第三三話 エルフの山で忍び猟 その2
赤や黄に染まった落葉を踏み締めて、丁寧にゆっくりとエルフの山を登っていく。静かで緩慢な忍び猟。これがいつも一緒にいるラハヤたちがいないということもあり、ほんの少し寂しさを覚えた。
その中に、どうしようもない変態エルフも入れておこう。勝ち目なんてあるのかどうかすら分からない勝負を、俺は受けて立ってしまったのだから戒めとしてだ。
……居なければ居ないで、少しは寂しくなるかもしれないしな。
前を歩いていたクーが止まる。
クーの向いている方向を確認した。五〇メートルほど先にいたのは、牡鹿ではなく、牝鹿だった。
その牝鹿がこちらをじっと見ている。こちらの気配を取っているのだ。今動けば逃げるだろう。
「クー、動いていいぞ。あれはメスだ」
クーが一歩進むと、牝鹿が逃げた。
鹿というのは、暖色を認識出来ない色盲で、動くものに敏感なのだ。一度小枝を踏む音や匂いで気づかれても、落ち着いて立ち止まればいい。鹿は警戒するだけで、すぐに逃げたりはしない。ただ、己が早足で歩いている時はその限りではなく、鹿はすぐに逃げる。
この山の森は帝国の森と違って視界不良だった。理由はおそらく、林道があまり整備されていないのと、エルフは必要数しか木を切らず自然に任せていること。本州の猟場は視界不良だと聞いたことがある。今の状況はそれと同じだ。所々の木の皮が削れ、低い位置にある植物が少ないのも同じだった。これらも立派な鹿がいるという痕跡である。
傾斜も急になり、迂回路を探すか登るか迷っていると、淡い緑に光る小鳥がやって来た。モイモイの映像記録用の魔法だ。
触れると画面が展開した。
『シドーさん、今回の勝負は期限が設けられていません。まあ、長寿なエルフのする約束事なんて大体そうなんですけど。なので、一旦戻って作戦を練り直すのもありですよ? それとエルフの森は迷いやすいですから、くれぐれも気を付けてくださいね』
魔法の小鳥が役目を終えて消滅した。
確かに迷いやすい。ただでさえ不慣れな山に入るのは遭難の危険が付きまとうのに、こうも見通しの悪い森だと尚更だ。
だが、俺には文明の利器がある。バックパックから方位磁石と猟場の地図を取り出し、方位と狩猟小屋の位置を確認する。
狩猟小屋は南東の位置だ。これさえ分かっていれば、狩猟小屋に帰れないなんてことはない。
ここは迂回して楽な道を行こう。
迂回路は、一五〇メートルほど続くなだらかな斜面だ。そこをゆっくり登って行くと、クーが立ち止まった。
目を凝らす。けれども、鹿の居場所が分からなかった。クーに射程距離まで連れて来てもらおう。
ボルトを引いてチャンバーを開け、実包を薬室装填し、ボルトを前に押してガチっと倒す。
クーの尻を軽く叩く。すると、ロケットのように駆け出した。
『ギャッ!!』
鹿の警戒鳴きが聞こえたかと思うと、クーに追われた牡鹿が飛び出した。距離は八〇メートルほど。素早くシグリッド製スコープを覗き、鹿首を狙って撃つ。
ズバァーン!!
