側近なのか、席から一番近くにいた従者を睨みつけ舌打ちをした。その従者はおろおろとしだし、よく見れば脂汗がサウナに入ったかと思うほどに額から流していた。手元にあったバインダーのようなものをめくったり、下敷きのようなデバイスを操作したりしているが、どうも納得のいく文言がないのだろう。慌てふためきかたが狼狽を通り越して暴れ馬くらいになってしまっている。しまいにはそれらの書類もデバイスも手からこぼれてとっちらかってしまって、それを拾うとするものの、もはや収拾がつかなく殺虫剤を散布された虫の断末魔のように床を這いずり回っているだけとなった。
「ゴダン様、それでは失礼いたします」
「待たれよ、アレ殿」
さっきまでとは声の調子はまるで逆になったと言っていい。焦燥を帯びているのはヨウゲンで圧倒的な権勢をふるうゴダンだった。
「急な用かもしれん。ここで連絡を取っても差し支えないぞ」
「寛容なお言葉感謝痛み入ります。しかしながら、ゴダン様の手前でこれ以上の不作法はダイメイ士として恥以外の何物でもございません」
「メイ士コユウ殿から我への言葉であったとしたら、それこそアレ殿の失態となるのでは」
実にいやらしい口調である。攻めているのか守っているのか、アレを根負けさせる勢いなのは確かである。
「それでは、粗相と承知の上で失礼を致します」
デバイスを開く。メッセージがつづられていた。一読後、アレはやはり頭を下げた。
「ゴダン様のご晴眼、このアレもはや言葉がございません」
ここでゴダンに血色が戻った。つまりはこのダイメイ士アレを遣わしたメイ士コユウからだったのだ。あのメイ士はしたたかだから何か仕掛けをしてくるだろうとは、この派遣の話が持ち上がった時にすでに予想していた。が、目にしてみればアレである。頭はそこそこ切れるようだが、やはりダイメイ士。その職務を越してまで暗躍するようなことはなく、すでに手をかけた他のダイメイ士ほど隠密に活動していたわけではない。となれば、この期に及んでメイ士コユウからの連絡となれば挨拶程度であるのは明白。デバイスの通信機能を不全にするよう整えていたはずの措置の件は後から手下たちを責めれば済むこと。
「メイ士コユウ殿は何と?」
ゴダンは努めて穏やかに尋ねた。
「ゴダン様にお自愛をと」
「そうか」
アレは一礼をし、ゴダンはもはやアレに関心があるような素振りではなくなっていた。忌々しそうに床に散らばった文書とかを漁っている従者を睨んだ。
「それでは失礼いたします。この足で立ち寄らなければならない所がございますので」
姿勢を戻し、もう退出しようとしたアレの背中に、
「何?」
険しい顔つきでゴダンが睨んだ。
「ゴダン様にこれ以上お気を遣わすような案件ではございません。私に下った新たな命でございます。では」
素知らぬ顔で答える。
「何の案件なのだ? 必要であれば協力してもやぶさかではないぞ」
いかめしい顔つきのまま、ゴダンは情報収集を試みる。
「ありがたきお言葉。しかしながら、繰り返しますがこれ以上ゴダン様のお手を煩わすような」
「アレ殿がヨウゲンにいるのだ、お客人が遠慮することはない」
「なんと情け深いお言葉。このダイメイ士アレ、諸国遊行でもこのような待遇は」
「いいから、言わんか!」
のらりくらりとするアレにしびれを切らしたのか、ゴダンは取り繕っていた平静の仮面を剥ぎ、傲慢な怒号を吐いた。従者たちはおののいていた。床を這っていた従者の収集スピードが飛躍的に上昇し、さっきまでのもたつきが嘘のようにあっという間に書類をかき集めてしまったくらいだ。
「それでは遠慮なく申し上げます」
アレは全くおびえる様子はない。
「タンゴ国国立衛生研究所及び司法庁へ参れとの命でございます」