一 母校帰任
常識という言葉がある。
辞書にはこう書かれている。
【⠀一般の社会人が共通にもつ、またもつべき普通の知識・意見や判断力。】
私は一般社会の中で決して自分が常識とかけ離れているとは思わない。
だが教師という団体の中で見れば私は少し異色な存在なのかもしれない。いや、私の体験したものに限って言えば一般社会であっても異色なのだろう。
私は教師となり戻ってきた。母校であるこの桜塚中学へ。
私の双子の妹である春香を取り戻すため・・・。
この中学を卒業し11年、15歳だった私は26歳になっていた。
春香との思い出は15歳で止まったままだ。まだ春香はこの学校に居るのだろうか。その他大勢の生徒と一緒に。
大学を卒業し教師になったが赴任した学校は母校とは違う学校だった。
もちろん母校への配属希望は伝えていたが新米の教師の意見など聞いてもらえるはずなどなかった。
それから毎年転籍希望を出し、4年目の今年私はやっと母校に赴任することが出来たのだ。
「初めましてみなさん。」
壇上へ上がる私に生徒、教師の目線が私に集まる。
「江南中学から赴任してきました篠原千春と言います。
3年1組を担任することになりました。よろしくお願いします。」
3年1組は私が希望したクラスだ。11年前春香が消えた3年1組。
春香だけじゃない。私達の年は合計8人が消えたのだ。
毎年毎年3年1組のクラスから生徒が消える。
しかし誰も気付かない。
35人いたクラスメートは卒業の時には27人になっていた。
それでもクラスメートはおろか担任の先生さえ消えた事に気付かないのだ。
最初から居なかったように名簿も席も、そして記憶もだ。
唯一覚えている人間がいる。それは学級委員長だ。
男女1人づつ選ばれる学級委員長。
なぜその2人だけの記憶が消えないのかは分からない。
ただそういう現象が起こるというのが事実なのだ。
私は11年前このクラスの学級委員長だった。消えていくクラスメート、気付いているのは私ともう1人の男子の学級委員長だけだった。
私達は先生に必死で訴えたが、先生は最初からそんな生徒など居なかったの一点張りだった。
当然だ、名簿も席も無いのだから。
春香が消えた日、私は母へ涙を流しながら訴えた。私は春香という妹と双子だったのだと。しかし母は笑いながらあなたは一人っ子よと優しくなだめてくれたが、私は聞き入れなかった。当然だ、昨日まで双子として起きて寝るまでずっと一緒にいた春香が突然消えたのだから。しかし私達を産んだ母が一人っ子だと断言している。それでも引き下がらない私に母は呆れたように昔の写真を見せてきた。
二人で写っているはずの写真に春香は居なかった。七五三の写真も入学式の写真も全てから春香は消えていた。
私は2人で使っていた部屋を隅から隅まで漁ったが春香の痕跡は全て無くなっていた。
2段ベットはシングルベッドになり、2つあった勉強机は1つになっていた。
ここまでくると私がおかしいのか、周りがおかしいのか分からなくなっていた。
全てが書き変わっていたのだ、物も記憶も。
その後も私のクラスメートは消えていった。
合計8人だ。35人いたクラスメートは27人で卒業を迎え、私ともう1人の学級委員長以外は他のクラスに比べ異常に少ない3年1組を不思議とも思わなかった。
私はこの怪異事件を止める為ここへ来たのだ。そして妹の春香を取り戻すと決めていた。