第三〇話 キセーラの元同僚 前編
取り急ぎ投稿。
馬車を御す俺の隣は、モイモイが座っている。キセーラとのじゃんけんで勝ったらしく、ご満悦な表情を浮かべていた。
馬車を走らせた時の御者席は、荷台に比べて涼しい。なので晩夏でも残暑が厳しく昼は暑いから、御者の隣が人気なのだろう。
精霊国の国境までは六時間ほど掛かる。そこから更に四時間進んだ地点が、初日の野営地点だ。今日みたいに朝早くから出たとしても、馬車で移動というのは時間も掛かるし気力も必要であった。
「シドーさん、シドーさん。そろそろ朝食の時間なので、あれ出して食べてもいいですか?」
「あれって何だ?」
「豚肝臓の練身の瓶詰めです」
横をちらと見ると、既にモイモイは御者席から荷台をごそごそしていた。両足をぶらつかせて探すその姿は、尻が喋っているようだ。
「モイモイさん、はい。これでしょ?」
「そうです。それと乾パン下さい」
「私にも後でくれないか?」
モイモイたちが何やらやり取りしている。まるで馬車を御しているのではなく、ファミリーカーを運転しているようだ。
そうしてモイモイが取り出したのは、豚肝臓の練身の瓶詰めと乾パンを一ダース。豚肝臓の練身の瓶詰め、要するにレバーペーストの瓶詰めだ。
必死に馬車を御する俺の心情を他所に、モイモイはそれを乾パンに塗り頬張る。
「~んっんまい。この組み合わせは最強ですね」
「俺だって喰いたくても喰えねえんだぞ……」
「シドーさん、こっち向いてください」
「ん? ああ……」
開かれた俺の口に、モイモイがレバーペーストが塗られた乾パンを入れる。
サクッと食べると濃厚なレバーの味と、細かく刻まれた玉ねぎとニンニクの風味が口いっぱいに広がった。美味い。酒と合わせれば、もっと美味い。
というか、これは朝食用じゃなくて夕食用に買ったものだったような?
「おい、モイモイ。これ、夕食用じゃねえか!」
「いいじゃないですか、細かいことは。はい、もう一つどうぞ」
「お、おう」
レバーペーストが塗られた乾パンが、俺の口に入れられた。
朝食を摂りながら街道を南西に進み、帝国と精霊国の国境線に差し掛かった。
時刻は昼前で、太陽は直上から輝いている。
「シドー、一旦馬車を停めてくれ」
「ああ、エルフから許可がいるんだっけか」
精霊国の国境線を越えるためには、知り合いのエルフから許可をもらう必要がある。もし、もらわなかった場合はユニコーンを狩りに秘密の狩場へ行ったような目に遭うらしい。
俺は一旦馬車を停めた。
「まずはラハヤからだ。右手の甲を見せてくれ。……良し、描けたぞ」
「これは紋章?」
「結界を通れるようになるための紋章だ。さあ、次はモイモイ」
キセーラがモイモイの右手の甲に紋章を描く。
「ほう、これは興味深いですね。魔力が込められてますよ」
「最後に、ほら、シドー」
「ああ、頼む」
詠唱を呟いたキセーラが、俺の右手の甲を指で紋章を描くようになぞる。
「これで全員、入国出来るはずだ」
俺の右手の甲に描かれた紋章が淡く光る。
「また、走らせるぞ。ちゃっちゃと荷台に戻れよ」
「モイモイは私と交代だ」
「仕方ないですねぇ」
モイモイが荷台に座り、キセーラが俺の隣に座る。
馬車を再び走らせ、石橋を渡り、国境線を越えた。
今までは感じなかったが、国境線を越えた辺りで急に肌寒くなった。無事に越えられた証なのだろう。
「ほらシドー、あの連なる山を見てみろ。精霊国は一足早く紅葉してる」
大陸一の山を有す山脈が遠目に見えた。それらは赤、黄、緑に彩られた北海道の秋に似た山々だった。
広葉樹と針葉樹が混じる北海道の秋は、本州では見られない三色で彩られるのだ。本当に目の前のこれは寸分違わない。懐かしい景色だ。言葉を失うほど美しい。だが少し、泣けてくる。
「シドー?」
「ん? いや、すまん。……感動しただけだ」
「そうか! それは良かった」
三つの川がY字に合流した地点付近で、俺たちは馬車を停めて昼食を作ることにした。
だが、馬車を降りた途端にキセーラが何やら挙動不審になり始めた。
「どうしたんだ? 傍目から見ると不審人物だぞ」
「いや、誰かに見られている気がするんだ。エルフの国境警備隊か?」
「それならお仕事頑張ってるってこと何じゃねえのか?」
「そうであれば、いいんだが……」
この日の昼食は、昨日の夕方頃ラハヤが帝都で仕入れた鴨を二羽、これをシンプルな丸焼きにする。鍔なしの長剣のような鉄串に、内臓を取った鴨を二羽纏めて刺しグリルにセットした。柑橘類のジャムベースのソースを塗り、クランクでクルクルと回しながら焼く。
鴨の焼かれる様は羽毛さえなければ、チキンと何ら変わらない。しかも、一応熟成されている。一日だけだが、旨味は凝縮されているのだ。
「塗る調味料は柑橘類のジャムと、香味野菜を細かく刻んだのと麦酒と胡椒だね」
「麦酒? 柔らかくするの?」
「そうだよ。ジャムは塗ると照りが良くなるし」
俗に言うとオレンジソースという奴だ。実際、似たようなレシピを持っている人は多い。
秋色のソースを塗られながらローストされた鴨を食べやすいように切り、ラハヤが鉄皿に盛っていく。キセーラが作っていた豆とキノコのスープも出来上がったようだ。
こうして出来上がった食事を囲み、俺たちはいざ食べようとする。その時、キセーラがまた呟いた。
「やはり、監視されている気がする」
「……何だか前にもあったよな? これ」
「鴨天飛翔事件ですね」
「また変な人がいるの?」
一体全体誰なのか。俺はもう分かってしまった。こんなことをしでかす奴は、キセーラのクレイジーでサイコなガチレズの元同僚しかいない。