射弾が若干上に逸れて鹿の頭を貫いた。やはりと言うか、俺の世界のスコープと違って組み立て段階で癖があるようだ。
倒れた鹿に近づき、山刀で鎖骨の中心を刺して斬る。斜面を使って鹿頭を下にし放血する。
「じゃあ、クー。今度は、ひとっ走り狩猟小屋に行って職員を呼んで来てくれ」
ゴブリンの出張回収サービスは、この国ではやっていない。なので、代わりにエルフの職員を呼ぶか、その場で解体して残骸を埋設処理するかの二通りだ。
クーが俺の顔を舐め、狩猟小屋目指して駆けて行った。
最初は俺を舐め腐っていたクーだが、今では俺の言うことも聞く頼れる奴だ。素直に今のクーは可愛い。
帰ったらご褒美に美味しい部位をあげるかな。
一時間も掛からず男のエルフが、四人ほどこちらと合流した。疾風魔法で獲れた牡鹿を浮かせると、さっさと運んで行く。俺もそれについて行き、今日のところはこれぐらいで猟を終えることにした。
狩猟小屋に戻り、ラハヤたちが出迎えてくれた。
「お兄さん、大きいの獲れた?」
「そうだなぁ、俺の身長よりは小さいぐらいだったな。裏で職員が測ってるから見に行こうか」
「シドーさん、実は少し寂しかったのではありませんか?」
「シドー、そうなのか?」
的確な図星にちょっとだけ照れた俺は、一言「ノーコメント」と呟いた。
『寂しかった』なんて恥ずかしい言葉は口が裂けても言えない。だが、俺の様子を見たラハヤたちが頬を緩ませていたので、本心を気づかれてしまったようだ。尚恥ずかしい。
俺が攻略されてどうするんだと反省しなければ。
計測結果は、体長一六四センチ。体重は一三五キロ。角も美しく立派だ。
「結構大きいね。これならユーマラさんに勝てるんじゃないかな?」
「だろう? 良し、じゃあ解体手伝うか」
吊るされた鹿を解体場で解体していると、ユーマラが牡鹿を引きずって戻って来た。
「少しばかり狡くはないか?」
その鹿を見てキセーラが批難を浴びせる。
その牡鹿の角は、俺が獲った鹿とは明らかに違い、ヘラジカのような大きな角を持っていた。その鹿の体格も、俺のと比べて倍近くある。
「ふふふ、鹿の種類を限定した覚えはぁ、ありませんよぉ~?」
「これは酷い。シドーさん、どうするんですか?」
「どうもこうも、限定されていなかったのは確かだろ。まあ、このデカイのを獲らないと勝ち目がないってことだ」
「ユーマラさんに聞けば教えてくれるの?」
「教える訳がないじゃないですかぁ~」
癖毛金髪のユーマラが、クスクス笑いながら勝利を確信したように、吊るされた獲物を撫でる。
それを見て良いことを思いついた。古川三郎の手記には、この世界の動植物の情報が絵と共に書かれていた。それが使えるかもしれない。
俺はバックパックから古川三郎の手記を取り出しページをめくる。
書いてあった。
精霊国の動植物の項目に、俺が獲った鹿とユーマラが獲った鹿の情報だ。
『ある日、私は狡賢い男のエルフに鹿狩りの勝負を挑まれた。その男は鹿の種類は決めていないと言い、私が獲ったのよりも大きい鹿を獲って来た。その名前はアルブムース。エルフの国のヘラジカだ。生息域は標高の高いところのようだ。腹を立てた私が、その男を殴って聞き出したから間違いない。このまま負けては、薩摩隼人の名折れだ。明日は絶対に私が勝って見せる』
ユーマラが古川三郎の手記を覗き込む。
「それはなんですかぁ~?」
「これか? 俺の頼れる大先輩が残してくれた物だ。お陰様でユーマラさんが獲って来た鹿、俺もどこに居るか分かっちまった」
俺は意地の悪い笑みを見せる。それを見たユーマラがキョトンとし、キセーラが笑いながら俺の背中を叩いた。
「はっはっは!! これが私の惚れた男だ。ユーマライヤ、これで勝ち負けは分からんぞ?」
「……ふ~ん」
その夜は獲った鹿肉で豪華な夕食となった。
葡萄酒がベースのソースが掛けられた鹿肉のローストに、秋キノコと野菜と鹿肉が入った具沢山のスープ。薄く切られた鹿の心臓と舌を、野菜と一緒に炒められたものなど、明日の猟に向けて力が出るようなものばかりだった。
当然の如く、どれも美味い。それにエルフの職員たちを交えての食事も、中々楽しいものがある。
エルフの職員に「人間の癖に狩りが上手い」と褒められたが、キセーラが「ハイエルフの私が認めるほどだ」と言うと、エルフの職員たちは納得したようだ。
「シドーさん、それ取ってください」
「それ? ああ、パンか。ほら」
「ありがとうございます。……ん、挟んで食べても美味しいですね」
「お兄さん、私もちょうだい」
「おう、ちょっと待ってな」
和やかな食事が終わって、この日の夜は狩猟小屋に泊まった。




