第二九話 シグリッドの真意と、精霊国へ向けて出立
少しだけイチャイチャする話。
シグリッドに振り回された女性部門の射撃競技会は終わり、現在の俺たちは円形競技場前にいる。
「ラハヤさん、おめでとう」
「うん。ありがとう。でも、何だかシグリッドさんに一杯食わされたよね。私たち」
全くだ。俺たちは揃いも揃って宣伝のダシにされたのだから、ラハヤが少しだけ気まずそうな顔をするのも分かる。俺だって恥ずかしくて死にそうだった。特にキセーラのせいで。
「それに、最後のあれはわざと負けたのかなって」
「ラハヤさん、それはどういう……?」
「いやああああぁぁぁぁぁ!!! 私の、私の、全、財、産、がぁあああ!!! うわああああああんん!!! あんまりよぉおおお!!!」
俺の質問を、そんな些事はどうでも良いかの如くニーカの慟哭が掻き消した。
全財産を賭博で失ったニーカの絶叫。自業自得だとは思うが、地面に倒れ込んで泣き伏す彼女を見ていると、心底哀れでならない。
「なぜあそこで私は!!! 転移魔法を使ってしまったんだぁぁぁあああ!!!」
慟哭を奏でるアホはもう一人いた。
「姦しいな……」
「大差をつけて勝つつもりだったんですよ。きっと」
モイモイも哀れな者を見る目で二人を見ていた。
「ちょっといいかしら?」
振り向くとシグリッドが立っていた。その後ろには狙撃眼鏡付きのクロスボウを担いだラハヤがいる。ラハヤの顔はどことなく緊張した面持ちで、シグリッドの眼光は鋭さを増していた。まだ何か企んでいそうだ。
「何でしょう?」
「今から狙撃眼鏡付きの弩を売ろうと思ってね。限定三〇丁でお値段は銀貨三五枚。全て売れれば一〇五〇〇、〇〇〇マルカの大勝負。無論、貴方にも手伝ってもらうから」
そう言って、シグリッドが俺の手を引く。一〇五〇〇、〇〇〇マルカ、銀貨の枚数にして一,〇五〇枚の商売方法とは何なのだろうか。
「じゃあ、そこの箱の上に上って、ラハヤと抱き合うか、抱き合うか、抱き合うかしてくれる?」
全ての選択肢が『抱き合う』と聞こえたのだが、これは空耳か?
「あの、すみません。聞き取れなかったのでもう一度」
「だから言ってるじゃない。ラハヤと抱き合えって」
「意味が分からないんですが」
いやいやいや、あれだ。おかしい。色々とおかしい。全てがおかしい。
「ああ、それが嫌ならあれでもいいわよ」
「あ、あの……。あれ、とは?」
「接吻」
俺の思考が停止する。彼女は何と言った?
「……すみません。ちょっと一瞬脳の神経が切れたので」
「だから、せ――」
「無理言わんでください」
ラハヤだって先程から顔を真っ赤にしながら、照れ照れモジモジしていると言うのに、帝都に住む大勢の人々の前で出来る訳がない。場所と時間を弁えろという奴だ。
「じゃあ、何が出来るって言うのよ」
「隣に立つぐらいなら」
「それじゃ不十分よ。そうね、手をつなぐぐらいはやってもらうから」
「俺の気持ちは?」
「関係ないわよ」
ぴしゃりと否定され、強引に決定された。
シグリッドに押される形で、俺とラハヤが箱の上に立たされる。
既に箱の前に立ったシグリッドの横には、狙撃眼鏡付のクロスボウが机に並べられていた。
「ラハヤさん……」
「ごめん、お兄さん。断れなかったよ……」
ラハヤを責めている訳ではないが、このままでは二人一緒に恥を掻く気がするのだ。
諦めてラハヤと手をつなぐ。だが、たかが手をつなぐだけでこうも俺の鼓動が早くなるとは。
「……ちきしょう、恥ずかしい」
ゴブリンたちが、何やらクロスボウを持った女冒険者やら、女猟師やらを誘導している。
なるほど。彼女たちがシグリッドのメインターゲットなのだろう。そして、商人組合のゴブリンたちも一枚噛んでいるという訳だ。
このタッグはどこにメリットがあったのだ? 単純に利益か、それとも……
「さあさあ!! ここにあるのは、ヴァリ工房の先進的装備!! その性能足るや、射撃競技会でエルフを下し!! 鳥人をも下し!! 今ここにいるラハヤ・ロクサも、競技会にて優勝し意中の男性を射止めることに成功致しました!! そんな最新型の弩のお値段は、何と銀貨三五枚!! エルフの目を貴女に!! 意中の男性を貴女の隣へ!! さあさあ、手に取ってご覧ください!!」
