猫に小判 #1
今日もいい天気だった。
季節は初夏、神々しい、僕とは真逆の太陽に照らされて起きる。
妹は部活で、両親は長期休みに差し掛かっているというのに、僕は今日も机の上のマウスを握り、日ごろから慣れ親しんでいるFPSゲームをプレイしていた。
暗い部屋の中、モニター右上には”残り五名”と表示されたところで、死んだ。
「……クソッ」
思わず声が漏れてしまった。
部屋の中で一人、モニターに向かって暴言を吐いていると思うと、自分でも笑える。
ふと時間を見れば短針は午後の5時を指していた。
*
気分を変えるため、見切り発車で外に出たはいいものの、久しぶりの外は空は暗く、空気は生ぬるい、とにかく気分が悪くなりそうだった。
とりあえずコンビニでも寄ろうと思い、立ち寄ったコンビニで水とカロリーメイトを手に取る。
レジで会計をし、コンビニを出た後、ふと裏手で猫の声がした。
気になって見に行くと、段ボールに入った黒い子猫が、やせ細った姿でこちらを見ていた。
さすがに僕も無視することはできず、ろくに動物の知識もない僕がとった行動は手に持っているカロリーメイトを開け、子猫の近くにおいてやることだった。
偶然にもその子猫は驚異的なスピードでカロリーメイトに食いつき、あっという間に完食してしまった。
カロリーメイトだけでは物足りなかったのか、手に持っている水を見て、段ボールから脱走し、僕の足元でねだるようにしがみついてきた。
水くらい水道水でもいいか、と思い、持っているペットボトルを開け、中の水をこぼしてあげた。
子猫は満足そうに、しっぽを振って水をなめていた。
そんな子猫を横目に、僕は帰路についた。
*
季節はまだ夏。
カレンダーを見ると、もう梅雨だった。
今日は、妹との買い物があるというのに、外は豪雨で、雷も少し鳴っていた。
普段から部屋着で外に出る僕だが、流石に誰かと出かけるときは普段着に着替える。
どこに出かけるのか、何をするのかは聞いていないが、妹のことだ。
何か買いに行くと予想し僕はしばらく使っていなかった財布と携帯をショルダーバッグに入れ、部屋のドアを開けたところで携帯が鳴った。
理由は妹からの電話だった。
「……もしナツですか?」
「ああ、そうだよ。ユキか?」
久しぶりに聞いたユイの声は綺麗で透き通るような声だった。
「はい、そうです。今日は雷雨なのでお出かけについて、電話をしました。待ち合わせは最寄り駅に14時、兄さんが行っているコンビニの近くにありますので、そこでお願いします。」
時計を見ると13時46分だった。
「分かった。それはそうと、今日は何をしに行くんだ?」
「それは内緒です。ショッピングモールについてからお伝えします。それではまた、後ほど」
ユキは先に駅についているらしく、ショッピングモールに行くらしい。
何をするのかは、”内緒”か。
*
近くのコンビニで徒歩で行き、飲み物二本分を手にコンビニを後にするとき、ふと裏手にいた子猫のことが気になった。
裏手には、段ボールだけがポツリとおいてあり、中に子猫がいる様子はなかった。
だれかに預かってもらえたのか、それとも、もうどこかに身を隠してしまったのか。
そんな一回か二回の出会いでも、僕の感情は揺さぶられていたのも束の間。
――。遠く大通りの方から、猫の鳴き声が聞こえた。
ふとそちらを向くと、子猫が道を横断しようとしている。
まだ信号は赤、大通りなので車もよく通る。
周囲の人は、スマホを見て、友達と話して、子猫のことに気づいていない。
誰も助けようとしない。
僕は、子猫に借りがある。
一方的な仮だが、僕にとっては大きい。
そんな借りを返せずに、猫が病院送りになるのを見届けることになってしまう。
最悪、子猫の死を目の前で見ることになるかもしれない。
それは嫌だ。
家族でも、友達でも、ペットでも、友人でも、恋人でも、店員でも、動物でも、死は、恐ろしく残酷で、一瞬だ。
そんな死を目の前で。
一瞬、僕はとんでもない罪悪感に晒された。
その罪悪感は、一瞬にして冷や汗に代わり、赤信号も無視できるほどの行動力につながっていた。
まるで背中を押してくれるように、僕の足は止まることを知らなかった。
大切な家族の前で、僕の最後の勇気を、振り絞り、ただひたすらに。
間に合え、間に合え。と僕は何度も唱える。
死の幻聴であるかのように、死の間際を知らせるように、あたりの人の声が僕の周りになんども木霊して。
妹も、その中にいただろう。
少ししか話したことがない妹だが、今日は申し訳ないことをしたと思う。
死ぬ間際には走馬灯のように記憶が蘇るらしいが、僕は蘇る記憶すらないのか、世界がゆっくり動いていることしか、わからなかった。
*
――。目の前が真っ暗になりふと、目を開ける。
あたり一面は真っ赤で、僕を中心に広がっていた。
もう、痛覚はないのか、痛みがなかった。
隣を見ると妹がいた。白髪で肌は白っぽく、清楚で可愛いと思ってしまった。
「ナツ…ナツ…!」
――涙を流しながら僕の名前を呼ぶ。
「…ユ、キ」
うまく声が出ない。
あたりにはパトカー、救急車が僕を囲むように止まっている。
意識が朦朧としている中、僕は必死に妹に話そうとする。
「無理に動かないでください…兄さん」
「ユ、ユキ。」
ユキは優しく問いかける。
「どうしたんですか。」
「ごめん、な。約束、守れなくて。」
ユキは道に膝から崩れ落ち、大声で泣きじゃくっていた。
ユキの後ろには、黒い影のようなものがある。
もう、息をしていないと思う。
僕は、猫を助けられなかった。
――僕は、猫も僕の体も失うことになってしまった。
嗚呼、このまま死ぬのか。
いざ死ぬとなっても、すんなり受け入れられるものだなと思いながら――
梅雨の時期には珍しく、雪が降っていた。
僕の意識は、そこで途切れた。