第二十話 水着だらけの大討伐戦 後編
問題は奴が四〇メートル沖合の海にいることだ。加えて強い海風が吹いていた。これでは魔法と矢が届きにくい。
唯一空中を飛べそうなブラックリリーは、魔法陣を足場にして飛んで魔法障壁を展開し、防戦に努めている。おかげで被害は軽微だ。
「ねえ、お兄さん。私、いいこと思いついちゃった」
「いいこと?」
「うん。お兄さんが飛んで行って、大海蛇の口の中から上に向けて突き刺せばいいんだよ」
正気を疑う作戦を言ってのけたラハヤの目は、酒のせいで据わっている。一見、正しい作戦だと思われる。だが、人間は鳥のようにはなれないのだ。ましてや人間砲弾めいた特攻が上手く訳がない。
言葉を失い、本気かどうか測りかねているとラハヤが続けた。
「私の疾風魔法だったら飛べると思うんだよね」
「あのラハヤさん? それは無謀っていう奴で……」
「あぁ~、ユーマラも賛成ですぅ。重量操作の魔法は得意ですからぁ~」
いつの間にか暗殺者のようにユーマラが俺の背後を取っていた。しかも、成功率を高める提案付きで俺の逃げ道を塞いでくれた。
「あのな? 俺にだってやりたくないことは」
「シドーさん、シドーさん、その手に持った宝剣を見せてください」
「何だ? 今重要な話をしてるんだよ」
「火焔付呪」
殿下に貸してもらった宝剣の刀身が、熱を帯びて赤くなる。刀身から陽炎も立ち込めた。逃げ道がまた一つ消える。
「何してくれてんだ……」
「これでモーガウルの肉を焼き、脳を焼き切れるようにしました。シドーさん、頑張ってください」
「シドー、私の魔力もそろそろ切れる。しかし、飛び台ぐらいにはなれる」
「カムロ様! 討伐出来たらモーガウルの魔石をもらっていいそうです! 銀貨数百枚の価値ですよ! 是非やりましょう!!」
是非やりましょうって、やるのは俺だよ!
周りのゴブリンや近衛騎士、助太刀に来た冒険者までもが俺に期待の目を向けている。逃げ道が完全に消滅した。
「ちくしょう、やるしかねえのか……」
牙がずらりと並ぶ大きな口に飛び込む。それは一寸法師か、はたまた飛んで火に入る夏の虫か。どちらかと言えば後者だろう。
俺は覚悟を決めた。
「……やってやるよ」
「お兄さん頑張って」
ラハヤが俺の手を両手で握る。
「じゃあ、行きますよぉ~」
ユーマラが俺の背中に触れて、何かを小声で唱えた。
彼女の魔法によって俺の体が軽くなった。
「体が軽い……」
こんな気持ちで戦うのは初めてだ。今から喰われに行くのが怖すぎる。
「シドー! 来い!」
波打ち際で待機するキセーラが、ビーチバレーのレシーブのように低く構える。
「ちくしょぉぉおお!!!」
恐怖を吹っ切るために、俺は雄たけびを上げながら全力疾走した。羽のように軽い体は、決して独りぼっちで戦っているのではないという謎の安心感がある。俺は飛ぶように駆けた。
キセーラの組まれた両手に足を掛け、俺は高く高く空を飛ぶ。
「お兄さん行くよ! 疾風!!」
高く飛んだ俺の後方に緑の魔法陣が展開され、急激な突風が巻き起こった。
「飛んだああぁぁぁぁぁぁ!!」
くるくると前転しながら空を飛ぶ。狙いが逸れ、モーガウルの首の辺りに突っ込みそうになる。と思ったら、上昇気流に乗ってさらに高く飛んだ。
急に体が重くなる。重量操作の魔法が切れたのだ。
俺の落下を待つモーガウルが、涎に塗れた大口を開けている。
「南無三!!」
自由落下する俺は、そのまま生臭い口の中へと入る。モーガウルの口が閉じられ、生温かく暗くなった。場所は丁度大きな舌の辺り。ベストポジションだ。
「でえぇぇい!!」
熱せられた宝剣を上に突き立てた。
深々と刺さった宝剣が、モーガウルの肉を焼き骨を易々と貫通し脳を焦がす。
「お? おおお?!」
ぐらぐらと揺れる。遠心力によって俺の体がモーガウルの上顎へ叩きつけられた。
力尽きたモーガウルが浜辺に叩きつけられ、俺は吐き出された。
「ぶべっ!?」
生臭い涎に塗れた俺は、砂を引っ付けながら生還したのだ。
「ちくしょう、くせぇ……」
「お兄さん!」
ラハヤが駆け寄る。すると口と鼻を手で覆い、彼女は後ずさった。
「あ、お兄さんごめん。これは無理」
「シドーさんがぬらぬらしてます」
「これは強烈な匂いだな……」
「う、臭っ……」
ゆらりと立ち上がると、ラハヤたちは一斉に俺から距離を取った。
俺は仲間の薄情に泣いたが、幸い死者なく負傷者のみで、モーガウルと深淵魚人の群れは討伐された。
モーガウル討伐の功労者だが、気絶したギムレット皇太子がこの時の記憶だけ抜け落ちていたので、宝剣を返すついでに彼が功労者だということにした。
これで俺が殿下にした無礼は追及されないだろう。近衛騎士たちも口裏を合わせてくれたし、武功を立てた事実が出来たのだから、殿下も嫌な記憶を忘れて丁度良かったと見るべきだ。
しれっと参戦していた魔食会は、行方をまた眩ましていた。
彼らを注意して見ていた神聖処女隊のエルフが言うには、魔食会の数人が大きな卵を抱えていたらしい。それはもしかしなくても、モーガウルの卵ではないかと追及してやりたいところだ。
だがまあ、突発的な危機が訪れたにしては丸く収まった。
この後は労いも兼ねてゴブリンたちが砂浜で宴会を開くらしいし、今は彼らの好意にに甘えるとする。