商売のダシにされた俺とラハヤは赤面するしかなかったが、シグリッドの宣伝文句に釣られた愛に飢えた女子たちには覿面だった。
一人の女猟師が、狙撃眼鏡付のクロスボウを手に取って構える。
「これは単眼鏡?」
「いいえ、狙撃眼鏡よ。それがあればエルフの目を持っているのと同じ。数百離れた獲物だって仕留められるわ」
「買うわ!!」
「お買い上げどうも~」
それを皮切りに飛ぶように、狙撃眼鏡付のクロスボウは売れた。
ある者は地下迷宮に潜るため。また、ある者は来年の射撃競技会で好成績を収めるため。またまた、ある者は意中の男性にアピールするため。
千差万別な理由で、彼女たちは購入していく。
全てシグリッドの思惑通りであった。
露店販売が終わり、俺は裏で後片付けしていたシグリッドに訊ねた。それは半分抗議だったが、真意を問いただすためでもある。
「やっぱり、全てはシグリッドさんの策略って奴なんですかね?」
「ええ、そうよ。あの狙撃眼鏡の性能を世間に知らしめるためには、派手な演技が必要だったのよ。ゴブリンが言うにはパフォーマンスって奴ね」
「最後にこけたのは?」
「ふふ、あれはラハヤに勝たせるため。兎に角ね、種族としては劣等な人間が、ハイエルフや鳥人族に勝ったって事実が欲しかったの。今さっき買って行った客たちは、ラハヤの得物までは見ていない、円形競技場の結果を掲示板で見た人たち。俗に言う観戦券が買えなかった人たちよ」
シグリッドは腰に手を当てて、さも他愛ないと言ったふうに笑んで見せた。
「つまりは、派手なパフォーマンスとして俺とラハヤとキセーラを嗾けて、シグリッドさんは得た広告塔を商機として使った。って訳ですか」
「簡単に言うとそうなるわね。だってラハヤが私の工房に来た時、思いついちゃったから」
「いい迷惑だ……」
「あら? 本当に迷惑かしら? 私はそうは思わないけど?」
意地の悪い笑みを浮かべたシグリッドは、続けてこう言ってのけた。
「ラハヤ、とっても嬉しそうに笑ってたんだから。いい思い出になるかもって」
「それは……」
「でもね、私だって貴方に対する好意は本物だったのよ? ラハヤの代わりに私が貴方の隣に居た未来だってあったかもしれない。そう思うのよ」
「……困ったな」
何も言い返せず、俺は後ろ頭を掻くしかなかった。
「ふふ、これは冗談よ。……半分ね」
シグリッドが小気味良く笑いながら去る。
シグリッド・ホークシング。とんでもない女性だ。俺は久しぶりに手のひらの上で踊らされた気分だった。こんな気持ちは自衛官時代の教官相手ぐらいのものだった。賢い女というのは斯くも恐ろしい。
場所と時は変わり、今は明日精霊国へ向けての出立を控えた夕方頃。
ニーカに呼ばれた俺は、彼女の部屋に居た。
深刻そうな表情している彼女からは嫌な予感しかしない。何せ、先々日の賭博で彼女は全財産を失っているのだ。集られる可能性がある。
「で、話したいってのは?」
「実は……」
「お金とかか? 賭けで負けたから」
「ち、違いますよ! いや、そうでもあるんですけど……。あっ、今は違います!」
必死に抗議するニーカが、少し言い辛そうにする。
「……カムロ様は、また旅に出掛けられるのですよね? 旅の成果によっては、屋敷に帰って来ないかもと思ってしまって」
「亭主留守で元気がいいんじゃなかったのか?」
「うっ……。そ、それは、あの時の私はカムロ様のことを良く知らなかったと言いますか……」
知らない男の家に、良く住み込もうと思ったな、こいつは……
「その、数か月一緒に暮らして。それが、いざ離れ離れになると思うと寂しくて……」
「あのな、ニーカ? 何も今回の旅で今生の別れになる訳じゃあない」
あ、不味った。つい名前で呼んでしまった。
「あの、今さっき私のこと、名前で」
「口が滑った」
「それって、もしかして今までずっと心の中では名前で呼んでくれてたり!?」
「黙秘権を行使する」
寂しそうなニーカの顔が、今では満面の笑みに変わっていた。
「私のこと嫌ってた訳じゃなかったんですね!!」
飛び付いて来たニーカを素早く引き剥がす。
「精霊国に着いたら手紙は送るから、それで我慢してくれ」
「仕送りもお願いします!! ――あいたっ!?」
ニーカの余計な一言に、無言の手刀で返す。
こうして、次の日の朝に俺たちはニーカを残して出立した。




